たと思う?
モモ なあに?
須永 こうして生れて来て、よかったと思うの?
モモ そんな事、あたし考えた事ないわ。
須永 今、じゃ、考えてくんないかな。
モモ そうね。……うん、生れて来てよかったわ。須永さんは?
須永 そうさな。……(昇って来る月を見ている)うん、僕も生まれて来て、よかった。
モモ フフ。……ほら、お月さん、こんなに昇って来た。
須永 だって、見えはしないんだろう?
モモ 見えはしないけど、ほら、胸んとこが、こんなに明るくなるから。
須永 ……(そのヌーッと昇って来た月に向って、ピストルの残っている二発の弾をダンダンと無造作に射つ)
モモ あら、どうして? びっくりするじゃないの。
須永 ……(微笑して、手の中のピストルを見てから、それを空へ向ってビュッと投げる。それがズッと下へ飛んで行き、気が遠くなるような間を置いて、カチンと地面に落ちて鳴った音がする)
モモ 何を投げたの? ピストル?
須永 生きているのが、なんかウソのような気がすると僕言ったろう? ここに、こうしているのは、なんか嘘で、ホントの自分は別の所で生きているような気がして、しかたがない。これは夢で、夢でない世の中は、ほかにチャンと在る。そう言う気がすると言ったね? それが、そんな気がしなくなった。ここから地面までは、たしかに何百尺かの距離がある。チャンと僕はここに生きている。これは嘘でも夢でもない。僕は生きている。それがわかった。ありがとう。なんだか、うれしくって、しょうがない。……(スッと塔の手すりの上にあがって立つ)モモコさん、お月さんが昇った。吹いてくんないかな。
モモ うん。……(フルートを構えながら)また須永さん、ぶら下がるの?
須永 そら、あんなに昇って来た。
モモ あら、何か呼んでる。(耳をすます。ズーッと下方から、はるかな人の声がオーイとヨオーの間で、長く尾を引いて呼んでいる)……あれは三階の先生だわ。
須永 ……(これも耳をすましていた後)きれいだな。
モモ ……(フルートを吹く。例のメロディだけを、静かに尾を引いて三度ばかり吹きすます)
須永 ……(その間に、ズボンのポケットから、ハンカチにくるんだ小さいビンを出し、一息にクッと飲み、ビンを塔の外に捨てる。それが月光にチカッと光って消える。……そのまま、手すりに立ってフルートを聞いている。メロディの切れ目の所で、静かな声で)あい子、そんなに急がないで。待ってくれ。……(月の方を向いてスッと身体が傾いたかと思うと、足が手すりを離れ、あまり重さの無い棒が落ちて行くように横になったままスーッと下へ落ちて行き、今度は、いつまでたっても音はしない)
モモ ……(しばらく吹きつづけてから、フッと吹きやんで)え、なあに? (須永が居なくなった事に気づかぬ。返事を待つ気も別に無く、軽い明るい声が須永に話しかける)ほらね、お月さんが胸んとこまで来たでしょう? グングン昇る。須永さん、そっちい向いてごらんなさいよ。ね! お月さんは冷たい、もう死んでると言うけど、でも、お月さんの光が、おちちの下のへんまで来ると、なんだか、あたし、くすぐったくなるのよ。……(フルートを再び唇へ持って行く)
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(昇る月のドンヨリした光に、白くかすんで立っている彫像)
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底本:「三好十郎の仕事 第三巻」學藝書林
   1968(昭和43)年9月30日第1刷発行
初出:「群像」
   1952(昭和27)年8、9月号
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2009年4月17日作成
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