消えてしまう。その代りに、恐怖から今にも泣き出しそうな顔になっている。目まいが起きるほどの急変である)
省三 うッ? (びっくりして、なぐりかかるのを忘れて、それを見ていたが、やがて振返って戸口を見る。――戸口の奥の闇を背に、須永がションボリ立っている。バツの悪そうなモジモジした態度。それを見ているうちに、省三からも兇暴な調子が消えている)
須永 やあ。
省三 君か? ……はいりたまい。
須永 話したいと君が言ってたもんで――(言いながら遠慮っぽく入って来る。その間に、猫が逃げ出すようにす早く房代が、須永のわきを大きく円を描いて足早やに戸口の方へ出て行き、消える)……あのう、キズはどう?
省三 ……なに、大した事は無い。(キョトリとして、まるでキツネでも落ちたようだ。そして見失った自分の思考のつながりの絲を相手の顔の中から捜し出すように須永の顔ばかり見ている)……それで?
須永 モモコさんは、どこへ行ったのだろう?
省三 ……(不意に絲をつかんで)そうだ、君がその男をやらなければならなかったのは、わかる。しかし君の、その恋人はなぜ自分だけ自殺したんだ? 全体、その人と君とは、なぜに一緒に死のう、心中しようと決めたんだ?
須永 生きていられなかったから。
省三 なぜ生きていられなかった?
須永 呼吸がつまりそうで窒息しそうだった。
省三 なぜだ? どんなわけでだよ?
須永 なぜだかわからない。
省三 ……君は馬鹿だ!
須永 馬鹿だ。(ゲッソリとしょげている)
省三 (相手のまるで無抵抗な姿を見て同情する気になり、同時に自分をとりもどして来る)だけど、その人が一人で自殺したのを、なぜ君は自分が殺したと言うんだ?
須永 でも、殺したのは僕だから。
省三 ちがうよ、君が殺したのは、ほかの三人だ。
須永 ううん、ちがう。僕が殺したのはあい子だ。
省三 君じゃないよ、殺したのは。
須永 殺したのは俺だ。
省三 逃げないのか君は?
須永 逃げる? どこへ?
省三 どこへ? ああっ! (反問しているうちに、出しぬけに、とび上って、キョロキョロあたりを見まわし、それから室内をキリキリ舞いをして、窓の所へ駆け寄ったり、テーブルの下にかくれようとしたりする)そうだ、殺したのは俺だ!
須永 …………(びっくりし、あきれて見ている)
省三 殺したのは俺だ!
須永 何を殺したの?
省三 島田と言う兵長だ。部隊本部の参謀に可愛がられていやあがって、いつでも俺たちの事を言いつけやがる。スパイだ。島田の口のひとつで昇級したり、あぶない所へ転属されたりするんだ。そいつが、俺の事を目のかたきにして、インテリなんぞに戦さあ出来るもんか。人が殺せるもんか。年中俺をなぶり者にするんだ。そこい、便衣隊が三人つかまった。共産軍の、まだ十七八の青年だ。おめえにくれてやるから、やって見ろ。やれめえインテリ。分隊全員の前で歯をむいて笑うんだ。カーッとなった。ホントはやりたくなかった。ホントは笑ってる島田をやりたかった。しかしカーッとのぼせて、俺は銃剣を振りかぶっていた。ズブッと言って、小さな声でキイと言った。十七八の共産兵だ。俺は目の前が真暗になった。夢中で突きまくった。三人終って、銃剣を手から離そうとすると、ネバリ附いてて取れないんだ。ボヤッとした月が出ていた。……殺したのは俺だ!
須永 君が殺したんじゃないよ。
省三 殺したのは俺だ!
須永 殺したのは戦争だ。
省三 う? ……そうだ。だから俺はあの三人の仇を打ってやる!
須永 三人を殺した君がかね?
省三 そうだよ、仇を取ってやる。
須永 すると又戦争がはじまる。
省三 今度の戦争は最後の戦争だ。戦争を無くしてしまうための戦争だ。
須永 そう言っては、何度でも戦争をする。
省三 俺たちのする戦争だけが正しいんだ。
須永 両方で、いつでもそう言うよ。
省三 君はニヒリストだ。反動の二人や三人殺してなんになる? センチメンタリズムだ!
須永 (はにかんで)じゃ、幾人殺せばいいの?
省三 幾人?
須永 誰と誰とを殺せばいいの?
省三 誰と誰?
須永 言って見たまい。僕が行って、みんな殺して来てやるよ。
省三 う? ……(びっくりして須永を改めてマジマジ見る。その末に、キョロキョロあたりを見る。自分の手を見る。それを開いたり握ったりして見る。再びあたりを見まわし、暗いのをすかして客席の方を覗くようにする。微笑を消さない須永の視線も、省三の視線を追って客席の方を、すかして見ている)
[#ここから3字下げ]
(しばらく前から、バリリン、バリリンと聞えて来ていた三味線※[#始め二重括弧、1−2−54]大ざつま※[#終わり二重括弧、1−2−55]の音が急調になり、狂ったように激しくなる)
[#ここで字下げ終わり]
15[#「15」は縦中横] 若宮の室
[#ここから3字下げ]
(血まなこになった若宮がフーフーあえぎながら、畳を二枚はがして、その下に敷いてあった書類や株券をカバンにさらいこんでいる。そばには開け放した中型の金庫のわきに、テープをかけた紙幣束が、うず高く積んである。……)
[#ここで字下げ終わり]
私 (ふすまの外の廊下から)若宮さん。若宮さん!
若宮 (ビクンとして)……だ、だれだ?
私 いや、私だ。
若宮 開けてはいけない! 入って来ちゃ、いけない!
私 私ですよ。(言いながら、ふすまを開ける)どうしたんです?
若宮 あ!(と紙幣束を身体でかくして)困りますよ。どうして、あなた――
私 (相手のけんまくにおどろいて)……どうしました?
若宮 な、なんです?
私 いや……須永、さっきの須永、どこに居るか知りませんか?
若宮 知らない。どうかしましたか?
私 そうですか。いや別に。
若宮 早くなんとか警察に引き渡すとか、なんとか、してくれないかな。あんな物騒な、あなた、何をしでかすか、わかったもんじゃない。わしは、もう――
私 (その辺を見まわして)逃げ出すんですか?
若宮 いいや、わしが逃げ出す筋は無い。しかしこの、とにかく人を殺して来た男だ、又、この――
私 大丈夫ですよ。おとなしい男です。
若宮 おとなしい男が、仮りにも自分の女の父親をしめて、次ぎ次ぎと、あんた――
私 いや、須永は大丈夫です。それよりも省三君に気をつけた方がよい。ひどく気を立てている。
若宮 省三? 省三君がどうしたんです?
私 須永がなにしたのは、自分の好きな女の義理の父だった。あんたは房代さんの父親だ。
若宮 ヘ! そ、そんな、木に竹をついだような。房代はわしの娘だけど、あれは自由に勝手にやっている奴だ。わしとは縁もゆかりも有りゃしない。わしの知ったこっちゃありませんよ。
私 須永の女の父は元軍人で今ブローカアで、国民運動やってた。あなたは株屋で、追放政治家と組んで何かしようとしている。いろいろと、なんか似てる。それに省三君は、ああいう一本気の激しい――
若宮 じょ、冗談! ヘヘ、それよりも、あの須永と言うのを一刻も早く、なんとかして。あんたの責任だ。
私 だから、捜しているんだが――?
若宮 モモコの所か柳子の所だ。あいつはモモコの後をくっつき歩いているし、柳子は眼を釣り上げて、あいつの尻を追いまわしている。へっ!
私 柳子さんは全体どうしたと言うんだ?
若宮 わしの知ってる間だってもう五六年も男っきれを寄せつけなかった女だ。バクチに血道をあげちまって、色気の方はフタをしちまった。フタをしたって、無くなったんじゃない。内にゃ、あんた、クツクツ煮えて溜ってまさあ。そいつが時々ワザをするんだな。須永を見て――ただの須永てえ男だけなら、そんな事あ無いさ。現に夕刊のあれを知るまで何の事あ無かったもの。ヘヘ! 柳子は金をこさえて須永といっしょに逃げる気らしい。
私 嘘だ。
若宮 嘘じゃ無い。現に先程ここへ来て、手持の株から此の家の書類まで全部投げ出して、金を貸してくれと私に――あの権高な女が、この私に頭あ下げましたよ。本気だ。狂ったね女あ。
私 しかし、ああして三味線ひいている。
若宮 あれは、それでも、自分で気を落ちつけようとして弾いてるんだ。気が立ってくると、あの女あ、いつでもああです。(その三味線の音に二人が耳をやったトタンに、それまでズッと聞こえていたその音が大きくなり、ベリベリ、バリンと叩きつけるように響いて、ピタリと止む)
私 …………(そっちに気をとられている)
若宮 ……(ニヤリとして)昔、聞いた事がある。人殺しの兇状持ちの男が洲崎の遊廓に逃げこんだ。
16[#「16」は縦中横] 柳子の室
[#ここから3字下げ]
(その深紅のじゅうたんの所が明るくなる。
そこに椅子の上にキチンと坐って、たった今まで弾いていた三味線の、三本の糸がバラリと掻き切れたのを左手に、右手に象牙のバチを振りかぶる様に持った柳子が、何かに魅入られたように一方の方を見守っている。その視線の先のじゅうたんの端の所に須永がボンヤリ立っている。……※[#始め二重括弧、1−2−54]この場合の柳子と須永はパントマイム。そして前の場の若宮の室は暗くならず、若宮が私に語る話も、そのまま続けられるので、同時に二カ所で事が進行する※[#終わり二重括弧、1−2−55])
[#ここで字下げ終わり]
若宮 その時もそいつは追いかけて来た人間を三四人も斬っていたそうで、返り血でもって全身血だらけだったそうだ。そのナリで何とか言う大きな女部屋の構え内へ飛び込んだ。騒ぎになった。
須永 モモコさんは――モモコさんは、どこでしょう? ……(柳子は無言で、眼は須永の顔の上に据えたまま、三味線とバチをわきのテーブルの上に置き、片脚を先きにソロソロとじゅうたんの上に降り立つ。それが、エモノを見附けたヒョウが、エモノへ向って音を立てないでしのび寄るようだ。困ってモジモジしはじめる須永)
若宮 (その間もつづけて)女たちはみんなおびえてしまった、ひとかたまりになってちぢみあがっていたが、その中で海千山千の、枕だこの出来たシタタカ者が二人ばかり、どういうわけか、眼の色を変えて、人殺しを追いかけまわしはじめた。(柳子の室では、須永に飛びかかりそうにしていた柳子が、その時、飛びかかるのとは反対に不意にグナリとなったかと思うと、ひっかけ結びにしていた博多の中はばの帯に指をかけて、キュウと音をさせて、バラリとほどく。次ぎに腰紐を。眼はまたたきもせず須永から離さない)血の匂いが良いのかねえ? 商売女の中にゃ、ほかの事じゃツンともカンとも感じねえ奴が、ロウソクのロウの焼ける匂いをかぐとトタンに、うわずっちまうのが居たりするからね。ヘヘ。しまいに両方から引っぱりっこで、兇状持ちも、めんくらったろうて。自分々々の部屋につれ込んで、酒を飲ましたり、かじり附いたり。一方が、一緒に心中してくれとくどくかと思うと、一方は金を拵えるから、それ持って逃げてくれと泣き出したり、いやはや! 狂ったのは男だか、女だか。(柳子の部屋では、その姿でソロソロとじゅうたんを踏んで須永に近づいて行く。須永はびっくりしていたのが、次第に恐怖の色を浮べ、後ろさがりにジリジリと入口の方へ)しまいに、男の方が、怖くなったのか浅ましくなったのか知らないが、二人の女を締め殺してしまったそうだがね。
柳子 (低いしゃがれた声で)あんた! 早く! 早く、あの!(むき出しの白い手を、須永の方へあげる。須永は後しざりをしていたが、ビクッとしてロを開けて声の無い叫び声をあげ、クルリと身をひるがえして、廊下の闇に消える。それを追いかけて行くような姿勢で廊下の奥を見こんでいる柳子。……そこでフッと真暗になって、場面は若宮の室だけになる。若宮の声は続いている)
17[#「17」は縦中横] 若宮の室
若宮 ヘッヘヘ。ねえ、馬鹿な話ですよ。気ちがいじみた量見などサラリと捨てて、浮山君がああして首い長くして木の実の落ちてくるのを待っているんだからさ、いい加減にウンといってさ。
私 柳子さんと浮山君は、はじめ夫婦になる筈だったって?
若
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