よして下さい!
舟木 なんだ?
私 しかし、どんな冷静な科学者にもパラノイアは有り得る。
舟木 うん? ……(ジロジロ私を見て)それは有り得る。
私 狂人を診察している医者が、その狂人よりも深く狂っていると言う事だって、あり得ない事ではない。
舟木 うん、そりゃ……あんた、何を言う気だ?
私 此の家の相続権は、広島の老人が死ねば柳子さんに来るそうですね?
舟木 そうのようだな。
私 ……そして、あなたにも、多少権利が有る。
舟木 いや私のは権利と言うよりも、非公式な、ここの元の主人の手紙だとか何とか、遺言書ではないから、表面上の効力は無いだろう。しかし実質的には、一番強い権利があるとも言えない事はない、私が主張する気になれば、全部譲渡すると言う伯父自身の自筆の文書なんだから、さて、しかし、どんなもんだか――とにかく、いずれにせよ、広島の伯母はまだ生きているし、柳子さんと言う人もいるし、まだまだ先のことで、現在問題にはならんだろう。ハハ、しかし、なぜあんた、そんな事を言うんだ?
私 いや僕は別に。ただ、奥さんが、心配なすっているもんだから――
織子 お願いですから、あなた! もう私たち、ここを出ましょう! いいじゃありませんの、そんなサトナリアムだとか何とか、どうでも――私は、怖いんです!
舟木 ああ、(私に)これはクリスチャンです。クリスチャンには、大概、一種の被害妄想――ではない、自分も他人も年中悪を犯しているような、罪を犯してるような気がしている。そのコンプレックスのちく積を裏返しにしたものが神だ。だから逆に神の存在そのものが、そんなコンプレックスを生み出す第一の固定観念なんだな。ハハ!
織子 笑うのはよして下さい! お願いですから――
[#ここから3字下げ]
(そこへ、着くずれた着物のままで、若宮がヨロヨロしながら入って来る)
[#ここで字下げ終わり]
房代 あ、お父さん、ど、どうしたの?
若宮 ……(眼をキョトキョトさせて)うむ。舟木さん、どこだ?
舟木 私はここに居る。どうしました?
若宮 やあ。あんたに私あ――私あチョイと聞きたい事がある。チャンと返事をしてほしいと思う。本当の事を聞かしてほしいんだ。
舟木 ……なんだろうか?
若宮 あんた、私のからだの事で浮山に言ったそうだな? ホントは心臓も悪い。心臓の方が悪い。もう永いことはない。……そう言ったそうだな? ホントかね、それは? 聞かしてほしいんだ。
舟木 たしかに言った。しかし、それは、医者としての所見で――それにあんたは私の診断など信用しないのじゃなかったかな?
若宮 わしも若宮だ。そうと決まればジタバタはしない。そうと決まれば、これでチャンと整理しとかなきゃならん事がある。
舟木 医者の診断も誤る事があるよ。仮りに誤りが無かったとしても、医学と寿命とは別だ。しかし医者はやっぱり医学を信ずる以外にないもんだから、言えと言われれば医学の命ずる所に従って言う。あんたが――
若宮 チョイ待った。いいかね。舟木君よ、あんたと私とは敵同志だ。いやいや、ハッキリ言った方がいい。柳子というものを間に置いて、お互いスキがあったらぶっ倒して此処の家を乗り取ろうと、腹ん中で爪をとぎ合っている同志だ。ヘヘ、実際そうなんだから、そう言ったっていいじゃないですかい? それが人間だもん。ヘヘ、その君に、その敵の君に、敵の俺が、ホントの事を聞かしてくれと言っているんだ。わかるかね? つまりだな、君は自分の診断の言い方ひとつで、この俺をいっぺんにぶっ倒すことだって出来るんだ。わかるかね? ひとつ、ぶっ倒して見るか? ヘヘヘ、そいつを俺がチャンと知っているって事を言っといてから、聞こうじゃないか。九寸五分はチャンと君に預けて置くってことさ。君も悪党だ。そうだろ? わしもそうだ。相手にとって不足はねえと思っとる。悪党なら悪党らしい勝負をするね? そう思ったから、わしあ、わざとこうして君の診断を聞こうてんだ。悪党同志と言うものは、これ、可愛いもんでね。お互い、卑怯な事は出来ねえんだ。道具はずれを叩いたり、小股をすくったりはしねえ。勝負は勝負、附き合いは附き合いで、ハッキリ別々にする。わかるかね、俺の言うこと? 君の診断をわざわざ聞きたいと言うのは、そういう次第だ。今こそ俺あ、ほかの医者の言う事より、君の言う事を信用する!
舟木 なんの事だか、あんたの言う事は、よくわからんが、医者は医学に忠実である以外になんにも考えないものなんだから――
若宮 ホントの事をピタッと言ってくれ。へたに俺を憐れがったりして、嘘を言ったりしたら、お前さんをわしは軽蔑するぜ。
舟木 しかしどうしようと言うんだ? 結局同じ事なんだがなあ、知っても知らなくても。知らないでいる方が幸福なら知らない方がいいんだがな。どんな強い人間だって、むき出しの真実には耐えきれるもんじゃない。
若宮 ヘヘ、四十年、勝負一本に身体を張り通して来た若宮だ。丁と出ても半と出てもビクともするこっちゃねえ!
舟木 よした方がいい。悪い事あ言わない。
若宮 さあさ、ズバッと言ってくれ!
舟木 むきだしの真実をどんな人間でも真正面から見てはいけない。
若宮 言えッ! 君も悪党じゃねえか! (つかれたように舟木の眼を睨みつけている)
舟木 いや私は医者だ。……(言いながら、若宮の眼を冷然と見返していたが、フッと薄く笑う)
若宮 ケイベツするぞっ!
舟木 聞かない方がいいんだがなあ。……(又ニヤリと笑う)
若宮 そ、そ、それじゃ、やっぱり、もう、いけないのか?
織子 ……(それまで二人を見守りながら、ふるえていたのが、不意に舟木にかじり附いて)な、なんにも言わないで下さい! あなた、そんな、怖い! 言わないで!
若宮 ホントの事を言えいッ!
舟木 ふ! 私の診察に依ると――
織子 言わないで下さいッ!
若宮 すると、すると、どう手当をしたらいいんだ?
舟木 病気は永い。それに、君は気ばかり強くて、これまでチャンとした医者の診察を受けないで来ている。今さら手当てをすると言っても。……大事にしていれば、まだ半年、いや三月ぐらいは――
若宮 み? ……
舟木 アッタッケが来れば、今すぐにでも、転機を取る。……昂奮を避けることだ。……言えと、無理に言えと言うから言うまでだ。それ以上は私にはわからない。医学が私にわからせてくれただけを言うまでだ。あんたには、もう久しく手足にムクミが来ている。それをこれまで君が相手にした変な医者は腎臓のためで片づけて来た。いや、医者なら、いくら変な医者でもそれ位わからない筈はないから、心臓のことは言っても無駄と知って言わなかったか。それから、手の爪を見たまい。ほとんど黒い位のチヤノーゼが来ている。強度のアリトミイ。
若宮 …………(呆然と、言われるままに両手の指先を眼の前に持って来て爪を見る)
舟木 来れば狭心症で来るから、その時にはベクレムング――胸が苦しくなって、油汗が出て来る。
若宮 …………(立ったまま胸をかきむしりはじめる)
舟木 いやいや、今そうなると言うんじゃない。ただ医者として――いや、僕の診断も絶対に正しいかどうかはわからない。ただ、とにかく、言えと言うから、正直に自分の診た所を言っているだけで、直ぐに明日でも、出来たら今夜にでも、他の医者の診察を受けるように忠告するね。もし私の診断が誤っていたら、こんなめでたい事はないわけで、私もうれしい。ただ私は医学を曲げるわけに行かないだけだ。
若宮 …………(フラフラ身体がゆれはじめ、視線が全く空虚になり、顔中に油汗を流し、それでも舟木を見守ったまま、しばらく立っていたが、やがて、クタッとなり、床の上にくずれ落ちる)
房代 お父さんっ! お父さんっ! しっかりして下さい! お父さん、しっかりして!
織子 (舟木のそばからジリジリと身を離して)あ、あなたは、恐ろしい人です! あなたは恐ろしい人です!
舟木 だから私は何度も言った。それを、どうしてもホントの事を言えと言うから、言ったまでだ。
房代 お父さんっ! お父さんっ! 房代です! わかりますか! すみません、お父さん! 私はあなたの娘です! しっかりして下さい! お父さん! お父さん!
織子 (舟木に、遠くから)あなたは、気ちがいになったのです! あなたは恐ろしい人!
舟木 (冷笑)恐ろしいのは科学だよ。真実だよ。ふふ。……(ヒョイとわきを見ると、先程から一言も言わないで、眼をランランと光らせてこちらを見守っている私に気づく。これに向って微笑して)ねえ、真実を冒してはならない。弱い人間が真実のヴェールをどけて、冒してはならないんだ。そうだろう? ふふ。
私 …………(相手の笑いに乗って行こうとはせず、強い眼の力で、いつまでも舟木を見つめている)
[#ここから3字下げ]
(恐怖と憎悪で、室の隅から夫を見守ったまま石になっている織子。房代は、この女から予期することの出来なかった愛情のあるこまごまとした動作で、失神している父親の胸を開いてやったり、手をこすってやったりする)
[#ここで字下げ終わり]
房代 あの、舟木先生! なんとか手当てをして下さって! あの、注射でも、どうか! お父さん! お父さん!
若宮 うーむ。うう。
[#ここから3字下げ]
(そこへ、激しいピストル発射の音がバンと響いて来る)
[#ここで字下げ終わり]
私 う? ……(その方へ耳をやる。他の三人もハッとしてその方を見る。しばらくシーンとしていてから、もう一発、今度は明らかに下の方からの発射音。同時に暗くなる)
19[#「19」は縦中横] 地下室
[#ここから3字下げ]
(十文字にぶっちがいになっている支柱と横ゲタの所が、天井にとりつけられた円筒のシェードを持った電燈の光で、円錐形に照し出される。その光の中に、須永と柳子とモモコ。
須永は白いシャツの胸や袖がズタズタに破れ、ズボンの片方も腿の所が大きく裂けた姿で、疲れ切って、それでもまだ逃げ出そうとするような姿勢で、中央の支柱にかじりついて立ち、ハアハア喘いでいる。それがチョット十字架にかけられた姿のように見える。柳子は、細帯一本のしどけない姿の、首から背筋のあたりまで、こちらに見せて、下半身は後ろに投げ出し、両腕をひろげて須永の両膝を支柱ぐるみ、ヒシと抱き、顔は須永の膝の間に埋めたまま動かない。一瞬前まで息せききって柳子が須永を追いかけまわしていた事が一目でわかる姿で、フットボールの試合でボールを追って横っ飛びしかけた選手を敵の選手がタックルした瞬間に、画面がピタリと停ったのに似ている。円錐形の光の輪の端の所に、モモコが両手で握ったピストルをこちらに向けて立っている。しばらくシーンとする)
[#ここで字下げ終わり]
モモ (ピストルを発射したのが嬉しくてたまらぬように、軽い明るい笑声を立てる)ハハ、ハハ、ハハハ!
須永 (あえぎながら)もう、かんべんして下さい! もう、かんべんして下さい! (明らかに柳子に向って言っているのだが、柳子はそのままの姿で動かず、死んだように返事もしない)
モモ ……(耳をその方にやって)どうしたの須永さん? タマが当った?
須永 許して下さい。
モモ 許す? どうして、須永さん? なんで柳子おばさん、あなたを追っかけるの? ……おばさん、どこに居るの? (左手をピストルから離し、それで手さぐりにソロソロと前に進みかける)
[#ここから3字下げ]
(そこへ階段をガタガタと駆け降りて、浮山を先頭に、舟木、私、織子、それから省三が入って来る。一同この場の異様な様子を目に入れるや、アと声の無い叫びを出し、光の輸の[#「輸の」はママ]りんかくの所で一瞬立ちどまってしまう。……短い間)
[#ここで字下げ終わり]
浮山 モモコ、なにをする! (モモコを突きとばして置いて、倒れている柳子の方へ駆け寄る)どうした柳子っ?
モモ なんなの、伯父さん?
私 モモちゃん、それ、およこし。(ユックリとピストルをモモコの手から取る)
浮山 柳子、どうしたっ? おいっ!(須永の
前へ
次へ
全17ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング