由はある。ピストンに加えられる圧力が極限に達しても、空気が他の通路へ放出されないならば、チューブは爆発するだろう。そんなピストンは初めからピストンではない。ピストンならば通路は有る。通路は圧力が極点に近くなった個所、窒息の間ぎわの瞬間に有る。……二十五時の所に一人の人間が立ち得るならば、百人の人間が立ち得ない筈はない。百人の人間がそこに立ったのならば、それは二十五時ではなくて、午前一時だ。三十八度線は線だから幅は無い。幅の無い所に人は立てない。しかし人は三十八度線を頭で考えることが出来るならば、どうしてそこに立てない事があろうか。そこに立った次ぎの瞬間に死んだとしても、五秒そこに立ったと言う事は五十年でも立てるという事だ。……そうだ。イエスかノウかを決定することは、いつでも出来る。第一の道を歩もうと第二の道を歩もうと、たやすく出来る。われわれは既に力の前では奴れいだ。その力がいずれの側の力であろうと、大した変わりはない。決定はやさしい。大事なことは、そして困難なのは、決定を最後の時まで、圧力が極限に近くなる時まで、窒息の間ぎわの、そのトコトンの所まで引きのばし、持ちこたえることだ。引きのばし持ちこたえ乍ら、その中で衰弱せず、最後の時に、追いつめて来たものを振り返り、面と向ってそれを審判し、ノウと言うことだ。それだけの力を保って行くことだ。それが出来るか? 出来る! いや、できないかな? いや、いや、出来る。出来ようと出来まいと誰かが、誰でもが、しなければならぬ。……聞いているかね、お前、私はそれをしようと思う。そういう闘いを明日から闘おう。私の生き甲斐は、もうそこにしか無い。どうだね? 私は人から笑われるね? 刻々に、絶望だけが私を見舞うだろう。それを知りつつ、私は頬に微笑を絶やさないで、窒息に近づいて行く。しかし最後まで窒息はしないよ。お前は、わかってくれるか? ……右側の人たちと左側の人たちが、その時その時で、代る代る私をあざ笑ったり、おだてたりするだろう。そしてどちらからもホントの味方だと思われることは絶えて無いだろう。嘲笑されない時には利用されるだろう。利用されない時には嘲笑されるだろう。それ以外には全く扱われないだろう。そして、しまいには捨てられるだろう。捨てられて腐ってしまった時分に、どこからか「人間」が近づいて来てくれるかも知れない。来てくれないかも知れない。ハハ! ハハ! ……ハハハ! だって、こっけいじゃないか! 原子爆弾で人間はみんな殺され、死んでしまうかもわからないのだよ。それを、ほかならぬ人間自身が作り出して、使った! ハッハ! 神だけがする資格のある事を、人間が冒したんだよ! 冒した! もう取りかえしは附かない。それを使う事を決定し、ボタンを押した人の手は、その人たちの手は、まだ腐らないで腕に附いているのだろうか? お前は知っている! その人は誰だえ? …………(微笑を浮べた顔で、客席の方を、いつまでもいつまでも覗きこんでいる)
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(間)
(出しぬけに奥で、激しくガン、ガンガンとノックの音。死んだようになっていた浮山が飛び上って階段をあがり、外へ出る。……私はユックリそちらへ頭をめぐらす)
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浮山 ……(階段口から半身を見せて、低い声で)警察の人たちだ。
私 う? ……(そちらへ行きかけ、再びユックリと上半身をめぐらして、いぶかしそうに客席の方を覗きこんでいる)
20[#「20」は縦中横] 塔の上
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(暗い夜空の、どこかに月が昇りかけたと見え、下の方から濃紺色にほのめいている中に、塔はポカリと浮いている。その上に、夜空に向って半ばシルエットになって、相対して立っている須永とモモコ。須永は先程のままの姿で、右手にダラリとピストルをさげて、しげしげとモモコを見守っている。モモコはスベリと一糸もまとわぬ裸体で、左手にフルートを掴んだまま、エジプトあたりの彫刻でも見るように、なんの恥かしげも無くピンと直立している。足元に脱ぎ捨てた着物)
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須永 ……寒くはない、モモコさん?
モモ ううん、なんともない。
須永 きれいだ。
モモ お月さん?
須永 ううん、モモコさんが。
モモ フフ。その、あい子さんて言うの、きれいだった?
須永 うん、きれいだった。でも、身体は見たことなかった。
モモ そう? どうして?
須永 どうしてだか。フルート聞かしてくんないかなあ。
モモ お月さんが、もっと、ここんとこまで昇ったら。
須永 お月さんは、もう昇ってるよ。ほら! (と、こっちを振り向いた顔が急に白く光る)ズンズン昇る。
モモ 今あたしの肩んとこまで来た。胸んとこまで来たら。
須永 モモコさんは、自分が生れて来て、よかっ
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