のが三百ばかり有りましたろう? あれの利喰いをあきらめて、そっちい廻しときました。数字は後でお部屋に行って申しますよ。
柳子 そう、そりゃ、ありがたかった。……モモちゃん、もっと食べなさい。
モモ うん、もうたくさん。
省三 ただ今。(言いながらスタスタ入って来る。二十六七の、大学生にしては少しふけて見える、眼の鋭い青年。黒い制服)
織子 ああ、お帰んなさい。ほらね、デモに行ったんじゃなかった。
省三 なんです?
舟木 夕刊に警官と大学生が又衝突してるからさ。
省三 冗談じゃない、年中そんな事やっていると思ってる。(食卓に坐る。その時、省三の入って来たドア口から須永がユックリ入って来る。青い背広の、省三と同年位で、柔和な青白い顔。入口の所に立ってユックリその辺を見まわした眼を桃子の上に停める)
私 ……須永君じゃないか。
須永 はあ、今晩は。
私 いつ来たの?
須永 ええ、あのう――
省三 (飯を食いはじめながら)表まで戻って来たら、門の所でボンヤリ立っている人がいるんで、見たら須永君なんで。
私 そう。掛けたまい。しばらく見えなかったね。
須永 ええ。(言いながら、まだ眼が桃子の方にしばり附けられている)
房代 どうぞ、こちらへ。
モモ 須永さん、こっちへいらっしゃい。
須永 ありがとう。(空いている椅子にかける)
モモ どうかしたの? (顔を突き出している)
私 夕飯はすました?
須永 いえ。
私 まだかね?
須永 いえ、いいんです。
私 どっち? まだならなんか――
織子 有りましてよ。どうぞ、あの――
須永 いいんですよ。
私 遠慮したって、はじまらん。
須永 あの、ちっとも、おなか空いていませんから。
私 そうかね。……(織子に)いいですよ。
モモ どうしたの須永さん?
須永 え?
モモ 声が変よ。穴の中から聞えてくるみたい。
柳子 失礼なこと言うもんじゃないわ、モモちゃん。
モモ うん。……(片手を伸して、わきに掛けた須永の肩にさわっている)
須永 フルートはやっていますか?
モモ 聞かせたげましょうか?
須永 ええ、どうぞ、是非。
私 なんか用が有るんじゃない? 僕の部屋へ行こうか?
須永 はあ、いえ、しばらくお目にかからないもんで、ちょっと。
私 つとめの方は行ってる?
須永 ええ。
私 何とか言った、劇団、ズーッとやってるの?
須永 あれは、こないだ、もうよしました。
私 そう? しかし、たしか君などが中心になってやってたんじゃない、その君がよしたとなると――?
須永 ですから解散と言う事になりました。
私 でも、あれだけ熱心にやっていたものを、どう言う――?
須永 ええ。……
若宮 さあてと、ごっつおさん。(ガタガタと立つ。ウィスキイのびんだけは離さぬ)柳子さん、あたしんとこに来て、ちっと飲みませんかね?
柳子 ありがとう。でもそれよりも、私の部屋で久しぶりに二、三年いかが?
若宮 いやあ、差しではあなたにむかれるに決っとるんだから。勝目の無い勝負は勝負とは言えん。
柳子 御冗談。先生や浮山さんも、いかが?
私 あとで伺いますかな。(立ってユックリと歩いてドアの方へ。須永も自然にそれに従うような形で歩き出している)
浮山 御馳走さん。(と箸を置いて)あたしは手入れが残っていて、地下室にもぐりです。(立つ)
房代 私も入れて。
若宮 (室を出て行きかけドアの所で聞きとがめて)へえ、お前も引けるのか?
柳子 どうしてあなた、今どきのお嬢さん、早いのなんのって。
若宮 そうですかねえ。(房代に)お前はトランプやサイコロ――何とか言った、そう、ダイスか。あの方じゃなかったのか?
房代 なあによ、そんな――?
若宮 ハハ、いやなに、ハハ――(笑いながら去る)
省三 (それまで黙々として飯をかき込んでいたのが、ジロリと房代を見て)ヘッヘ、ヘ!
房代 なんですの?
省三 ふっ! (モグモグと食っている。それを睨んでいる房代)
舟木 (立って出て行きかけながら)省三、あとでちょっと話したい事がある。(出て行く)
省三 うん。
3 私の室
私 ……(暗い廊下を、須永を従えてユックリと歩き、それから三階への階段を休み休み昇って行きながら)なんの変ったことも無い、昨日も一昨日も一カ月前も同じ平凡な夕食の風景だ。この須永のような青年が訪ねて来るのも、ほとんど毎日のことで、若い人たちは好きな事をしゃべり、好きな事をして帰って行くので、私は相手になったりならなかったり、眠くなると捨てて置いて自分だけ眠ってしまう事もある。私はもう人を愛さない。憎まないと同じように愛さない。人は勝手に私の所に来るがよいし、又勝手に私から去って行くがよい。私はただおだやかな眼で、それを見送るだけだ。既に私は生から何も期待しない。以前はこうではなかった。若い人たちが詰めかけて来ると私はカッカと燃えて相手になった。あまり私が熱中するので、お前はそれを嫉妬したことがある。その火も消えた。だのに若い人たちは、まだやって来る。この須永もそのような青年の一人だ。
二三年前に頼まれて、或る演劇研究の講座に一度話しをしに行った、その研究生の一人でごくおとなしい男だが、私がその時「演劇なんかどうでもよい。いかに生き甲斐あるように生きるかが問題だ。そのプログラムの一つとして、われわれの生を充たすプログラムの一つとしての演劇が大事なだけだ」と言うような事をしゃべった、その事に強く共鳴したと言って、それ以来時々訪ねて来ては、いろんな事を聞く。口数の少い男で自分の事はあまり言わぬから身辺の事はよく知らぬが、たしか近県に母と弟があり、自分は東京で下宿して、或る土建会社の事務につとめ、夜芝居の勉強をしている。戯曲も書くと言うが一度も読んだことは無い。頭も良いし、素直で重厚な人がら故、相当の物を書いていると思う。ただ、どこか女のようにはにかみ屋なので、読んでくれと言って持って来れないらしい。そうだ、人と言えば、その最近解散したと言う研究劇団の女優で、三四度私の所へもいっしょに連れて来たことのある、夢を見るような眼つきをした園山というのと、たしか恋仲だ。この男の口から聞かされた事は無いが、多分私のカンは、はずれていない。……(二人とも三階の私の室に入っている。私、電燈のスイッチを入れ、明るくなる)おかけなさい。
須永 はあ。(椅子にかける)
私 ホントに何も食べないの? ビスケットぐらいなら、ここにもある。
須永 いいんです。
私 ……そいじゃ、ブランディが少しある。(テーブルの袖からビンとコップを出して注ぐ)……はい。
須永 すみません。……(素直に飲む)
私 (これも一口飲んで)だけど、解散したと言うのは、どう言うの? せっかく、あれだけ熱心にやっていたのに? 二年ぐらい続けて来たんじゃないかな?
須永 僕に責任があるんです。みんなに悪いと思ったんですが。
私 だからさ、君のどう言う気持から――?
須永 いえ、別に――
私 話したくなければ、聞かしてくれなくてもいいけどね――仲間割れでもしたと言った――?
須永 いえ、それも多少あるにはあったんですが――なんだか芝居をするのがイヤになりまして。……どうやっても追いつけないんで。
私 ……先輩の、もっと上手な役者に追いつけない?
須永 いえ、僕が、僕に追いつけないんです。いくら追いかけても、追いつく事はあり得ない。……ホントの、この、真実と言いますか、つかまらないんです。
私 よくわからない。……けど、そいだから、芝居の勉強してたんじゃないの? それをつかまえる、そいで、つかまえ得る手がかりとして演劇と言うものを――
須永 そう思っていました。そいで今までの演劇、つまり日本の新劇やなんかの、先生がいつかおっしゃった人生ミミック、物真似芝居の間違いを、自分たちなりに改革して、つまり創造としての芝居を生きて見よう――そう思って、又、そう出来ると思って、やって来たんですが、そいで勉強して来て公演を五六回やって来て、ヒョッと気が附いたら、僕らのしている事は先輩たちの、その物真似芝居の、その又物真似だったんです。……じゃ、ほかに、どんなやりようが有るかと考えたんですが、無いんです。僕らには、その他に方法が無いんです。……そいで、もう、ガッカリしちゃって。……そうかって、僕らの今までの生活、と言いますか、――そん中には戦争というものが有ったきりで、あと何も無い。僕らの持っている現実と言ったようなものは、空っぽで、まるで影ぼうしです。……そいで、やめちまいました。
私 ……わかるような気もするが、しかし――
須永 あなたには、わからないんです。だろうと思います。
私 ……うむ。……そいで、ほかのみんなは――ここにも来た園山君だったか、あの人など、どうしてる?
須永 あれは、死にました。
私 え、死んだ? ……それは、どう――?
須永 はあ。
私 ……そうかね、それは――
[#ここから3字下げ]
(間。……どこかで笛の音がしている)
[#ここで字下げ終わり]
須永 モモコさんは、眼が見える望みは、もう無いんですか?
私 うむ?
須永 いえ、モモコさんですねえ――
私 ……だが、あの園山君という人と君とは、この、たしか――?
須永 ……(笛の音に耳をすましている)
私 どうして君は笑えるの?
須永 え? ……笑っちゃいません。
私 ……そうかねえ。ハッキリとはおぼえていないが、綺麗な人だった。なくなられたのは、いつ?
須永 おとついの――
私 おとつい?
須永 いや、先月の、おとついに当る――いえ、十五日ばかり前かな。
私 ……どうしたのだ此の男は? 恋人が死んだ事を語るのに微笑んでいる。その日もハッキリおぼえていないらしい。落ちついていて、錯乱した形跡など少しも無い。……すると、この男とあの女は恋人同志ではなかったのか? そう思ったのは私の錯覚だったのか?
須永 ……(それに答えるようにスッと立って一二歩窓の方へ歩く)
私 なにかね?
須永 フルートです、あの。
私 うん。モモちゃんが二階で吹いている。
須永 ……(ジッと聞いている)
[#ここから3字下げ]
(暗くなり、別の所が直ぐ明るくなり、そこは二階の洋室。以下、転換はすべてフラッシュ風に早く、なめらかに)
[#ここで字下げ終わり]
4 洋室
[#ここから3字下げ]
(こわれて使えないマントルピースの前の、これも古びているがそれでもまだ血をぶちまけたような鮮紅色のじゅうたんの上に、桃子が真白な素足でサギのように片足で立ち、もう一方の足は立っている方の足の甲の上にのせ、直立してフルートを吹いている。曲では無く、たんじゅんな二小節を、ただ息の続く限り、くり返しくり返し吹くだけ。細くたえだえな、それでいてどこか野性の、たけだけしい音色。
………………
はてしの無い繰り返しをフッとやめる。そしてまたたきをしない眼を一方にやっている。その視線の先きの、暗い所に、いつの間に来たのか須永が音をさせないで立っている。
桃子の見えない眼が須永を見ている。須永も桃子を見守っている。……
桃子が何か言いそうに口を少し動かす。しかし声は出ない。
須永は、しかし、桃子から話しかけられたように、足音をさせないで、二三歩寄って行き、じゅうたんの上にのる)
[#ここで字下げ終わり]
5 地下室
[#ここから3字下げ]
(真暗な中に、天井にわたされたケタから下っている円筒形の笠から落ちる電燈の光の中で、台の上にのせた平たい木箱を左右から覗きこんでいる浮山と柳子)
[#ここで字下げ終わり]
柳子 へえ、こんなものがお金になるんですかねえ?
浮山 金になるかならんか、まだわかりませんよ。なんしろ、養殖法の手引書一冊きりで、やりかけたばかりなんだから、しかし、うまく行くと、まあ、将来性は有る。
柳子 でも、こんな地下室の暗い、しけた所でなく、上の温室かなんかでは出来ないの?
浮山 駄目らしいんだ。方々でやっているのも、戦争中、山ん中などに掘った横穴壕を利用している。爆弾をよける
前へ
次へ
全17ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング