《てき》なの?
杉山 ――誰が敵だと言つたい?
お秋 ――初ちやんは、やつと、少しばかり、ほんの少しばかり、仕合せにならうと思つたのよ。――そして一生懸命になつてゐるのを、お前さんは、どんな目に合せたのよ? ――初ちやんは身を投げて死なうとまでしたんだわ。
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間。
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杉山 ――俺は初子が好きなんだ。
お秋 好きなら好きの様に、ぢや、どうしてしないの? 好きなくせに、どうして憎んでゐる様にやつて行くの? ――私にはわかるのよ。お前さんはやくざだよ。やくざは、どんな事にでも嘘を言ふんだわ。自分にだつて嘘を言ふんだわ。私は正直に言つてゐるのよ。――(間)
杉山 (力無く、しかし言葉だけは強く)へ、説教か。
お秋 私の言つてゐることが説教なの? 説教だと思ふの?――杉山さん、説教をして私達に聞かして呉れるのは、本当は、お前さんでなきやならぬ筈ぢやないの? (永い間)沢ちやん、あんたまだ寝てゐなきやいけないんぢやない?
沢子 えゝ。
お秋 また、そんな、駄目よ。
沢子 寝るわ。(立上つて去る)(間)
杉山 俺、もう、帰らあ。
お秋 え? それで、さ、どうするの?
杉山 どうするつて何だい?
お秋 初ちやんをどうするの?
杉山 (虚勢で)べ、べらぼうめ、そんな自分の子でも無えものをおつつけられてたまるか。
お秋 ぢや、初ちやんを追かけ廻したり、これからしないの?
杉山 そんな事、俺が知るもんか。――だけどもねえ、お秋さん、俺だつて男だぜ。どんな事だつて、する時になりやするぜ。――見てゐねえ。俺がどんな事をするか、永い眼で見てゐねえ。
お秋 見てゐるわ。――その時になつたら、その時になつたら――。
杉山 その時になつたら?
お秋 私達は、あんたの事を、やくざ[#「やくざ」に傍点]では無かつたと思ふわ。(短い間)
杉山 ぢや初子、さやうならだ。(去る。――足音。――階段の中途から階下へ転げ落ちる響)
お秋 (立つて奥の廊下に出て)どうしたの? どうしたの杉山さん? どこもけが[#「けが」に傍点]はしなかつたの? 大丈夫なの?(答無し)
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お秋室に戻る。間。
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お秋 初ちやん、もうこれでいゝのよ。
初子 だつて私、こはいわ。
お秋 何がさ!
初子 だつて、何をするか解らないと言つてゐたんぢや無いの。
お秋 それは大丈夫。あれは町田さんや初ちやんの事ぢやないのよ。大丈夫だわ。(間)あの人だつて本当は悪い人間ぢや無いんだわ。(間)ね、初ちやん、あんたは、町田さんを本当に思つてゐるのよ。さうなのよ。(間)
弟 姉さん! 姉さん! 下に誰か来てゐるぜ。え、姉さん! 俺にや聞えるんだ、誰か来てゐるぜ。
お秋 多分おかみさんでも起きたんだらう。
弟 さうぢや無いんだ。おかみさんとは違ふよ。
お秋 ――。
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阪井がスツと立上る。しばらくヂツと立つてゐる。又坐る。短い間。青い顔をした町田が顔を出す。
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町田 お秋さん、ゐるの? お秋さ――(初子を見て)あ初子、此処にゐたのか!
初子 ――。
町田 捜してゐたよ。どんなに捜して居たか知れないよ。どうしたんだ? どうしてまた――。
お秋 町田さん、あんた今、杉山と逢はなかつた?
町田 あゝ、そこで逢つた。何だか下を向いて歩いてゐて、僕に気が付かなかつたらしい。――ゆふべね、あれから、僕、ひどい目に逢つたよ。――彼奴又短刀まで出した。金を出せと言ふんだ。出せと言つたつて此方にもありやしない。仕方が無いから、友達の所を駆けずり廻つてやつと―。それよりも、此処で彼奴どんな事を言つたの? 又、乱暴したんだらう? ――もつと早く来りやよかつた。やつと三十円ばかり拵へて、持つて来たんだ。
お秋 もういゝのよ。
町田 いゝつて、どうしたんだよ。初子、どうしたんだよ?
お秋 それよりも、町田さん、初ちやん、子供が出来たのよ?
町田 え、なに、何だつて?
お秋 子供が生れるんだわ。
町田 そりや、本当かい? 本当かい、初子?
初子 えゝ。
お秋 そしてねえ、町田さん、それが、あんたの子供だかどうだか、わからないのよ。
町田 そんな事があるもんか。――僕の子だよ。
お秋 誰の子だが解らないよ。
町田 馬鹿な! 何を言つてゐるんだよ。僕の子だよ。無論僕の子だよ。――さうか。
お秋 ぢやあんたの子だわ。
町田 何を言つてるんだねえ。――さうか。よかつた、変なことにならなくつてよかつた。あゝ本当によかつた。お秋さん、ありがたう、ありがたうございました。ホントに何と言つていゝか――。
初子 秋ちやん、ほんとにありがたう。
お秋 ――赤ん坊は町田さんの子供だわ。子供なんてものは、私、さう思ふわ。俺の子だと考へる人の子だわ。自分の子だと思ふ人のものだわ。
町田 何だよ?
お秋 いゝえ、何でも無いわ。
初子 もし赤ん坊が生れて大きくなつたら、さう聞かしてやるわ。秋ちやんのことを――。
お秋 そんな事、ごめんよ。私。――初ちやん、これからも、ねえ、――私、何と言つたらいゝだらう。チヨイと言ひ方がわからないんだけど、――地びた[#「びた」に傍点]ばつかり見ちやいけないのよ。いつも地獄の方ばかり見てはいけないわ。――世の中には面白い事はいくらもあるものよ。――杉山さんなぞを怖がる気持が此方にあるから、おどかされもするんだわ。
初子 わかつたわ、秋ちやん、わかつたわ。
お秋 ではもうお帰り、早く帰つて頂戴。――そして、初ちやん、これから、どんな事があつても、町田さんを離れるんぢやないのよ。此処へ戻つて来ちやいけないのよ。私を思ひ出してはいけないのよ。――ね、こんな所に来ちやいけないのよ。杉山はもう大丈夫だわ。
弟 畜生! こんな所に来ちやいけないんだ。誰も来ちやいけないんだ。これから、誰一人だつて来ちやいけないんだ。
町田 どうしたんだい?
お秋 なあに、あれは何でも無いわ。――さあ、早く家へ帰つて頂戴。
初子 だつて秋ちやん――。
お秋 まだこの上に何を言ふ事があるの? 早くお帰りよ。早く、さ。
町田 ぢや、お秋さん、僕あ、何と言つていゝかわからないんだけど――。
初子 ぢあ、秋ちやん、あんた身体に気をつけてね、私これで帰るわ――。(二人お辞儀して立上る)ぢや――。
お秋 もう、来ちやいけないわよ。
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二人去る。お秋ボンヤリと坐つてゐる。間。
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阪井 (三畳に坐つたまゝ)おい、秋ちやん――。
お秋 なに? どうしたの?
阪井 お前は先刻疵だらけだと言つたね。
お秋 え? え、さうよ。見せてあげたつていゝわ。疵だらけだわ。(微笑して)疵だらけになつて、やつて来たんだわ。生きて来たんだわ。なあに、これからだつて――。
阪井 ――(低く唸る)
お秋 どうしたの? 工合でも悪いの? ――どうしたのさ?(立たうとする)
阪井 よし! 行つてやる! 行く!(立上る)なあに、なあに、なあに!
お秋 どうして? どうしたの? どこへ行くの? まさか――。
阪井 俺を笑つてくれ。お前は俺を笑つてくれ。俺みたいな人間はお前から笑はれなきやいけないんだ。俺は本部の連中の所へ行くんだ。
お秋 ま、行くの? 行つてくれるの?
阪井 俺にはお前と言ふ女が今やつとわかつた。行くよ。なあに、たとへ俺が死んだつて、死んだつて、俺達は勝つて見せる。
お秋 (立つて三畳の方へ出て)さう、勝つて、帰つて来て頂戴。どこまでも、どんなことがあつても、――私達は待つてゐる。
阪井 待つてゐてくれ! 喋つて喋つて喋りまくつて、切りくづしなんか叩き伏せてやるんだ。待つてゐろ、勝つたら連れに来るから待つてゐろ。畜生! (走る様にして出て行く)
弟 (腕を振り廻して)あゝ、あゝ、あゝ! 行つた行つた、勝《かつ》て! 阪井さん勝て!
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お秋ヂツとして涙ぐんでゐる。遠くの方から非常に多勢の人間の騒いでゐる声が聞えて来る。間、窓の下の空地から男の声が呼ぶ。お秋窓の方へ立つ、空地を見下して、
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お秋 おや、秦さん、どうしたの? 本部から来たんだつて? 阪井さん? 阪井さんは、たつた今行つたのよ。えゝ、本部へ――。
秦の声 ――(他の部分はハツキリ聞き取れない)――なに、俺、阪井さんを迎ひに来たんだ。――今みんなが――へ行く所なんだ。スツカリ騒ぎがひどくなつて――の奴等がやつて来た――から押して行くんだ。デモだ。なに、俺も今月から本部に詰めてゐた。もうボヤボヤして居られなくなつた。頼むよ、沢ちやんとこへも暫く来《こら》れねえ、頼むよ――。
お秋 それがいゝわ。大丈夫。しつかりやつて頂戴。
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人々の騒音が次第に近づく。
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秦の声 来た、来た、来た、来た! 見えるか秋ちやん、阪井さんが皆の中で何か言つてゐる。さよならだ。
お秋 さう、此処からは見えないけど――。
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人々の騒音が次第に近くなり、暫くして町角をでも曲つたらしく、ワツワツと言ひながら今度は段々遠くなる――お秋と弟はヂツとそれを聞いてゐる。間。
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弟 やつてるね、やつてるね姉さん! 俺も行きたいなあ!
お秋 (微笑して)何を言つてゐるんだよ。盲のくせに。――(フイと気を変へて)さあ、もうそろそろお湯でも使つとかなきや、間に合はないぞ。
弟 姉さん!
お秋 あいよ。
弟 姉さんは、もうお化粧をするのかい?
お秋 だつて、もうおつつけ、お昼だよ。
弟 今日は止せよ、今日は止しておくれよ。
お秋 だつて、お客が来るんだからね。
弟 ――姉さんは、いつでもお化粧をするんだね。――お客だ! 貴様達だ!(薄暗い中で、見物席に向つて、紙を切るためのナイフを手に持つて突出してゐるのがギラギラ見える)貴様達だ!
声 (階下から女将の)秋ちやん! 秋ちやん! 何をしてゐるんだよ! 秋ちやん! サツサとして呉れなきや困るぢやないの! お客さんが見えてゐるのよ、秋ちやん!
お秋 はあい! 恵ちやん、又、馬鹿を言つてゐるわね。
弟 畜生が! 畜生が! 外道奴!
お秋 そんな――(微笑)そんな物騒なことを言ふあんま[#「あんま」に傍点]さんなんて、あるもんぢやないわ。――そんなあんまに誰も肩なんかもましてくれやしないわよ。
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短い間。
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弟 ――姉さん、俺が一|人《にん》前《まえ》になつたら、そしたら、姉さんは黙つてりやいゝんだ。俺が稼ぐ。それに、あの人もやつて来てくれる。――くそ! それ、やつつけろ! 阪井さんは、こはい様な人だけど、本当はやさしい人だ。――その時にやあの人の事を俺は兄さんと言ふんだ。
お秋 (微笑)――又言つてゐるよ。馬鹿だねえ。
声 (階下から女将)秋ちやん! お客さんだよ。秋ちやんてばさ。
お秋 はーい。さあ忙しいぞ。
弟 さうなつたら、あん畜生! さうなつたら、俺、姉さんの肩をもんでやるよ。ね、姉さん。
お秋 あゝ――さうなつたら――もんで貰ふわ。(身じまひをする)
弟 さうなつたら、――さうなつたら。
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お秋、手廻りのものを片附けながら、静かに微笑してゐる。
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お秋 そんな事をグズグズ言つてゐないで、仕事をおしよ。(階下へ)はーい、ただ今。
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やがて三畳の紙の音。間。
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[#地から1字上げ]――幕――(一九二八・六)
底本:「三好十郎の仕事 第一巻」學藝書林
1968(昭和43)年7月1日第1刷発行
底本の親本:「炭塵」中央公論社
1931(昭和6年)
初出:「戦旗」
1928(昭和3年)8〜11月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※アキ、句点の有無、字下げ、ダッシュの長さ、仮名・漢字表記のばらつき、新字
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