からいっさいの社会的な関係のキズナからときはなれた感じ。それが切れてしまったとは思えないが、すっと長く伸ばされ、やわらかい、自由なものになったような気がするのです。そして、そのようなキズナにつきまとっている重量感が消えて、いっとき気楽になったような気がする。自分が自分からぬけだしてきた感じとでもいうか。つまり自分がそれまでにしてきた、そして現に持っている気苦労だとか、努力だとか、思索だとか、論理的な追求だとかを、自分の机の上などに置きざりにしてぬけだしてきたといったような実感です。
 そして私の目は、空を見たり地面を見たり樹木を見たり、花が咲いていれば、「ああ、そうだっけ、その季節だったな。去年もこうだったかな? きれいだな。」とシミジミと思いながら見てすぎていきます。むこうから人がくる。近所の人だと挨拶をする。見知った子どもがいると、「元気そうだ。急にまた大きくなった。」と思ったり。だんだん家を遠ざかるにしたがって、行きあう人は見知らぬ人が多くなり、二十分も歩くと私は挨拶をする必要がなくなる。車がとおる。犬が走る。電車・家々・店屋・人びとのいろいろの姿と声ごえ・空地・草・川・それにい
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