した瞬間にギクンとして、二三歩とびさがり、恐ろしいものを見るように織子の姿を見ていたが、やがて顔をふせて深々とお辞儀をして、織子の前を遠まわりをするような足どりで、わきに寄る)
省三 ……(さきほどから噛みつくような眼を光らして須永を睨んでいたのが、だしぬけに)そうだよ! 何が善で何が悪なんだ! 須永君、君がその男といっしょに生きておれなかったの、わかるよ! おれたちは、おれたちを押しつぶそうとしている奴等を、しめ殺さないでは、生きて行けないんだ!
須永 いや、そんな……(省三の激しい視線を受けかね、助けを乞うように次の浮山を見る)
浮山 ……だけど、田舎にお母さんや弟さんも有ると言うんだから、この――
須永 …………(恥じて頭を垂れる)
省三 だけど、それをそういう形で解決しようとするのは間違いだ! それはホントの解決にはならん! 僕の部屋へ来てくれ須永君! 話し合って見よう! (進み出して須永の腕を取りそうにする)
須永 ……(その手をソッとよけて、桃子の前に行き、低い声で)モモコさん。
モモ ……(ユックリした視線で、須永の方を見て)須永さん、又、塔に登らない? (そしてフルートを口へ持って行き、吹く真似をする。しかし音は出ない)
須永 ええ。……
柳子 須永さん! (かすれた、押し殺した声で言い、いきなり、ふるえる片手で須永のひじを掴み)……逃げて下さい! 早く、どっか、早く逃げて下さい! 逃げて下さい、つかまる! 早く逃げないと!
須永 え? ……(びっくりして柳子を見る)
柳子 な、なんでもいいから、早く、あの、逃げて下さい!
須永 …………(困って、柳子の手をソッと振りほどいてとなりの若宮に眼を移す)
若宮 わあっ! (それまでもワナワナとふるえていたのが、須永からチラリと見られると、我慢できなくなり、叫び声をあげるや飛びあがって、いきなりガタガタと床板を踏み鳴らして駆けだし、板戸の間から今はまっ暗な私の室を通り抜け階段を駆けおりる音がドドドドと下に消える)
舟木 どうしたんだ?
省三 警察に電話でもするんじゃないか?
浮山 そりゃ、まずい。……(小走りに若宮の後を追って私の室の方へ消える)
須永 ……(その間に房代を見ている。と言うよりも、房代の方がルージュの濃い口を開け放って、顔色を蒼白にし、眼をすえた、ほとんど発狂せんばかりの恐怖の表情で、及び腰になって後すざりしながら自分を見ているので、その姿に逆にびっくりして見ていると言うのが当っている)……あの、どう……どうしたんです?
房代 …………(両腕を突き出して須永が近寄って来るのを防ぐようにしながら、ジリジリと後しざる)
織子 あ、危ないっ!
[#ここから3字下げ]
(叫び声と同時に、奥の床板に開いている焼夷弾の穴に、房代の身体がスポッと落ちこみ、ガラガラと音がして、二階の真下の部屋からアッ! という房代の悲鳴がひびいて来る)
[#ここで字下げ終わり]
須永 ああ! (その穴のそばへ行って下を覗く)
省三 おっ! (これも穴へ駆け寄る)房代さんっ! 房代さんっ! 房代さんっ! (これは下を覗くひまも無く、いきなりその穴から下へパッと飛びおりて消える。ガタガタ、ベリッ、ドサンという音)
舟木 馬鹿! ここから飛ぶ奴があるか! ケガしやしないか? 織子、二階だ! (身をひるがえして、私の室へ消える。織子も走ってその後を追う。二人が階段を駆け降りる音。やがてシーンとなる)
[#ここから3字下げ]
(一瞬のうちに、穴のふちに須永と桃子と柳子の三人が取り残される。ボンヤリしている須永、遠い方へ耳をすますようにしている桃子。ほとんど恍惚として我を忘れて須永を仰ぎ見ている柳子。――静かだ)
[#ここで字下げ終わり]
13[#「13」は縦中横] 食堂
[#ここから3字下げ]
(私が一人で立っている)
[#ここで字下げ終わり]
私 ……待てよ。ぜんたい何が起きたのだ? 何が此処で起きたのだろう? 起きつつあるのだろう? 私たちの生活は、それほど愉快な明るいものではなかった。しかし、おだやかな、気持の良いものだった。そこへ須永がとびこんで来た。はじめ何がとび込んで来たのか、誰も気が附かなかった。そのうち、ヒョイと気が附いた。これは殺人者だ。そしてもう既に死んでいる人間だ。そいつが私たちの間をウロウロしはじめた。すると私たち全部の調子が不意に変になってしまった。死んだ人間が歩きまわっているのを見ているうちに、おれたちの一人一人が急に、自分が生きていることに気が附いたのか? ……いや、そうではない、須永は死んだのではない。須永だけが、おれたちの中で須永だけが今生きているのではないのか? 須永は、今こそホントに生きはじめたのではあるまいか? それを見ておれたちの一人々々までが、日常生活のものうい夢から叩き起され、眼をさましたのではないのか? ……そうだ、現に私だ。私は半分死んでいるのだと須永は言った。そうかもしれない。お前はここに私のそばに立っている。もう既に死んでしまったお前が私のそばに立っている。それを私は実感で知っている。それが私に少しも変だとは思われない。ならば、私も半分死んでいるのだろう。そうかもしれない。それが須永に叩き起されて、こうなって、さて、私の眼が急にハッキリ見えはじめた。夜の空気が、ヒンヤリと、これまでとはまるで違った肌ざわりで私の顔を撫でる。おかしいぞ。夜の闇が不意にベットリと黒いものとして私を取り巻いて見えて来る。闇はズッと前から有ったのだ。見えていたのだ。それが今急にベットリと、まるで液体のように私を取り巻いて、ここに在る。どうしたのだ? これは、なんだ? やっぱり私は死につつあるのか? それとも、ホントに生きはじめたのか? ぜんたい何が起きたのだ? 何が起きようとしているのか? 須永は、どこへ行ったのだろう? 須永!
[#ここから3字下げ]
(舟木が腕まくりをおろしながら入って来る)
[#ここで字下げ終わり]
舟木 ……須永君は柳子さんたちと三階じゃないかな。
私 房代さんのケガは?
舟木 あの人は足くびをチョットくじいただけだが、省三が釘で額を切った。馬鹿な、いっしょに飛び降りることはない!
私 若宮さんと浮山君が喧嘩をした?
舟木 若宮が電話をかけようとするのを、浮山君がいきなリなぐり倒した。あんな男じゃないと思っていた。取組み合いになって、若宮は鼻から血を出している。
私 ……狂人だろうか? 須永は?
舟木 ノイローゼ。病識が有る。しかし、それがわれわれの方で言う病識か、ただ一般的に、つまり思想的な言い方での、自分は病気だと言うのか、そのいずれか、この程度ではハッキリしない。変質者であることは確かなようだ。しかしそれも遺伝関係のデータを調べなければハッキリしない。むしろ、その相手の、先に一人で自殺したと言う娘さんの方に一種のパラノイヤのような――つまりセックス・フォビヤがあったのではないかな。
私 聞いたのか?
舟木 戦争からの影響――つまりアプレゲール現象だで、世間はこういう事を片づけたがる。しかし因って来る所はもっと深い。断絶だ。これは断絶。崖を踏み切った。足はもう地面を踏んでいない。
私 断絶? うむ。
舟木 無数の断絶者が生れつつある。この世の、崖っぷちのこっち側の考えで、死んでるとか生きてるとか言って見ても無駄。どうするかだ、これを?
私 どうするか?
舟木 殺しても死なない、だから。だから処理するだけだ。警察に渡すか、精神病院に渡すかだ。
私 あぶない。ピストルを持っている。
舟木 ピストルには弾はいくつ入っている?
私 六連発と見ても、まだ四つ入っている可能性。
舟木 良い青年だがな。
私 良い奴だ。しかし犯罪者。
舟木 犯罪者? 犯罪の意識は無い。
私 狂人か――
舟木 われわれにとって狂人と言うものは居ない。時代時代の平均ノルムが有るだけ。それを踏みはずしたのを仮りに狂と名づける。セーンもインセーンも無い。どの試験管もガラスで出来てる。
私 だが、須永は犯した。これからも犯し得る。これは、怖い。
舟木 怖いのは、しかしホントに怖いのは、実はモモコだ。あの子は笑いながら一万人だって殺すことが出来る。
私 うむ。しかしモモコは殺してない。須永は殺した。
舟木 薬をあげようか?
私 自分でも持っているのではないか。それよりピストル持ってる。自殺など胴忘れしてああしてウロウロしている。どうすればよいか?
舟木 そう、どうすれば――?
[#ここから3字下げ]
(二人、顔を見合せている。そこへ出しぬけに二階の一角で、ドシン、ガタガタと音がして、女の叫び声がして来る。舟木と私はその方を見あげて聞き耳を立てている。……)
[#ここで字下げ終わり]
14[#「14」は縦中横] 省三の室
[#ここから3字下げ]
(天井裏の見える、まるで物置のように殺風景な、板のベッドと粗末なテーブルの他に何も無い部屋。ただ一つ壁に真赤な三角の旗がピンでとめてある。額から片眼へかけてホウタイ※[#始め二重括弧、1−2−54]それに血がにじみ出している※[#終わり二重括弧、1−2−55]を巻き立てた省三が、ベッドに片足かけて仁王立ちになり、革のバンドを右手にふりかぶって、憎悪にとび出しそうな眼で離れて立った房代を睨んでいる。
房代は右手に濡れたタオルを持ち、左手で、たった今なぐられた頬から首すじをおさえて、ギラギラ光る目で省三を見つめている。これも左の足首をホウタイで巻いている)
[#ここで字下げ終わり]
房代 なにするのよ、キチガイ!
省三 バ、バ、バイタ! (房代に向ってビュウッとバンドを振る)
房代 あっ! (辛うじて打撃をかわし、テーブルを小だてに取って、室の隅に飛びさがる)
省三 出て行け! 出て行かないと殺すぞ!
房代 殺せるものなら殺してごらん! しと、痛いだろうと思って、わざわざやって来てタオルで冷してやろうとすると、だしぬけに、なに乱暴するのよッ!
省三 なぜ触るんだ俺に! 放っといてくれ、お前みたいなバイタが――出て行け!
房代 出て行くとも! あたしのためにケガをさして悪かったと思うから、こうしてなにしてんのに――動物!
省三 あたしの為にケガをした? ヘッ、あん時、お前のあとから飛び降りた自分が、腹が立つんだ! ざまあ見ろ、だからこんなケガあしたんだ! 俺が俺に罰を喰わしてやったんだ。お前なんか死のうが生きようが腐ろうが、知った事か! のぼせるなよ、お前なんかのために誰が飛びおりたりするもんか!
房代 ヘッ、のぼせているのは誰だ? 戦争が始まったのが、あたしのセイなの? あんたが出征したのが、あたしのセイなの? 復員して見たら、あんたの恋人が空襲にやられて死んでいたのが、あたしのセイなの?
省三 ちきしょう、だまれ! だまれ、ちきしょう!
房代 その恋人にどっかあたしが似ていたと言うのが、あたしのセイなの? そのあたしが食べられないから、進駐軍につとめているのが、あたしのセイなの?
省三 食いものをもらうと、犬はシッポを振る。しかしシッポの先きに心臓をぶらさげて振りはしないんだ!
房代 あんただって血を売ってるじゃないか!
省三 血は俺のものだから売るんだ! 俺の自由意思で売ってるんだ!
房代 あたしは、あたしのものだから、あたしの自由にするのよ! 恋人を持つのは、あたしの自由だ!
省三 三月に一人ずつの恋人を持って、オンリイ、オンリイで次ぎから次ぎと、三年もたつと一中隊ぐらい兄弟になっちゃって、子供でも生れるとなったら、白いのかい黒いのかい、わからなくなったらフイシュ・スキンに聞いてみろい!
房代 ヘッ、ゼラシ!
省三 なにようッ! ちき――(バンドを振りかぶって迫って行く)
房代 ヘッ――(それに向って、犬に追いつめられた猫のように、シューと響く唸り声を立て、歯をむき出して対する。――それがヒョイと戸口の方を見るや、声も立てずにゴム風船から空気が抜けるように、不意にしぼんだように怒りの形相が完全に
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