だ僕にとって。
省三 あんな、しかし病的な神経過敏と言うか――あんな人は唯単に両勢力の摩擦の間にとびこんだ虫みたいなもんで、摩擦に耐えきれなかったと言うだけだ。この現実中で生きて行く資格は無いですよ、気の毒じゃあるけど、ハッキリ言うと軽蔑するな。
私 君たちにあの人を軽蔑する事はできんよ。あの人が一番美しいさ。……僕は今になっても菅季治の姿をズーッと見つづけている。その中に、大事なことが全部ふくまれているような気がする。
省三 だからですよ、だから、それは何ですと聞いているんですよ。その大事な事と言うのは、何なんです?
私 わからない。……いや、説明すれば或る程度まで理論的には説明できない事はない。しかしそんな事をしても仕方がない。特に今の僕には、それは出来ない。
省三 やっぱり、すると、はじめから立てないとわかっている線の上に立って、トタンに死ねと先生は言ってるだけなんだ。
私 そういう事になるかな。……しかし、それで何が悪いかね? ……ただ、生きていると言う事が、それだけが、どうしてそれほど重大なんだろう?
省三 それが重大だからこそ、自分に取っても全体にとっても、生きよう、より良く生き抜こうと思えばこそ、こうやって自分の血液まで売ったりして闘っているんじゃないですか!
私 そうなんだ。君のその言葉の中にだって、生きようと思えばこそ死にもの狂いに――なんと、生きようと死にもの――死だ。……おかしなもんだなあ、人間なんて。
省三 ……(ニヤリとして)奥さんに死なれた事が、そんなに、あなたにこたえたんですかね?
私 え? ……(びっくりして相手をしげしげと見ていた末に、乾いた、ほとんど明るいと言える笑声をだす)ハハ、そうさ、そうかも知れんね、フフ。……とにかく、どうも僕など、もう、個々人の生死の問題、つまり自分がどう生きてどう死ぬかと言う、つまり言えば生命観と言うか――そんなものと切り離すことの出来るような形では、社会革命の事にしろ戦争の事にしろ、もう考える事が出来なくなって来た事は事実のようだね。
省三 そりゃ、そうですよ。そうなんですもの。第一、あなたの奥さんが亡くなられたのは――その病気になられたのは身体の弱いのを無理して組合運動や方々のストライキの応援に歩かれたと言うのが直接の原因だそうじゃないですか? 兄が言ってましたよ。
私 うん、そう。
省三 だからですよ、それもつまりあなたの言う、個人の生死が社会改造の仕事の中にチャンと組みこまれた形としてですね、奥さんの死は無意義ではなかったと言う事だから――
私 いや、私の言ってるのは、そんな事じゃないんだ。そんな、つまり、公式のようなものを、いくら持って来られてもだな――いや、これは君にはわからん。
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(短い間)
[#ここで字下げ終わり]
省三 ……あなたには、それはわかっているんです。僕はそう見ます。それが良いか悪いかは別問題として、あなたにはわかっているんだ。それをしかし、言いもしなければ実践もしないで、そうやっているのは、何かズルイ、世間の動いて行く様子を見送れるだけ見送って、そのうち調子の良い方へナニしようと言うふうな――いえ、オッポチュニストであなたがあるなどとは思っていませんけどさ、すべての事を一寸のばしにのばしといて、今現にこんなふうに又反動しかけてる、なんかエンショウ臭くなって来ている、情勢の中でですよ、二つの勢力のどっちにも附くまいと言う――一種のサボタージュと言うか――つまり第三の道などを言い立てて、なにもしないでいるのは、結局は、左右いずれの勢力に対しても裏切りではないですか? せいぜい言っても、一種の保守的反動的な――
私 (微笑して)そう思うかね?
省三 そう思いたくないからこんな事言うんです。うちの兄などは、もう駄目です。しかしあなたは――あなたを僕らの敵だとは僕は思いたく無いんです。だから――
私 敵ね?
省三 だから言うんです。
私 ……敵だと思ってくれて、いいのかも知れんよ。
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(そこへドカドカと階段に足音がして、夕刊を掴んだ若宮猛が入って来る。後から、真青な顔をした織子。……若宮は入って来るやキョロキョロと室内を見まわしてから私に向って夕刊を突き出す)
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省三 (その若宮から織子へ眼を移して)どうしたんです姉さん?
織子 あの……(ふるえている)
私 (夕刊を受取るが、眼は若宮を見て)なんです?
若宮 こ、これ! ……(と夕刊の紙面の一個所を指す)
私 ええと……(それを見る。省三も寄って来て覗きこむ。はじめ二人とも、何だろうといぶかりながら読んでいたが、次第に妙な顔になって来て、或る所まで来ると、ギクリとなる……間)
若宮 ……(しゃがれた低い声で)夕方から、何度も読んだ夕刊だ。それが、あんた、今さっき気が附いたんだから、なんとも早や。……眼に入っちまったと言うか。舟木さんの奥さんも、そうだそうだ。ねえ? (織子を見る。織子声が出ないでコックリをする)……どう言うもんか、この――(私に)そうなんでしょう。これ?
私 ……(新聞に吸いつけられている。省三はキョトキョトその辺を見まわしはじめる……間)
若宮 まったく、どうも、この――
私 ……(ユックリ顔を上げて)そいで――?
若宮 え? ……いや、柳子さんとこの広間で、もうズーッと花で。うちの房代も行ってる。
省三 兄さんは――?
織子 た、たばこ買いに。すこし歩いて来ると言って出かけて。……
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(四人が黙ってしまう。私だけが遠い所を見つめているだけで、他の三人は互いが互いに何か珍らしいものででもあるように見くらべ合っている)
[#ここで字下げ終わり]

     9 柳子の室

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(緋のじゅうたんの中央に座ぶとんを一枚置き、それを取りかこんで浮山、柳子、房代、須永の順に坐り花札を戦わしている。浮山はおりて見ている。わきの椅子に桃子が掛け、フルートを時々撫でている。花札の勝負は既にかなり長時間つづけられたもので、その何年目かの最後の回が終りかけたところ。四人とも殺気立つ位に熱中している。中でも柳子は、ほとんど眼を釣り上げんばかりになっていて、紅いもののチラホラ見える立膝の、足の指などマムシになるほど力をこめて札を打つ。須永一人が、花札にあまり馴れないのでモジモジと、自信の無い態度。見たところ勝っているのは柳子で一番負けているのが須永のようだが、もう少しよく見るとそれが反対で碁石などを使わずジカに紙幣でやりとりするらしく、その紙幣が須永の手元にうず高く積まれており、他の三人の手元には何も無い)
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浮山 (須永のめくった札を見て)ほい、今ごろになって豚かよ! そりゃ聞えません!
柳子 ううと!(唸り乍ら、手札と須永の眼の中を火のように覗きこむ)……ビケだわね、あんた須永さん? でしょ?
須永 え? (相手の視線をまぶしがって)……ええ。
柳子 いやに落ちついてるわね? 青が、あんた、飛び込みね?
須永 ええと? (手札を覗いている)
柳子 よしと!(ピシリと打ち)そうさしてなるものか!
房代 どっこい! (打って取る)
柳子 あらま、この子は!
房代 だってえ、桜あ、あたし待ってたのよ!
須永 …………(これは黙って捨てて、めくって、ウロウロ見まわし、合ってる札に重ねて取る)
柳子 た! この人、ほんとにどうしたの?
須永 いや……(テレて微笑)
浮山 さて、追込みだ!
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(あとは全員無言で、恐ろしく早い速度で三巡りばかり廻って、須永が最後にソッと札をおろして勝負は終る。須永の大勝、他の三人はほとんど呆れて須永を見る)
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房代 おどろいた!
浮山 やれやれ、テンからこれじゃ話にならん! はじめからしまいまで、附きようがひど過ぎる。タッ!(計算して、ポケットから紙幣を出して、三枚ばかりをほうり出して、あおむけにひっくり返る)
須永 いいですよ。いいんですよ。(頭をかきながら)……僕あどうも、あまりよく知らんもんだから。
モモ 勝ったの須永さん?
房代 勝ったなんて言うんじゃないわ。
モモ わあ! (手を叩いて喜こぶ)だから私が言ったでしょ? きっと勝つからって。
浮山 どうしてだよモモコ?
モモ ううん、そんな気がしたのよ。須永さん、塔へ行きましょう。
須永 ええ。(うれしそうに、立ちかける)
柳子 ……じょ、じょ、冗談、あんた! よく知らんは無いでしょう! モモちゃん、もうちょっと待っててよ。ようし!(パッと立ってマントルピースの上にのせてあったダイスの壺を持って来て、須永の前にドンと坐り)こんだ、これでいっちょう!
浮山 よした方がいい。とても駄目だ。なんか附いている須永君には。
柳子 いいわよ、ね! (カラカラと壺の中でダイスを振る。昂奮し切っている)
浮山 だってお柳さん、すっかりはたいて、なんにも無いんだろ?
柳子 なあに、ええと……(自分の身辺をさがす)
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(そこへ、若宮が足音を立てないでキョトキョトしながら入って来て、突っ立ったまま、須永の顔に眼を据えて見ている……)
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柳子 ようし、これ! (左の薬指から指輪を抜いてトンと置く)これを張ります。こんでも、小さいけどダイヤが入ってる。その代り須永さん、あんたも、それそっくり賭けるのよ。
須永 弱ったなあ。
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(そこへ、若宮の後から、私と省三と織子も入って来る。私の顔も省三の顔も織子の顔も青い。……)
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柳子 (熱中して、そのような人たちには目もくれない)弱ったてえセリフは無いでしょ。さ、行くわよ、あたしが振るから、あなたが指すのよ。ダイスじゃメンドくさいから……(言って壺の中のダイスの一つを残し、他をビュツと投げる。それが室のどこかの壁に当ってカチッカチッと音)丁半で行くわね! よくって!
須永 困りますよ。(助けを求めるように周囲の人たちを見まわす。しかし誰も何とも言わない)
柳子 ハハ! (ヒステリックに笑って、壺を振る。カラカラとサイコロの音)行きます、そら、はい! (壺をパッと伏せる)……丁か、半か? あんたよ須永さん!
須永 こ、困るんです。
柳子 困るたあ、なんて言いぐさ? ここまで来て卑怯だわよ。さ、言いなさい!
浮山 仕方がないじゃないか、言いたまえよ。
須永 どうも……(柳子の眼をちょっと見ていてから)じゃ、丁です。
柳子 よし、勝負っ! ……(パッと壺を取る。一同の視線がそのサイコロに集中する。柳子が、いっぺんにガクッと膝を倒す)
浮山 ……だから、よしゃいいんだ。
柳子 ……(無言で、指輪を須永の膝の所へ押しやる)
私 ……(三四歩前に出て)須永君。
須永 え? ……(私が顔を見ているだけで何も言わないので、柳子の指輪を拾って返す)いいんですよ、これ。
柳子 なに?
須永 いいんです、もらわなくても。
柳子 あんた、私を軽蔑するの? 賭けの勝負は親子の間だって待ったなしだわよ。ヘ! ……(血走った眼で、その辺を見まわしている)
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(そこへ、別の入口から、散歩から帰って来た舟木が、ステッキをさげ、外の廊下を自室の方へ通りかかったのが、この室の気配に気が附いて、のぞいて見たと言う様子で半身を見せる)
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織子 (それを認めて寄って行く)あなた!
舟木 ああ。どうしたの? (室内の一同を見まわし、それから妻に眼を返す)……どうしたんだよ、顔色が悪いなあ?
柳子 ……ええい、ちきしょ! こんだ、じゃ、あたし全部を賭ける! さ!
房代 柳子さん、もうよして! お願いですから!
浮山 ホントだ。よした方がいい。全部を賭けると言ったって、まさか取って喰われるわけじゃない。
柳子 ですから、勝ったら、取って喰おうと、煮て喰おうと、叩き売ろうと――
舟木 なんだ……(またかと言った調子で室の中に
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