膝を抱きしめている柳子の腕をこじ開けるようにしてはずして、グタッと前のめりに伏してしまいそうになる柳子の身体を、肩をつかんであおのけにする。気を失った柳子の青白い顔、口のはたに白いアワを附けている)
織子 (寄って行き)柳子さん! 柳子さん!
浮山 どこだ? どこを――(と、胸と腹に弾きずを捜す。無い)
舟木 ……(無言で寄って行き、これも胸や横腹に手をかける)
浮山 よせっ! (いきなり歯をむいて、舟木の手を払いのける)手をふれるな! こいつは、俺の女房だ! さわるのは、よせっ!
舟木 う? (失神した柳子の、はだけた胸の上で、二人の男の、全く動物的な眼が切りむすぶ。……舟木の顔に残忍な冷笑が浮んで)俺は医者だよ。
浮山 ち!
私 (その舟木につかみかかりそうな浮山の肩を掴んでとめる)浮山君、よしたまい!
舟木 ……(ジロリと浮山を見て、かかって来ない事を見て取って、眼を柳子に移し、膝を突き、手の脈を取り、右手で柳子のつぶった眼ぶたを開いて、覗きこみ、それから、腕の関節を垂直に立てて置いてから、手を離して、腕がストンと床に倒れるのを見て)……ピストルではない。エピレプシイ型の発作だ。(身を立てて私を見る)遺伝的に、それが有るんだ、此の人には。しかし本式のテンカンじゃないだろう、今のこれは。一種のオルガスムが来ている。(ニヤリとして須永を振りかえる)何をしたの、君は?
須永 ……(柱にもたれてグッタリしていたのが、恥かしそうな弱々しい声で)僕は何もしやあしません。ただ柳子さんが、なんだか、僕に飛びかかって、むしり附いて来て、一緒に逃げようと――
舟木 逃げる? じゃ逃げるんだね、君は? (言いながら、ポケットから注射器のケースと注射薬の小箱類を取り出して、手早く注射の用意をしている)
須永 いや僕あ別に――柳子さんがそう言って――
省三 逃げるなら、早くしなきゃ。
私 逃げてどこへ行くんだ?
須永 行くところはありません。
私 それで、何をするんだ?
須永 する事は、なにもありません。
浮山 君は人を殺した。犯罪者だ。
須永 殺しました。犯罪者です。
モモ 須永さんは人なぞ殺さないわ。
織子 ああ、よして下さい! あなた、それはよして!
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(これは柳子の腕に注射をしようとしている舟木に言ったのである)
[#ここで字下げ終わり]
舟木 どうしたんだ。
織子 よして下さい! そんな、あなた、よして!
浮山 よしてくれ! よしてくれ! 君と言う人間は何をするかわかない!
舟木 一本注射を打って人間を永久に狂人にする薬はまだ発明されていないよ。又この場でこの人が死ねば、君たちが証人で、俺はしばられる。ハハ、強心剤と鎮静剤を打っとくだけだ。(ニヤリと一同を見まわしてから、注射する)
織子 あっ! (自分が注射されたように全身をビクンとさせる)
省三 上にかついでいこう。
舟木 いや、いっとき、このままにしとく方が良い。……(注射器をしまいながら)織子、お前はそれほど俺が信用できないのか?
織子 わかりません。ただ、私は怖いの。
舟木 俺がかね? ……それなら離婚してもいいよ、お前は以前から、神さま以外は誰も信用しないし、誰も愛さない。人間は誰も彼もお前にとっては、いかがわしい、疑わしいものなんだ。俺もいかがわしい人間だ。しかし、ほかの人と、それほど変っちゃいないよ。大概こうだよ人間は、慾と野心のかたまりだ。それを許さないのは、お前の神さまだけだ。お前が俺を怖いならば、俺はお前の神さまが怖い、つまりお前が怖いとも言える。遠慮はいらないから、出て行ってくれ。
私 つまらない事言うのはよそう、舟木君。気が狂ったのではなかろう?
舟木 存在しているのは時代々々のノルムだけだと言っただろう? 俺が狂人でないと言う証拠は、どこにも無い。二十世紀の人間は一人残らず、十六世紀の人々の前へ連れて行けば、狂人さ。
省三 兄さんの愚劣な、猿のニヒリズムだ!
舟木 俺が猿なら、お前は豚のだろう。マルキシズムなどを、ギリシャへ持って行って見ろ、いっぺんに狂人の思想だと言われる。
省三 又言うか、猿! (兄に迫って行く)
須永 ……(さき程から一同のまんなかに立たされて、皆の話をオロオロしながら聞いていたが、この時、しゃがんで、膝を突いてしまって)どうか、あの、許してください。僕が悪いんです。僕がここへやって来たもんだから、――僕がいけないんだ。許して下さい。僕はもう出て行きますから。
モモ ちがってよ! 須永さんが来たからって、誰も――いえ、みんなふだんより正直になっただけだわ。
浮山 モモコ、お前はだまっていなさい! 須永君は殺人を犯している。
モモ ほかの人だって何十万人と言う人を殺したのよ。
浮山 それは戦争だ。戦争は互いに武器を持ってする事だから――
モモ だって広島では、だあれも武器なんて持ってはいなかったわ。あたしは公園の砂場で泥でオダンゴこさえていたのよ。そこい、ピカドンおっことした人が悪くない?
省三 モモちゃんの言う通りだ! 審判を下し、悪をきゅうだんし得るのは誰かと言う事だ! 千人殺した人間が三人殺した人間を審判する事が出来るのか? モモちゃんに答えて見ろ! チャンとモモちゃんに答えてから、その後で須永君を罰するがいいんだ!
須永 (弱りきって、膝を突いたまま、何度も頭を下げる)いいんだ省三君! 頼むから。モモコさんも、そんな風に言わないで下さい。お願いだ。僕はもう死んだ人間です。それが、ヒョッと此処へ来て、そして、僕は急に、自分が急に、なんだか、はじめて生きはじめたような気がして来たんです。そして、あなた方の方が、みんな死んでいる人たちのように見えて来たんです。モモコさんは別ですけど。そいで僕は、はじめて世の中に生れて来たような、とても自由な気がして、うれしかったです。お礼を言います、皆さんに。ありがとうございました。でも僕はもう行きます。これ以上迷惑かけちゃ悪いですから。……だから言うんだけど、省三君、君は革命をやって下さい。それは良い事だと思う。そのために人が死んでも、それから君自身が死んだとしても、とにかく人間は今のままでは、やって行けないんだから、どっか何かを変えなければ、もうやって行けないのは事実だから、多少は痛い思いをしても革命でもなんでも、やって見ないよりはやって見た方がよいと思います。そのため人間が半分ぐらい死んでも、後の半分が残ってれば、なんとか、やって行けるんじゃないかな。やって見るのがよいと思う。しかしね、それには、自分自身の事は全部棚の上にのせて置いたままでは、いけないんじゃないかしらん? でないと、物事をひっくり返す前に自分がひっくり返るんじゃないかな? たとえば、君怒っちゃ困るけど、君は房代さんに、あの、惚れてるんじゃないのかな?
省三 なんだって?
須永 怒っちゃ困るよ。ただ僕にはそう見えるもんだから。そうだろ?
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(省三は黙って須永を見守っているだけ)
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モモ そうよ! そうよ! 省三さんは房代さんが好きなのよ!
須永 そんならだなあ。それを自分で認めて、して、房代さんにもそう言って、一緒になるなり、なんなりして、そいで、そこから君のする事すべてをやって行ったら――そうしないと、僕みたいになっちゃうよ。――いや結婚して身を固めてからほかの事をすると言ったような、そんな意味でなくだよ、そうでなく、自分の事とそれからほかの事との持って行き方の事なんだけど――
舟木 たしかに、それはそうだ。たしかに、愛情の問題に限らず、自分自身のもっと自然なあり方と矛盾しない形で、つまり自身から自然に押し出された形で、省三が事をするならば、政治運動だろうと何であろうと、私にもわかる。それなら私も反対しない。
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(そうして、シャツもズボンもズタズタの姿で膝を突いている須永を中心に、まだ死んだように寝ている柳子の姿をわきに、一同が半円形に立って語り合っている有様は、ちょうど殺人犯人が審問にかけられているように見える。しかし又それは、一同が犯人から審問されている光景とも見えないことはない)
(そこへ、階段に音がして、フラフラの若宮が、ほとんど土気色の顔をして、房代に助けられながら降りて来る。一同ふり返ってそれを見る。省三は思わず一二歩進み出して、これは房代ばかりを見ている)
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舟木 ああ、ジッとしている方がいいがなあ。
房代 (父のわきの下へ手を廻して、かかえるようにして光の輪の所へ来る)あたしもそう言うんですけど、どうしても来ると言って――
若宮 ……(唇がほとんど黒紫色になり、まるで面変りしてしまっている。激しく喘ぎながら)す、須永君は、どこだ? (見ているのにわからない)
須永 ……(相手の様子が変ってしまったのにびっくりして)あの、どうしたんです?
房代 (須永、舟木、私と次々と眼を移しつつ)脈のけったいが、ひどいんですの。今夜中に、あの、死ぬんだと、自分で言うんです。……(舟木は寄って行き若宮の脈をはかる)
若宮 (キョトリとした眼を私に移して)わかったんですよ。もう間も無く死ぬ。
私 いや、そんな。――しっかりしなさい。
若宮 ……(須永の顔をやっと見つけ出して)須永君、聞かしてくれ。全体こりゃ何だ? え? 全体こりゃ、どう言うわけなんだ? え? 君にゃ、わかっているんだろ?
須永 僕にはわかりません。
若宮 だって、君はもうとうに死んでるんだと、さっき言ったろう? わしは、もう直ぐ死ぬんだ。恐ろしい。……わしはどうすればいいんだ? 全体この、株式の極意はだな――いや、いや、いや、金なら、いくらでもあげる。もう金はいらん。金なら全部あげる。その代りに、聞かせてくれ。どう言う事なんだ? いえさ、そう出しぬけに君、殺生じゃないか! なんだい全体、え?
須永 ……(言葉はよくわからないが、そう言いながら迫って来る若宮の、全身をワナワナとふるわせながら追求して来る鬼気のようなものに押されて、ジリジリとさがる)許して下さい。僕はなんにも知らないんです。
房代 お父さんっ!
若宮 あ? お豊か? お前どうしたんだ?
房代 私、房代よ、お父さん! しっかりして!
若宮 ……げんきゅう寺の坊主が言ったぞ。一に非ず二に非ず、一にして二なり。是に非ず彼に非ず、是にして彼なり。無。……無たあ何だと言ったら、売った! と手を振った一瞬間だと言ったな。戦争まえ山桝の親父が、株屋は禅をやらなきゃいかんと、引っぱって行かれた。なに、なまぐさ坊主だ。説教の後は、いっしょに芸者買いに行きやがる。……無だと? 冗談言っちゃいけねえ。死ぬんだぞ私あ! どうしてくれる? え? なら、なぜ生れて来たんだ?
須永 ……(困り果てて)そんな、そんな事言ったって僕あ――だけど、死ぬのは、そんなに怖くないですよ。あの、なんでもないんですよ。夢みたいに、あの、夢がヒョッとさめる時みたいです。……大して、苦しくもないですよ。あい子のお父さんだって直ぐ、なんでもなくスット死んで――僕がこんなふうにして、バンドを廻してですね。(言いながら、バンドでではなく、腕で若宮の襟の奥を掴む)こうして、チョットあの――(腕に力を入れかける)
私 ……(寄って行き、その腕を離させる)須永!
若宮 (叫ぶ)しめてくれ! 頼むから、ひと思いに、しめてくれっ! 助けてくれ! 殺してくれ! たまらない! たたた、たまらないっ! わーっ! ヒーッ!(ノドも叫けんばかりに絶叫して、房代の肩の上にくずれ落ちて、倒れる)
房代 お父さんっ!
舟木 そっとして置くんだ。鎮まれば、いい。
織子 あなたが、こんなふうになすったんだわ!
舟木 まだ言うかね? 仮りに、そうだとしても、それが何だ? こんなふうに人間は出来ているんだ。お前の神さまは人間をこんなふうに作ってしまったんだよ!
私 もう、よい! よしたまい! (はじめて叫ぶ。しかし昂奮したためと言うよりも頭がハッキリしたためである。
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