は本部の連中の所へ行くんだ。
お秋 ま、行くの? 行つてくれるの?
阪井 俺にはお前と言ふ女が今やつとわかつた。行くよ。なあに、たとへ俺が死んだつて、死んだつて、俺達は勝つて見せる。
お秋 (立つて三畳の方へ出て)さう、勝つて、帰つて来て頂戴。どこまでも、どんなことがあつても、――私達は待つてゐる。
阪井 待つてゐてくれ! 喋つて喋つて喋りまくつて、切りくづしなんか叩き伏せてやるんだ。待つてゐろ、勝つたら連れに来るから待つてゐろ。畜生! (走る様にして出て行く)
弟 (腕を振り廻して)あゝ、あゝ、あゝ! 行つた行つた、勝《かつ》て! 阪井さん勝て!
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お秋ヂツとして涙ぐんでゐる。遠くの方から非常に多勢の人間の騒いでゐる声が聞えて来る。間、窓の下の空地から男の声が呼ぶ。お秋窓の方へ立つ、空地を見下して、
[#ここで字下げ終わり]
お秋 おや、秦さん、どうしたの? 本部から来たんだつて? 阪井さん? 阪井さんは、たつた今行つたのよ。えゝ、本部へ――。
秦の声 ――(他の部分はハツキリ聞き取れない)――なに、俺、阪井さんを迎ひに来たんだ。――今みんなが――へ行く所なんだ。スツカリ騒ぎがひどくなつて――の奴等がやつて来た――から押して行くんだ。デモだ。なに、俺も今月から本部に詰めてゐた。もうボヤボヤして居られなくなつた。頼むよ、沢ちやんとこへも暫く来《こら》れねえ、頼むよ――。
お秋 それがいゝわ。大丈夫。しつかりやつて頂戴。
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人々の騒音が次第に近づく。
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秦の声 来た、来た、来た、来た! 見えるか秋ちやん、阪井さんが皆の中で何か言つてゐる。さよならだ。
お秋 さう、此処からは見えないけど――。
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人々の騒音が次第に近くなり、暫くして町角をでも曲つたらしく、ワツワツと言ひながら今度は段々遠くなる――お秋と弟はヂツとそれを聞いてゐる。間。
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弟 やつてるね、やつてるね姉さん! 俺も行きたいなあ!
お秋 (微笑して)何を言つてゐるんだよ。盲のくせに。――(フイと気を変へて)さあ、もうそろそろお湯でも使つとかなきや、間に合はないぞ。
弟 姉さん!
お秋 あいよ。
弟 姉さんは、もうお化粧をするのかい?
お秋 だつて、もうおつつけ、お昼だよ。
弟 今日は止せよ、今日は止しておくれよ。
お秋 だつて、お客が来るんだからね。
弟 ――姉さんは、いつでもお化粧をするんだね。――お客だ! 貴様達だ!(薄暗い中で、見物席に向つて、紙を切るためのナイフを手に持つて突出してゐるのがギラギラ見える)貴様達だ!
声 (階下から女将の)秋ちやん! 秋ちやん! 何をしてゐるんだよ! 秋ちやん! サツサとして呉れなきや困るぢやないの! お客さんが見えてゐるのよ、秋ちやん!
お秋 はあい! 恵ちやん、又、馬鹿を言つてゐるわね。
弟 畜生が! 畜生が! 外道奴!
お秋 そんな――(微笑)そんな物騒なことを言ふあんま[#「あんま」に傍点]さんなんて、あるもんぢやないわ。――そんなあんまに誰も肩なんかもましてくれやしないわよ。
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短い間。
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弟 ――姉さん、俺が一|人《にん》前《まえ》になつたら、そしたら、姉さんは黙つてりやいゝんだ。俺が稼ぐ。それに、あの人もやつて来てくれる。――くそ! それ、やつつけろ! 阪井さんは、こはい様な人だけど、本当はやさしい人だ。――その時にやあの人の事を俺は兄さんと言ふんだ。
お秋 (微笑)――又言つてゐるよ。馬鹿だねえ。
声 (階下から女将)秋ちやん! お客さんだよ。秋ちやんてばさ。
お秋 はーい。さあ忙しいぞ。
弟 さうなつたら、あん畜生! さうなつたら、俺、姉さんの肩をもんでやるよ。ね、姉さん。
お秋 あゝ――さうなつたら――もんで貰ふわ。(身じまひをする)
弟 さうなつたら、――さうなつたら。
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お秋、手廻りのものを片附けながら、静かに微笑してゐる。
[#ここで字下げ終わり]
お秋 そんな事をグズグズ言つてゐないで、仕事をおしよ。(階下へ)はーい、ただ今。
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やがて三畳の紙の音。間。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]――幕――(一九二八・六)



底本:「三好十郎の仕事 第一巻」學藝書林
   1968(昭和43)年7月1日第1刷発行
底本の親本:「炭塵」中央公論社
   1931(昭和6年)
初出:「戦旗」
   1928(昭和3年)8〜11月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※アキ、句点の有無、字下げ、ダッシュの長さ、仮名・漢字表記のばらつき、新字
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