古がフイだ。其処まで一緒に行つたげる。
修 いいよ、いいんだよ。
ミル だつて、あんた怖いんだろ? 怖がつてる癖に。
彦六 ハハ。送つて行つてあげるさ。修さん、ひとつ。(杯を差す)
修 えゝ……(困つて人々の顔を見まはす)
ミル よしなさいよ、飲めやしない。
彦六 まあいいよ、一つだけ、私が差すんだよ。ねえ、いいな?
修 はあ……(中腰になつて杯を取る)
彦六 (注ぐ)それぢや、こぼれる、ハハ……
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修の杯が顫へてゐる。
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修 (飲んで)ありがたう……した。
ミル さ行かう。
鉄造 しかし戻りはミルさん一人だから、物騒だよ。私も附いてつてあげよう。
ミル いいわよ、一人で沢山。
鉄造 まあまあさう言はずにさ、とにかく一緒に行くよ。何か間違ひでもあると困るからな。
お辻 あんた御親切だね。……フン。
彦六 ぢあ附いて行つて貰ふさ。(ミル、修、鉄造出て行く。彦六がシユーマイをつゝきお辻を見てゐる)
彦六 ……ひとつ、行かう。(杯を差す)
お辻 私は、どうも鉄造が、怪しいと思つてゐるんですよ。(杯を取る)
彦六 なんだ。
お辻 いえ、今の人足共がやつて来たのがさ。
彦六 (酒を注ぎながら)私あまた、お前かと思つたよ。
お辻 え? なんですつて?……ぢやなんですか、白木やなんかと、私が腹を合せてなにしてると?……
彦六 さうぢやなかつたのか、ハハハハハ。
お辻 いい加減にして下さい、冗談ぢやありませんよ。ほんとにあんたもぼけましたよ。……(飲んで返杯して注ぎながら)然し、とにかく、かうなれば、もう此の辺が潮時ぢやありませんか。
彦六 出すものの耳を揃へりや、いつでも退くさ。
お辻 へえ、まだそれを思ひ切らないんですか?
彦六 思ひ切るも切らぬもない、はじめから此方あおとなしい話をしてゐる。此の辺の店なら、たとへ屋台位の店にしたつて、二千や三千の権利金なら、通り相場だよ。この店を五千円と言ふのは、よくよく此方で泣いた値だよ。
お辻 だつて、よそぢや、大概千円以下で手を打つたつて言ひますよ。
彦六 彼奴《あいつ》等は、はじめはみんな結束して一軒あたり五千以下ではテコでも動かないと言つてゐた。それが要求してゐた額の十が一にも足りない金でもいよいよ現ナマの面を見るとコソコソコソとしつぽを巻いて居なくなつちまふ。全く風上にも置けない連中だよ。
お辻 だつてみんな内証が苦しいから、仕方無しですよ。
彦六 そりやさうさ。だから尚の事だ。私がかうして居残つてゐるのも、自分だけの事を考へるからぢやない。立退いた連中に、もう少しづつでも取つてやらうと思ふからだ。
お辻 この上まだ取らうつて言ふんですか? 呆れたね! そんな法外な事を言つて見たつて、どうせ此方の負けだ。
彦六 ぢや、思ひ切り負けて見ようか。
お辻 フン、あれだ。三多摩自由党の生残りですか? おはこだ。自由党だか不自由党だか……あなたが自由党騒動で三四人もの人を叩き斬つても、二年や二年半でことが済んだ御時世とはわけが違つてきてますからね。
彦六 そんな事を誰も言つてやしないよ。
お辻 私達は、そいで、どうなるんです?
彦六 だからかまはんから私だけ置いて、どこかへ行つてくれと言つてるぢやないか。
お辻 ミルさんは、ぢや?
彦六 ……お千代は嫁にやる。
お辻 へーえ?
彦六 ……ハハ。田所さんは、おとなしいが、まつとうな男らしいぢやないか。あんなのがミルにや良い。ケガがなくてな。(階下で誰かがわめき唄ふ声)なんだい、あれは?
お辻 鉄造んとこで、客が酔つぱらつてゐるんですよ。
彦六 さうか、ハハハ、どうだもう一つ、あゝもう無いか。(酒瓶を振つてゐる)
[#3字下げ]第二幕 階下の酒場[#「第二幕 階下の酒場」は中見出し]
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近く閉店の予定で、さびれ切つてゐる。右奥にスタンド、その横から奥の居間に行ける。左側にしきりの壁、一番手前がスヰングドア、それを出た軒下にビリヤード旭亭の柱看板、その奥に階上への階段(下手寄り)。深夜の往来(下手奥)の、見通しの利かない暗い中に人影が時々ウロウロする。店内には客が二人。一人は洋服の三十四五の男でベロベロになつて唄つてゐる。もう一人は奥の壁の方を向いてテーブルに頬杖を突いて飲んでゐる。汚い背広に半ズボンに黒い巻ゲートルに靴の、チヨツトした土工と言つた後姿。店内の家具の全部に、小さい紙札がベタベタ張つてある。レコードが鳴つてゐる。――女給アサが酔つた客の正面、入口の柱にもたれ、ドア越しに往来の方を覗いてゐる。
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客一 (レコードに合はせてデタラメを唄ふ)あらよいよいよいと――おい君あ、なんで外ばかり見るんだ? さては色男が来たな? どれどれ、どうなんだ。(覗く)
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