た二品か三品の御馳走だけど、戦争の直ぐあとは勿論だけど、これで去年あたりと較べても、まるで夢のようね。
房代 それはそうですわね。材料だけから言っても、三四年前には手も出なかった物ばかり。
織子 それを思うと、あたしなぞいろんな事思い出して泣きたくなる。なんだかだと言っていても、すべてが良くなって来ているのねえ。
浮山 (シャツ姿で入って来る。手に三四枚の夕刊新聞)良くなって来た? なにがです? ……や、こりゃ御馳走が出来たな。
織子 いえ、その御馳走がですの。たかが手作りの惣菜料理なんですけどさ、二三年前の思いで見ると、まるで豪華と言ってよいか。
浮山 そら、そうだ。戦争中から終戦直後など、大豆しか無かったんだから。金も無いにゃ無かったが、たとえ有っても肉も魚も手には入らなかったんですからね。思い出すとゾッとする。
織子 うなされていたような気がしますわね、あの時分のこと考えると。それがしかし、又ぞろ再軍備だとか徴兵だとか、あっちでもこっちでも又々おかしな調子になって来てるんですからね、人間なんてホントにまあ……。
浮山 死んで亡びるまで、又しても又しても、うなされるのが人間かも知れませんね。仕方が無い。
織子 仕方が無いで諦めていられれば、なんですけどさ――
房代 鈴を鳴らすわよ。せっかくの御馳走が冷めちまう。
浮山 よしよし私が――(棚の上の大きい鈴を取って振り鳴らす。古雅な音が家中に反響して、遠くへ消える。……その反響の先きから笛の音が起きる。笛は単調な二節ほどを長く引いて近づく)
房代 ああ、モモちゃん、来た。(その方角に附いているドアを開けてやる)
織子 さあてと。(電燈のスイッチを入れる。そこらが目がさめたように明るくなり、大テーブルにすっかりととのえられて並べられた食物や食器が華やいで光る)今ごろになると、もうスッカリ暗くなる。外はあんなに明るいのに。
浮山 いや、外も、もう明るいのは空だけだ。
若宮 よう。……(言いながら、房代の開けたドアからセカセカと入って来る。手に小さいソロバンと手帳)いつもより遅いなあ今夜は。(言いながら正面の一番良い席の椅子にかける。浮山は夕刊を開く)
房代 お父さん、自分がいつもより早く帰って来たもんだから、あんなこと言って。
若宮 そうかな。……(卓上をジロジロ見まわして)よう、フライか。一杯いかざるを得ずと言うとこだな。
房代 揚げてあると、なんでもフライだって言うの。織子さんのフランス料理の腕が泣いてよ。
若宮 でもフライなんだろ。ハハ! (セトモノのカケラを打ち合せるような、短い断ち切るように笑う癖。織子に)フランス語では、じゃフライは何と言うんですかね?
織子 ホホ、ようござんすよ、フランス料理ってほどのものではございません。
若宮 ございませんか。(と既に上の空で相手の言葉は聞かないで、皿のわきに開いて置いた手帳に向ってソロバンをパチパチはじいている)ううむ、と……。
[#ここから3字下げ]
(その様子を房代は舌打ちするような軽蔑の顔で見るが、織子も浮山も馴れているため、格別の反応は示さぬ。……柳子と桃子が同じドアから入って来る。柳子はわざと黒っぽい絹の和服にくし巻の髪。ひどく若く三十三が二十五六にしか見えない。桃子は黒のスェータアにネーヴィ・ブルーのダブダブのズボンで、ポカンと開いたままで見えない両眼だが、盲人らしいオドオドした所は無い。ピンとした身体つきが少年のようだ。片手に銀の笛)
[#ここで字下げ終わり]
織子 どうぞこちらへ柳子さん。
柳子 はばかりさま、すみませんわね。そらモモちゃん、こっち。(桃子の背を抱き、椅子を引いてやってかけさせ、自分もその隣りの席につく)
浮山 モモコ、また柳子小母さんとこにおじゃましてたのか?
モモ ううん、小母さん迎えに来て下さったの。
浮山 なんだ、すると又塔に登っていたのかい? いかんなあ、こんなに言っているのに。
柳子 でもね、モモちゃんは平気よ。危いのは私たちの方ね。なまじ眼が見えるもんだから、足がブルブルしたり。
浮山 ですから、ですよ。人さまに、この――
柳子 それよ、あすこに登ると良い景色。遠くの空の色が、今時分になると、あれは何と言えばいいのかしら、広重のなんとか――あら、ごめんなさい、モモちゃんには見えないわね。
モモ ううん、見えるよ。
房代 あら、じゃ、だんだん見えるようになって来たの?
モモ ううん、そうじゃない。けど見える。
浮山 とにかく、黙って登るんだけはもうよしてくれないと。
舟木 皆さん、今晩は。(言いながら別の出入口から入って来る。キチンと背広を着て、医者と言うよりも学究と言った人柄)
織子 あなた、ここへ。
舟木 うん。やあ、御馳走だな。
私 ……(ドア口から入って来て一同にえしゃく)
舟木 (それに向って)こっちへ来ませんか。どうです工合は?
私 ありがとう。ええ、まあ。……(微笑しながら、舟木のそばに掛ける)モモちゃん、今晩は。
モモ ああ先生、今晩は。
舟木 (浮山のまわした夕刊を開きながら)織子、省三はまだ帰らないのかね?
織子 ええ、今日はアルバイトの日だから。でも、もう間も無く帰って来るんでしょ。
舟木 アルバイトならいいがねえ。こんなふうな事に又参加してるんじゃないか?
織子 なんですの?
舟木 大学生と警官の衝突さ。
織子 (夕刊をのぞき込みながら)でも近頃ではオマワリの方でも随分横暴なことをするようよ。
房代 近頃じゃ共産党の乱暴と人殺しの記事ばかりじゃないの。そら、ここにも、弟殺し、そいからここにも、三人殺し。イヤだ! どういうんでしょ?
浮山 そういう時代なんだな。
私 モモちゃん、フルートは上手になったの?
モモ ちっとも。息が私、つづかないから。
私 でも、ホントに好きなんだね。いっときも離さない。
柳子 そうなんですよ。だからこれでいいんですよ。芸ごとと言うのは、そのお道具を自分の身体に年中ひきつけていて離さないようにしてりゃ、いいの。あたしがその内、立派な先生をめっけてあげる。
モモ うん。……(ニコニコしている)
若宮 (それまで他の一同に関係無くソロバンを入れては手帳に数字を書きこんでいたのが、計算がすむと、それをサッサとポケットにしまいこんで)さあて、いただくか。(と箸を取って、一同を見まわしてキョトリとして)どうしました?
織子 どうぞ、召上って。
若宮 そうだ、房代、ウィスキイがまだ有ったっけ。出しておくれ。
房代 でも、後になすったら。皆さんに悪いわ。
若宮 なにが? だってホンの一杯飲むだけの――なにもお前、ここは自由主義なんだから、(私に)ねえ先生。
房代 それに、織子さんに悪いわ。
若宮 どうしてさ? お祈りは、なすったらいいじゃないか。(ノコノコ立って棚の上をキョロキョロさがして、ウィスキイのびんとコップを二つ三つ持って元の席へ)……ねえ奥さん。
織子 ええ、ええ、どうぞ御遠慮なく。
若宮 ハハ、そうれ見ろ。一つ、いかがです。(自分と私と浮山の前にコップを置いて注ぐ)カナダの何とかって、そんなに悪くはありませんよ。
私、ありがとう。
[#ここから3字下げ]
(その間に、織子は食卓の隅で、眼をとじて短かい食前の黙祷をする。他の者は静かにして祷りの終るのを待ってやる)
[#ここで字下げ終わり]
織子 (祷り終って)あら、困るわ、どうぞ皆さん、おはじめんなって。
若宮 ハハハ、こりゃ、うまい、このフライは。(もう食べている)
柳子 いただきます。(桃子にも箸を持たしてやる)
モモ ……いただきます。
柳子 あら、おいしいわ。モモちゃん、こっちのこれ、食べてごらんなさい。
浮山 (ウィスキイを飲み、料理を食う)うん、こりゃうまい。
柳子 こんなうまい物いただいて、今週はありがたいけど、来週は私と房代さんの当番なんだから、怖いな。ねえ、房代さん。
織子 あら、そんな事ありませんわ。柳子さんのお吸物なんか、あんた、今じゃ一流の店へ行ってもいただけない。
若宮 そりゃそうだ。きたえ込んだ、あんた、これで舌だもん。ハハ、そちらさまはお困りだろうが、われわれの方は、これで、今週はフランス料理、来週は日本料理と言うわけで、ありがたいわけ。ねえ舟木さん。
舟木 だけど、若宮さん、ウィスキイはそれ位にしとかないかな、さわるといけない。
若宮 だって、日本酒じゃいけないが、ウィスキイなら良いんでしょ?
舟木 いや、そりゃ、極く少量なら日本酒ほど障りにならんと言うだけで積極的に良いと言うわけじゃない。
若宮 先生はけんのん性なんだなあ。そりゃお医者としては用心第一にこしたことは無いんだろうけんど、連盟の方に来ている香月博士なんぞあたしの腎臓なんぞ簡単な物理療法で治せる程度の、なあんでもないと言いますよ。
舟木 そりゃ、そうかも知れんけど、でも、たしかその香月さんと言う方は外科かなんかで、専門ちがいの……いや、とにかく、一度なんだな、チャンとした医者で本式に診てもらった方がいいと思いますがねえ。
房代 あたしも始終そう言うんですけど、昔っからお父さんはお医者には絶対にかからないんですの。そのくせ拝み屋さんなどの言う事は聞くんです。連盟のその香月さんと言うのも結局指圧療法の先生みたいな。
若宮 ハハ、お前などに何がわかるものか。医者にかかろうとかかるまいと人間は死ぬ時は死ぬし、死なない時はぶっ殺しても死ぬもんじゃ無いさ。第一、株屋と言った、つまり勝負師がですな、イザと言うセトに、たかが腎臓だのションベン袋だのを気にしていたら――
房代 まあ、お父さん!
若宮 う? あ、こりゃ失礼。ハッハ、ハハ。(他の三四人も笑う。一同食事をしながらの会話である)
浮山 すると若宮さんは、その後もズッと再生連盟の方へ行っているんですかね?
若宮 やあ、いや私は再生連盟よりも後藤先生が追放解除になって、この、又会議所の元の連中と動き出そうと言うんで、そういう引っかかりで、いろいろと頼まれる事が多くて、そいでまあ連盟の方へも行ってます。ハハ、だんだん面白くなって来ていてね。
浮山 だが、どういうもんだろうなあ、そういう連中が又々頭をもたげて来て、あれこれと引っかき廻すようになるのが、どういうもんかなあ、ねえ? (私に)
私 そう。……ありがたくはありませんね。大体まあ現在の四十代五十代以上の人たちは、ホントは何をする資格も無いわけだし、事実、もう駄目でしょう。だけど戦争後に頭をもたげて来た連中は、みんないずれも粒が小さいのだから、やっぱり元の連中が又押し出して来るのも、或る程度まで、やむを得んかも知れんなあ。
若宮 それでさ! 粒が小さいだけなら、まだ良いんだ。たいこもちみたいなグナグナな、あんた、バックボンとか言ったな、あちらさんの前でもこちらさんの前でも、ただもうペコペコこいてるだけで、へえ、ひっこしのねえ段ではないんだから。ちいっとシャンとした奴あ、シャクにさわるが、みんな赤です。こいつが又、ほかの事ではシャンとしているが、こんだ向う側一辺倒と言う奴で、そっちい向いたとなるとペコペコもグナグナも無い、ナメクジが塩うかぶったと同じだからねえ。やっぱし結局はドシンとした元の人たちが出て来てくれないじゃ、政治にしたって経済にしたって立ち直りゃしないと私は見るね。
柳子 そんな事言うけど、株屋が政党などにおちょっかいを出しはじめたら、もうおしまいじゃないかしらね、あんたの前だけど。
若宮 と、とんでも無い! 政党におちょっかいを出すなんと、そんな柳子さん、若宮猛なんて株屋、株屋と言ったって、あんた、買うたか買わんかの、ノミ屋に毛の生えたような小者だのに、政党に手を出すなんて、あんた、先さまが笑わあ。ただ私あ、会長の後藤先生とは旧い縁で、だから、あちこち使い走りをしているまでで――
柳子 そんな事より先日お願いした炭坑株の山左の方への保証金、ちゃんとナニして下すっといた?
若宮 あ、ありゃ、ちゃんとしときました。まだ報告しなかったかいな? 鉄の方の、そら、保証金で山左にあずけといた
前へ 次へ
全17ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング