乾いた、冷たい声)ソロソロもう夜が明ける。つまらない騒ぎはよそう。(須永を強い眼ざしで見て)須永君。君はもう出て行つてくれ。君を私は好きだ。しんから好きだ。しかし、どうしてだか、君がまじっていると、われわれは、こわれてしまうようだ。君はもう、われわれの間にとどまっておれないような事を、してしまった。すまないが、出て行ってくれ。
須永 よくわかります。出て行きます。
私 その前に聞かせてくれないかね? 君は、なぜそんな事をしたの? 君はそれを聞かせてくれたが、私にはまだよくわからない。
須永 僕にもよくわからないんです。
私 しかし君は狂人ではない。
須永 そうでしょうか?
舟木 その恋人のあい子と言う人は、実の母親と義理の父親との間の性生活を長く見さされて病的にセックスを嫌った。義理の父と言うのが動物的に荒淫の男であったかもしれない事が考えられる。更に、もしかすると、その父は義理の娘を犯したのだと言う所まで考え得る。が、しかし、そこまで考える必要も、証拠も無い。セックスに対する恐迫観念が固定してフォビヤになるには、それだけでも充分だ。それが君、須永と言う恋人を得た。君は女の身体を要求する。少くとも近い将来に要求することがわかっている。それが怖い。それに近寄らずに、そして君を失うまいとすれば、心中する以外に無い。それでその約束をしたが、心中する前に肉体的にもつながると言う事を君から言われた。フォビヤが彼女をなぎ倒した。張りきった弦が切れた。それで明日君と一緒になるのを待たずに一人で死んだ。
須永 そうでしょうか?
舟木 そうだよ。そいで君は、あと、一人で生きて行く拠り所を全くなくした。直ぐに、だから、死ねばよかったのだ。
須永 直ぐに死ねばよかったのです。
舟木 だのにウロウロ生きていた。死んだ恋人をフォビヤに追いこんだ実体、その父と母が前に立ちふさがっている。特に父親は転位された君自身だ。君には恋人を殺したという意識がある。同時に彼女を殺したのは父だと言う二重意識。それがダブッて決定的な焦点を結んだ。米屋は反射的にやっただけだろう。
省三 ちがうんだ! 米屋が兵隊服を着ていたからだ。兄さんにゃわからない。俺たちの世代が兵隊服に対してどんな実感を持っているか。俺たちをおびやかし駆り立てる亡霊だ。その父親をやったのだって兄さんにはわからない。兄さんにわかるのは、せいぜい一人よがりのフロイディズムで切り込んで行ける所までだ。ホントは須永君は復讐したんだ。おれたちの前に立ちふさがって、俺たちを押しふせようとするものを、わきにどけただけなんだ。そうだね。須永君?
須永 君の言うことも、(舟木に)あなたの言う事も、どっちもわかりますけど、自分がどうだったのか、僕にはハッキリしない。頭が痛い。もうかんべんして下さい。
私 私の知りたいのは、そんな事よりも、須永、君は、その最初にどうしてその、あい子さんと一緒に死ぬ気になったの? 互いに好きなら結婚するなり、又、あい子さんが結婚はいやがっているなら、それはしなくても、なぜ死ぬ気になったの? そこの所が私には一番わからない。
須永 ああ、それなら僕にはハッキリ言えます。息がつけなくなったからです。呼吸が苦しくて、窒息しそうになったんです。ピストンは段々、段々に押されて来る。空気は狭くなり圧力を増し、熱して来る。二度と鉄砲を持たされるのはイヤだ。右の足も左の足も、足の裏からジリジリと焼けて来る。どこにも立っておれる所が無い。宙にぶらさがる事は出来ない。逃げ出さなければならない! 脱出! 脱出しないと、歯車はギリギリと、もう既に廻っている。煙硝の匂いがまだ消えないのに、原子爆弾は二千個に達した。イエスと言ってもノウと言っても、どちら側かに組み込まれている。第三の場所は無い。殺すまいとする事が、殺さざるを得ない原因になる。平和に近づこうとすると戦争に近づいてしまう。生きようとすると、死ななければならん。生きているものは、生きたままで死骸の臭いを立てはじめた。ハハ、矛盾の大きさは、悲劇ではなくて喜劇になってしまった! こっけいになったのです。笑いながら、僕は崖を飛び降りただけです。窒息しそうになったので、壁を僕は押しただけだ。
省三 わかる! そうなんだ! 窒息だ! 戦争が又はじまろうとしている! このままで行けば俺たちは、みんな窒息する! (言って、スーッと房代のわきへ進んで行き、いきなりしっかりと抱いてキッスをする。そのままで、いつまでも離れない)
私 それで、今は君は自由に呼吸が出来るのか?
須永 僕はもう呼吸をしません。だから自由ですよ。あなた方も、殺して見ればいいんだ! ハハ! ハハ! (さわやかに、少しも皮肉の味無しに笑う)
私 よろしい! 君は、もう出て行きたまい。
須永 出て行きます。ピストルをください。(私からピストルを受取る)モモコさん、行かない? (モモコの手を取って階段の方へ)
モモ うん。
須永 (階段の上に立ちどまって)生きると言う事は、殺すという事ですよ。あなた方は、みんな死んでいるんです。
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(モモコの手を取って上へ消える。残った一同は、須永の最後の言葉と共に、実際に死んでしまったように、全く動かなくなる。それは、ちょうど一撃のもとに全員が蝋人形になってしまったかのようである。……そのままで時間がたつ。次第に暗くなって来て、しまいに私だけを光の中に残して、他は全部見えなくなってしまう)
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私 (冷たい、しっかりした、低い声)しかし、私は生きて行くだろう。いや、今こそ、生きて行く。これまでは生きてもよければ死んでもよかった。しかしこれからは生きて行く。私も窒息しかけている。私の身体は足の方から膝、腰、腹、それから手、肱、肩と、だんだんに冷えこみ、しびれて来ている。われわれは死にかけている。だから、生きるのだ。だから生きて行けるのだ。ホントは生とは、かくのごときものだ。足元を死にひたされている故に、生は生なのだ。散って落ちれば花びらは泥になる故に、花は花なのだ。その先っぽが死につながっていなければ生は生ではない。……窒息は近づいている。それは必ず来る。望みはない。だから生き得るのだよ。だから生は在り得る。須永は窒息の不安に押し倒されたのだよ。私も不安だ。しかし押し倒されはしない。感情無しに、冷たく、それを眺め、迎える。窒息が最後に私のノドモトを掴みとるまで、私は私の歌を歌う。須永は恋愛をして、生の中の一番の生に触って見て、もう生きていられないことを悟った。私はお前の死と、そして今須永の死とに触って見て、生きて行くことを知った。私は冷たい鋼鉄のように生きるであろう。お前は私から立ち去って行きなさい。安心して私のそばから離れて行きなさい。私には私の闘いがある。私が私の闘いを残りなく闘い抜いた道の果てに立って私を待っていなさい。そこで私はお前に逢おう。……もう間もなく夜が明けるだろう。今日の夜明けから私は昨日までの私ではないだろう。生きて行くことを知ったからには、そして生きて行かなければならぬものなら、進んで生きよう。私は身体をもっと大事にしよう。仕事も始めようと思う。ピストンのチューブの中にも自由はある。ピストンに加えられる圧力が極限に達しても、空気が他の通路へ放出されないならば、チューブは爆発するだろう。そんなピストンは初めからピストンではない。ピストンならば通路は有る。通路は圧力が極点に近くなった個所、窒息の間ぎわの瞬間に有る。……二十五時の所に一人の人間が立ち得るならば、百人の人間が立ち得ない筈はない。百人の人間がそこに立ったのならば、それは二十五時ではなくて、午前一時だ。三十八度線は線だから幅は無い。幅の無い所に人は立てない。しかし人は三十八度線を頭で考えることが出来るならば、どうしてそこに立てない事があろうか。そこに立った次ぎの瞬間に死んだとしても、五秒そこに立ったと言う事は五十年でも立てるという事だ。……そうだ。イエスかノウかを決定することは、いつでも出来る。第一の道を歩もうと第二の道を歩もうと、たやすく出来る。われわれは既に力の前では奴れいだ。その力がいずれの側の力であろうと、大した変わりはない。決定はやさしい。大事なことは、そして困難なのは、決定を最後の時まで、圧力が極限に近くなる時まで、窒息の間ぎわの、そのトコトンの所まで引きのばし、持ちこたえることだ。引きのばし持ちこたえ乍ら、その中で衰弱せず、最後の時に、追いつめて来たものを振り返り、面と向ってそれを審判し、ノウと言うことだ。それだけの力を保って行くことだ。それが出来るか? 出来る! いや、できないかな? いや、いや、出来る。出来ようと出来まいと誰かが、誰でもが、しなければならぬ。……聞いているかね、お前、私はそれをしようと思う。そういう闘いを明日から闘おう。私の生き甲斐は、もうそこにしか無い。どうだね? 私は人から笑われるね? 刻々に、絶望だけが私を見舞うだろう。それを知りつつ、私は頬に微笑を絶やさないで、窒息に近づいて行く。しかし最後まで窒息はしないよ。お前は、わかってくれるか? ……右側の人たちと左側の人たちが、その時その時で、代る代る私をあざ笑ったり、おだてたりするだろう。そしてどちらからもホントの味方だと思われることは絶えて無いだろう。嘲笑されない時には利用されるだろう。利用されない時には嘲笑されるだろう。それ以外には全く扱われないだろう。そして、しまいには捨てられるだろう。捨てられて腐ってしまった時分に、どこからか「人間」が近づいて来てくれるかも知れない。来てくれないかも知れない。ハハ! ハハ! ……ハハハ! だって、こっけいじゃないか! 原子爆弾で人間はみんな殺され、死んでしまうかもわからないのだよ。それを、ほかならぬ人間自身が作り出して、使った! ハッハ! 神だけがする資格のある事を、人間が冒したんだよ! 冒した! もう取りかえしは附かない。それを使う事を決定し、ボタンを押した人の手は、その人たちの手は、まだ腐らないで腕に附いているのだろうか? お前は知っている! その人は誰だえ? …………(微笑を浮べた顔で、客席の方を、いつまでもいつまでも覗きこんでいる)
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(間)
(出しぬけに奥で、激しくガン、ガンガンとノックの音。死んだようになっていた浮山が飛び上って階段をあがり、外へ出る。……私はユックリそちらへ頭をめぐらす)
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浮山 ……(階段口から半身を見せて、低い声で)警察の人たちだ。
私 う? ……(そちらへ行きかけ、再びユックリと上半身をめぐらして、いぶかしそうに客席の方を覗きこんでいる)
20[#「20」は縦中横] 塔の上
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(暗い夜空の、どこかに月が昇りかけたと見え、下の方から濃紺色にほのめいている中に、塔はポカリと浮いている。その上に、夜空に向って半ばシルエットになって、相対して立っている須永とモモコ。須永は先程のままの姿で、右手にダラリとピストルをさげて、しげしげとモモコを見守っている。モモコはスベリと一糸もまとわぬ裸体で、左手にフルートを掴んだまま、エジプトあたりの彫刻でも見るように、なんの恥かしげも無くピンと直立している。足元に脱ぎ捨てた着物)
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須永 ……寒くはない、モモコさん?
モモ ううん、なんともない。
須永 きれいだ。
モモ お月さん?
須永 ううん、モモコさんが。
モモ フフ。その、あい子さんて言うの、きれいだった?
須永 うん、きれいだった。でも、身体は見たことなかった。
モモ そう? どうして?
須永 どうしてだか。フルート聞かしてくんないかなあ。
モモ お月さんが、もっと、ここんとこまで昇ったら。
須永 お月さんは、もう昇ってるよ。ほら! (と、こっちを振り向いた顔が急に白く光る)ズンズン昇る。
モモ 今あたしの肩んとこまで来た。胸んとこまで来たら。
須永 モモコさんは、自分が生れて来て、よかっ
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