いの。
お秋 それは大丈夫。あれは町田さんや初ちやんの事ぢやないのよ。大丈夫だわ。(間)あの人だつて本当は悪い人間ぢや無いんだわ。(間)ね、初ちやん、あんたは、町田さんを本当に思つてゐるのよ。さうなのよ。(間)
弟 姉さん! 姉さん! 下に誰か来てゐるぜ。え、姉さん! 俺にや聞えるんだ、誰か来てゐるぜ。
お秋 多分おかみさんでも起きたんだらう。
弟 さうぢや無いんだ。おかみさんとは違ふよ。
お秋 ――。
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阪井がスツと立上る。しばらくヂツと立つてゐる。又坐る。短い間。青い顔をした町田が顔を出す。
[#ここで字下げ終わり]
町田 お秋さん、ゐるの? お秋さ――(初子を見て)あ初子、此処にゐたのか!
初子 ――。
町田 捜してゐたよ。どんなに捜して居たか知れないよ。どうしたんだ? どうしてまた――。
お秋 町田さん、あんた今、杉山と逢はなかつた?
町田 あゝ、そこで逢つた。何だか下を向いて歩いてゐて、僕に気が付かなかつたらしい。――ゆふべね、あれから、僕、ひどい目に逢つたよ。――彼奴又短刀まで出した。金を出せと言ふんだ。出せと言つたつて此方にもありやしない。仕方が無いから、友達の所を駆けずり廻つてやつと―。それよりも、此処で彼奴どんな事を言つたの? 又、乱暴したんだらう? ――もつと早く来りやよかつた。やつと三十円ばかり拵へて、持つて来たんだ。
お秋 もういゝのよ。
町田 いゝつて、どうしたんだよ。初子、どうしたんだよ?
お秋 それよりも、町田さん、初ちやん、子供が出来たのよ?
町田 え、なに、何だつて?
お秋 子供が生れるんだわ。
町田 そりや、本当かい? 本当かい、初子?
初子 えゝ。
お秋 そしてねえ、町田さん、それが、あんたの子供だかどうだか、わからないのよ。
町田 そんな事があるもんか。――僕の子だよ。
お秋 誰の子だが解らないよ。
町田 馬鹿な! 何を言つてゐるんだよ。僕の子だよ。無論僕の子だよ。――さうか。
お秋 ぢやあんたの子だわ。
町田 何を言つてるんだねえ。――さうか。よかつた、変なことにならなくつてよかつた。あゝ本当によかつた。お秋さん、ありがたう、ありがたうございました。ホントに何と言つていゝか――。
初子 秋ちやん、ほんとにありがたう。
お秋 ――赤ん坊は町田さんの子供だわ。子供なんてものは、私、さう思ふわ。俺の子だと考へる人の子だわ。自分の子だと思ふ人のものだわ。
町田 何だよ?
お秋 いゝえ、何でも無いわ。
初子 もし赤ん坊が生れて大きくなつたら、さう聞かしてやるわ。秋ちやんのことを――。
お秋 そんな事、ごめんよ。私。――初ちやん、これからも、ねえ、――私、何と言つたらいゝだらう。チヨイと言ひ方がわからないんだけど、――地びた[#「びた」に傍点]ばつかり見ちやいけないのよ。いつも地獄の方ばかり見てはいけないわ。――世の中には面白い事はいくらもあるものよ。――杉山さんなぞを怖がる気持が此方にあるから、おどかされもするんだわ。
初子 わかつたわ、秋ちやん、わかつたわ。
お秋 ではもうお帰り、早く帰つて頂戴。――そして、初ちやん、これから、どんな事があつても、町田さんを離れるんぢやないのよ。此処へ戻つて来ちやいけないのよ。私を思ひ出してはいけないのよ。――ね、こんな所に来ちやいけないのよ。杉山はもう大丈夫だわ。
弟 畜生! こんな所に来ちやいけないんだ。誰も来ちやいけないんだ。これから、誰一人だつて来ちやいけないんだ。
町田 どうしたんだい?
お秋 なあに、あれは何でも無いわ。――さあ、早く家へ帰つて頂戴。
初子 だつて秋ちやん――。
お秋 まだこの上に何を言ふ事があるの? 早くお帰りよ。早く、さ。
町田 ぢや、お秋さん、僕あ、何と言つていゝかわからないんだけど――。
初子 ぢあ、秋ちやん、あんた身体に気をつけてね、私これで帰るわ――。(二人お辞儀して立上る)ぢや――。
お秋 もう、来ちやいけないわよ。
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二人去る。お秋ボンヤリと坐つてゐる。間。
[#ここで字下げ終わり]
阪井 (三畳に坐つたまゝ)おい、秋ちやん――。
お秋 なに? どうしたの?
阪井 お前は先刻疵だらけだと言つたね。
お秋 え? え、さうよ。見せてあげたつていゝわ。疵だらけだわ。(微笑して)疵だらけになつて、やつて来たんだわ。生きて来たんだわ。なあに、これからだつて――。
阪井 ――(低く唸る)
お秋 どうしたの? 工合でも悪いの? ――どうしたのさ?(立たうとする)
阪井 よし! 行つてやる! 行く!(立上る)なあに、なあに、なあに!
お秋 どうして? どうしたの? どこへ行くの? まさか――。
阪井 俺を笑つてくれ。お前は俺を笑つてくれ。俺みたいな人間はお前から笑はれなきやいけないんだ。俺
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