想的なことでわからないことにぶちあたって、いくら研究したり思索したりしても混乱して、結論が見いだせない。または、生きていくうえでの難問題に出あって、迷いに迷い、気がよわまってどうにも処置がつかぬ。そういうときに、旅行に出て、あちこち歩き、電車に乗りバスに乗り汽車に乗ったりして、みじかくて三四時間、ながくて三四日すると、そういう迷いや混乱や衰弱が、全部とはいえなくとも、その大半がひとりでに自分から剥《は》げおちているのです。
 それは、そのあいだに、それらの問題についてセッセと考えつめたからではない。ほとんど考えはしないのです。ただそれらの問題を自分のうちにたたえ持っているだけなのです。ただなんとなく、たたえ持ちながら、自然を見たり人びとを見たり、自然の中へふみこんだり、人びとと話しあったりしているあいだに、私自身にもよくわからない微妙な作用が起きていて、自分のたたえ持っている問題の中心のようなもの、本質のようなものが、ハッキリした形になって、自分の手のひらの上にのっているのです。
 私は、敗戦後はじめて旅行したときのことを思いだします。旅行といってもホンの小旅行で、中央線の列車に半日乗
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