んなよく歩いています。
 いま日本はひじょうに混乱し、衰弱しています。これは日本の歴史はじまって以来、いちばんひどいいちばん根ぶかい混乱と衰弱だろうと思われます。悪くすると、日本はこれまでの日本とは違ったものになってしまうかもわからないし、また考えようで、もしかすると、新しい日本が生まれるかもしれない。そういう時期にわれわれはいると思うのです。これをわれわれ自身の力だけで、よいほうへむけることができるとは思われません。しかし、多小でもその方へむかってつとめなければならぬだろうし、つとめたい。われわれは、いずれにせよ、理屈からではなく、われわれ自身とわれわれの国を自ら救いたいという欲望を捨てさるわけにはいかないのです。
 それには、何はともあれ、まず歩くことです。国の中を、ここからかしこへ行ってみることです。かしこからここへ戻ってきてみることです。それがわれわれにとって、苦しくつらいだけだったら、つまり私どもにとってそうすることが不幸になることだけだったら、われわれ小さいよわい人間にはかならずしもやれないし、またそんなことはしない方がよいという考えもありうると思います。しかし歩くことは、それ自体としてたくさんの楽しさや喜びをともなうものです。苦しいことよりも、たのしいことのほうが、たぶん多いことです。われわれにも、たやすくできることなのです。
 そこで、歩くということは、どういうことだろう?
 まずそれは、現在自分がかかずらっていることやもののいっさいを捨てて、自分の身体ひとつでそこから抜けだしていくということです。
 そのときの自分は、歩いていくということに必要のない、ムダなものは一つも持たないが、必要な最小限のものだけはかならず持っているということです。つぎに、はきものその他の足ごしらえをしっかりするということです。それから、健康状態にある程度自信が持てるということだし、飲食物や気温や天候に気をくばって健康をたもつための注意を怠らぬということです。それから、しだいに歩み進むにしたがって、自分にとっての親しい者を失い、見知られぬ人として見知らぬ人びとのあいだに自分を投げだし、孤絶し、さびしくなっていくということです。そのさびしさの中で、いやでもあなたは見知らぬ人びとや見知らぬものや自然を見てすぎながら、その人たちやものや自然から、言葉や形や色でもって語りかけられると
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