びさっています。
 そのようなことをつづけながら、私は二時間三時間と歩きます。つづけて歩くと疲れすぎるので、そのあいだ、一度か二度は乗りものに乗ります。歩くよりも乗りものに乗っている時間の方が多いかもしれません。それでよいのです。乗りものに乗っているときも、私にとっては、じつは歩いているのと同じことが起きているのです。自然と人びとの中に立ちどまり、そしてそのあいだを通りすぎていくということです。
 そのようにして二三時間をすごしたあとで、ヒョイと気がつくことは、自分のうちのそれまでの混乱がしずまったり、心の疲れが癒《いや》されたりしているということです。何かが整理され、何かが立ちなおっている。もちろん、あまりたくさん歩いて疲れすぎると、かえっていけないばあいもあるが、しかしそのばあいも、その疲れがいったんおさまれば、同じことが自分のうちに起きたことに気づく。
 こんなことは私だけなのでしょうか? 君にはそういうことはありませんか?
 私にとっては、旅行というものも、同様な意味があります。自分がいま作品を書こうとしている。何をどんなふうに書いてよいか、いろいろに考えまよっている。または思
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