ろいろのものの匂い……そのころには私はまったく自由で孤独な人間になって歩いているのです。
私の感覚は外気と運動のために鋭敏になっていて自分が見たり聞いたり、ふれるものの色や匂いや触感を、ひじょうにゆたかに受け入れ、味わっています。同時に、同じ理由のために、私の感受性は、私が家にすわっていたときのような神経質的な過敏さや不均衡を払いおとしていて、ずっと落ちついた健全なものになっているのです。
私は歩きながら、自分が今している仕事のことや思想のことや生活上のいろんなことを、論理のじゅんを追って考えたりは、ほとんどしません。歩きながらの見聞やそれの引きおこす感覚を味わうのにいっぱいで、チャンとしたものを考えることは私に不可能なのです。まず、犬が歩いている状態に似ているのではないかと思う。ただ仕事や思想や生活のことが、ときどきチラリチラリと頭にきます。その断片や、またはその基調になっている色あいや調子のようなものが、フッと頭にきては、しばらくとどまっている。そのうちに、目が美しい木のシルエットをとらえたり、耳が思いがけない響きをとらえたりすると、その瞬間に、さきほどの思いは完全にどこかへ飛
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