そいのお守りをこのおじいさんがするのは、ちっと、つらい。
房代 ……そうよ、おっしゃいよハッキリ。あたしは恥かしいなんて思ってやしない。そんな事より、自分の娘からまで、つまり、そんな娘のそんな金まで、お父さんはかすめ取ろうとしているんじゃないか?
若宮 わからないなあ! かすめ取る? チョッ! だからよ、だからさ、投資しないかとすすめているだけじゃないか! つまり、この、ビジネスとして、この、合理的に儲けようと――
舟木の声 (どなり声だけが、はいりこんで来る)合理的に、もっと考えて見たらどうだ! お前だって近代人だろう? 中世紀の狂信者やなんかじゃないだろう?
省三の声 (これも、どなっている)兄さんこそ狂信者じゃないか! 科学と言うものを狂信している。いや、ちがう、科学だって兄さんの言っているような科学はホントは科学でも何でもないんだ! 合理的合理的と兄さんは言うが――
房代 (その二つの声は耳に入らないので、すこしも影響されないで)ですから、おことわりよ。投資するなら、ほかにする。
若宮 そうかね。みすみす、もうけさせてやろうと言うのに、お前と言う人も慾が無い。金がほしいかと思うと、イザとなるとほしがらない。アプレの若いもんの量見なんて、わしらにゃわからん。そら、ここにのっている(夕刊を指して)人殺しにしたって、三人も殺したのに理由がよくわからんとある。何が全体どうなるか――
舟木の声 馬鹿! わたしがこれだけ言っても、わからないのか!
省三の声 わからないのは、兄さんの方じゃないか。僕だってこれでそんな軽率な気持からやってんじゃないんだ。血を売ってまで、自分の血を売ってまで生活してだな――
織子の声 もうよして! いいじゃありませんの、もう――


     7 舟木の室

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(6がスッと暗くなると同時に、この室が明るくなってテーブルをはさんで舟木と省三が睨み合っており、その間に織子の言葉が割って入っている。織子の言葉は続く)
[#ここで字下げ終わり]
織子 もうよして下さい! お願いだからもうよして! (舟木に)省三さんはもう子供ではありません。シッカリ考えてなすっている事なんですから、それでいいじゃありませんの。(省三に)兄さんはただあなたの身の上を心配して言ってるだけなんですから。
省三 わかってますそれは。でも兄さんの心配自体が僕には不愉快なんですよ。
舟木 お前が不愉快なら私は不愉快以上だよ。まるで小児病だ。俺はね、いつも言う通り、お前たちの考え方そのものを間違ってるとは必ずしも思っていない。しかしそれをただ宗教的に信じてだな、自分の力や条件を無視して、その渦中に飛びこんで行くのは愚かだと言っているんだ。もしお前たちの考え方が科学ならばだな――始終お前たちが言っているようにだよ、だな、一定の時期が来れば必然的にすべてがそうなるんだろう? なら、お前などが飛びこんで行って、いろいろする必要は無いじゃないか。
省三 必然的にすべてがと言ったって、その必然やすべての一部分ですよ自分は。ですから必然やすべてを動かしたり作り出して行くユニットは自分なんですよ。僕なんですよ。僕が今いかに在るかと言う事が、必然やすべてが如何に動くかを決定するんだ。右へ行くか左へ行くか、僕が決定した事が全体が右へ行くか左へ行くかを――
舟木 決定はできんよ。そうじゃないか、君たちの考えによれば、君には自由意志は無いのだ。他から、つまり客観的な諸条件から決定されている。従って君たちには決定は出来ない。
省三 ちがいます! それこそ、まるっきり反動的な、科学と言うものを、ただ試験管の中でバクテリヤを培養することだと、それだけが科学だと思っているものの固定観念ですよ。主体は動き得るんですよ。生きてるんですよ。
舟木 試験管の中のバクテリヤも動くし、生きているよ。
省三 よした、もう! 兄さんと、いくら議論しても同じ事だ。ただねえ、なるほどバクテリヤと同じかも知れんけど、このバクテリヤはジッとして居られないんだ。そうじゃないですか、又戦争が起きるかも知れないんですよ。このままで進めば。すると又、バタバタ虐殺が始まる。真先に引っぱり出されるのは僕らだ。ジッとしてはおれない。なんとか、これを喰いとめるために、なんとかしないじゃ――
織子 それは、わかるわ私にも。
省三 それをしているまでもないんですよ。主義がどうの政治がどうのと、いや、それもありますけどね。結局は、根本的には今言った気持のために、動かざるを得ないんですよ。そして動くとなると、今の世の中を見わたして足がかりになる思想は、これしか無いんです。そうなんですよ!
舟木 フ! そうなんだよ。又戦争が起りそうだから、それを喰いとめなきゃならんと思って、お前たちが運動しているのは、いいとしよう。ところが、そういう運動そのものが、既に次ぎに起り得る戦争の原因を拵えあげているじゃないか、戦争を喰いとめようとする努力そのものが戦争の原因になりつつある。そういう矛盾をお前たちは犯しつつある。もちろん、お前たちの反対の側の自由主義国の連中も、同じ矛盾を犯してるがね。
省三 違いますよ。自由主義諸国には積極的に戦争をしかけなければ自分たちの政治体系を維持して行けない内部的矛盾があるんです。一方の側は、それを受けて、つまり、やむを得ない防衛として戦争を考えているだけだ。
舟木 いや、仮りにそうだとしてもよろしい。そうだとしても、そう言う考えをも含めて、それがもう既に、そのもう一方の側の戦力の一部分に組み込まれている。それを俺は言っているんだ。
省三 じゃ僕らはどうすればいいんです?
舟木 ジッとしているんだね。
省三 ふ、なにもしないんですか?
舟木 僕は医者だ。或る種の病人には絶対安静を命ずる。
省三 すると僕は病人ですか?
舟木 奔馬性結核と言うのがある。初感染の患者に多いよ。お前は精神的にそれだ。出征するまで、まるでそう言う事は考えないで、戦争して、帰って来るや、いきなり、やられた。
省三 ハハ、ハハ!
舟木 それに、或る程度の分裂がある。
省三 得意のフロイディズムですか。アッハハ!
舟木 笑おうと笑うまいと同じ事だ。分裂者は分裂に気が附かない。気が附けば、附いた瞬間から、それは治る。お前が政治的な又は思想的な運動の中で犯している矛盾も、お前が実生活の上で犯している矛盾も、同じさ。たとえば学資だ。僕は、お前がおとなしく勉強してくれて、とにかく大学を卒業して、左翼をやろうと思ったら、それからなら好きにやったらいい、それまではそんな事しないで勉強してくれれば、僕は病院での仕事をもう少しふやして金を余分に取って、それをお前の学資にまわしてよいと言ってる。だのにお前は運動をよさない。僕が余分に稼いでお前に廻せば、僕は間接にお前たちの政治活動を助けることになる。それは僕はイヤだ。だから金はやれない。するとお前はアルバイトしたり、血を売って、その金で食って、勉強そっちのけに、政治運動に駆けまわってる。その、輸血協会に血を売る、それがそうじゃないか。血を売った金で食って、食って出来た血を売る。食うために売るのか、売るために食うのか。メシを食っている時など、妙な気持になる事は無いのか?
省三 ハハ、アッハハ、ヘヘ!
舟木 その矛盾に気が附いていればいいんだ、自分が、気が附いていれば、分裂じゃない。病気じゃない。
省三 ヘヘ!
舟木 気ちがいは笑うよ。
省三 ハハ、ヒヒ、アッハハ……(その笑い声の尾の所でヒー、ウーと泣き出している)
織子 省三さん、もうあなた――(省三の肩に手をかける)
舟木 (その弟の姿をジッと見ていてから)……お前の苦しいのは、多少わかる。……だから俺あ言ってるんだ。もっと落ちついてくれ。三階の先生も、こないだ言ってたろう、第三の道が無いわけではない。俺は医者で深いことはわからんが、第一の道でも第二の道でもない、だな。それを見つけるには先ず落ちつく事だ。お前はちっとあの先生とでも話して見ることだ。
省三 (織子の手を不愉快そうに振り切って立ちあがる。涙の流れた顔をゆがめて再び笑う)ヘヘ! おかしいですよ! 矛盾は知ってるんだ。血を売ったって、しかし、心臓を売ったって、しかし、おれたちは叩き倒さなければならん奴らを叩き倒して見せる! 見ていろ! どうせ戦争で捨てた命だ。理屈じゃ無い、憎くて憎くて、俺あ憎くてたまらないんだ! ヘッ、兄さんみたいなニヒリストに何がわかるか!
舟木 ニヒリストじゃないよ俺は。俺はこれでも医学という科学を信じている。……お前はもっと自分に素直にならなきゃ、いかんよ。無理が多過ぎる。たとえば――そうだ、お前は若宮の房代さんを、まるでダカツのように嫌ってるが、なぜそんなに嫌うんだ?
省三 嫌いだから嫌いなんですよ! 腐れパンパン! ペッ! ゲェ!
舟木 ホントにそうかね?
省三 ホントですよ。なぜそんな事言うんです? あんな女は戦争が生んだ悪の中でも一番下劣なウジのようなもので、あれにくらべると食って行くだけのために有楽町などに立っている連中は、まだ清けつだ!
舟木 いや、それならそれでいいが、僕には必らずしもそう思えないからだ。青年は青年らしい恋愛の一つもする事だ。そうなったら、そうなった自分をアッサリ認める事だ。房代さんの事には限らない。一事が万事で、自分に対して嘘ばかりついていると――
省三 ヘッ! 兄さんだって、じゃ自分に嘘をついていないと言えるんですかね? なんじゃないですか、兄さんはどうしてこんな家にいつまでもトグロ巻いている? 病院にゃチャント宿舎があるのに、わざわざこんな郊外の不自由な家に? 広島のお姿さんが死ぬのを待っているんじゃないんですか?
舟木 なにい? (立ちかける)
織子 あなた!
省三 ヘヘ! (笑いながらスタスタと室を出て行く)

     8 私の室

私 いや、そう問いつめられても、正直、僕にはわからない。そりゃ、第三の道と言うのは在るような気はする。少くとも在り得るとは思う。しかし、現在、僕が駄目になっているんだ。積極的に、この、生きると言う事が、どうにも考えられなくなっている。そんな人間がただ観念だけの問題として、つまり自分が生きると言う場から離れた思想として第三の道などを言って見たって、しょうがない。つまり今の僕には実はそんな事興味が無いんだ。わからんとしか言えない。
省三 しかしですねえ、こないだ朝鮮問題を此処で話していた時――たしか須永君なども一緒にいた時ですよ。ええと、須永君どうしました? もう帰ったんですか?
私 いや、二階で花引いてるようだった。
省三 ……つまり二十五時の問題と言いますかね、あれを話した時に、あなた言ったじゃありませんか。朝鮮で起きている事は本質的には日本でも既に起きている。目には見えないが三十八度線は日本内地にも引かれている。それを境目にして、その向う側の第一の勢力と此方側の第二の勢力の対立の中間には実際的にはどんな立場も存在し得ない。そこまでは、あなた認めましたね?
私 三十八度線は線だからね。線には幅は無い。その上に人は立てない。そこに立とうとした、立って南北朝鮮を妥協させ統一に導びこうとした金九などは、その瞬間に殺された。生きておれないんだな。……そう認めたよ。
省三 認めといて、そいで第三の道、つまり、線の上に立てと言うんですか? すると、死ねという事を言ってるんですね?
私 いや、死ねだなんて、そんな――だから私には答えられないと言ってるじゃないか。ただね、どういうわけだか、自分でもハッキリ言えんが、僕が一番注目し、大事に思い、尊敬するのは、金日成でもなければ李承晩でもない。殺された金九だ、日本の国内を眺めても同じ事が言える。徳田球一も吉田茂も、私には、もう何かの影ぼうしのように見える。両方とも私には退屈だよ。そいで、いつかほら、両方の側から痛めつけられて自殺した菅季治、あの人の事は忘れられない。時々、夢に見るよ。尊敬すると言っては当らないんだなあ。大切な人なん
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