り]
小母 ……あの、五郎はん。(居間から手まねく)
五郎 ……なんです?
小母 ちよいと――。
五郎 え? (立つて居間の方へ行く)なんです?
小母 (台所の外に誰か来てゐることを手真似でして見せて)奥さんの生徒はん達、見えはつて――。
五郎 え、生徒? 託児所の子達ですか? へえ、何人位?
小母 三人どす。先に御見舞ひに来やはつたのと違ひます。直ぐに通して奥さんコーフンなすつたら、いけん思うたもんどすさかい――。
五郎 さうですか。……(と万葉集を片手に持つたまゝ台所口へ消える)
小母 ……(病室に美緒を見に行く)奥さん、いかゞどす?
美緒 ……(うなづいて見せる)
小母 ……(美緒の額に手を当てたり、吸入器の加減を直したりしながら)また五郎はん、書物読んで呉れはつてゐるのどすか。……なんぞお飲みになりまつか?
美緒 ……(かぶりを横に振る)
小母 どすかいな。んでも、なるべく、なんぞ飲むか食べるやうになさらんといけまへんぜ。
[#ここから2字下げ]
そこへ五郎が戻つて来る。
[#ここで字下げ終わり]
五郎 ……美緒。あのなあ、……託児所の子達が見舞ひに来てくれた。お前の手がけた子で補習科を出たのが二人と、現在あすこにゐる子が一人だ。みんなの代表みたいな意味で来たと言ふんだがね。……どうする? 別に会はなくつてもいゝだろ?
美緒 ……(かぶりを振る)
五郎 だつて、又お前、気が立つていかんぞ? 俺がよくさう言つとくから、な? スツカリ良くなれば、いくらでも会へるんだ。
美緒 ……うゝん……会ふの……。
五郎 仕様がねえなあ。……そいぢや、ほんのチヨツトだぜ。いゝかい? いゝな? (美緒コツククリを[#「コツククリを」はママ]する)……ぢや庭にまはすからね。絶対に口を利いちや駄目だよ。いゝな? (美緒コツクリ)約束したよ。ホンの一分間だよ。ぢや……(と庭に下りて裏口の方へ消える)
小母 ……生徒さん達、来やはつた。奥さん、えゝなあ!
美緒 ……(何度もうなづく)
小母 みいんな、元気の良さそうな、可愛いゝお子どすえ。
[#ここから2字下げ]
五郎が三人の子供を連れて裏口の方から庭へ出て来る。上手に立停つて、低い声で、三人に向つて何かしきりと注意してゐる。病人が重態だから、会ふのはホンのチヨツトにして呉れ、話もなるべくしてくれるなと頼んでゐるのである。三人は、子供らしい緊張した顔で、うなづきながら聞いてゐる。一人は質素な和服を着た十六七の少女、一人はカーキー色の国民服を着た十五六の少年。この二人ともまだ小さいのに関らず、既にどこかの職場に働きに出てゐるらしく、その年頃の中学生や女学生には無い所の強い着実さと言つたものが身に附いてゐる。もう一人は十一二位の洋服の少女。
五郎、注意し終つて、三人を導いて病室の前の縁側の所へ連れて来る。それを焼け附く様な視線で見迎へてゐる美緒。……三人の子供も、五郎の傍に横に一列に並んで、きまり悪さうにお辞儀をしたまゝ寝台の上の美緒をなつかしそうにジーツと見ている。
そのまゝで永い間。
[#ここで字下げ終わり]
男の子 ……(口を利いたものか、どうしたものかと五郎の顔と美緒とを見較べてゐた末に)美緒先生、……御病気どうですか?……あのう、僕達、……みんなを代表して……。
美緒 ……(三人から目を離さず、しきりとコツクリをして見せる。うれしさうに涙ぐんでゐる)
少女一 ……もつと、しよつちう、皆来たがつてゐるんですけど、……大概もうみんな働きに行つてゐるもんですから、それで暇が無いもんですから……。みんな、先生の事心配してゐます。……こないだも、同窓会があつて、五十人位集つて来て、そいで、美緒先生の事、みんなで話して、そいで、そん時に正木さん(と少年を指して)と、私と、そいから君枝ちやん(と少女二を指して)と……この子は先生知らないでせうけど、今の所《しよ》で女の組の組長してゐる藤堂君枝ちやんです……こんだけが代表でお見舞ひに来ることに決つたんですの。……ほかの人もみんな来たがつたんですけど、みんな忙がしいもんだから……。
美緒 ……(コツクリをしてゐる)
少女二 私は先生には教はらなかつたけど、でも先生のことよく知つてゐます。
少女一 あらあ、だつて、どうして知つてるの?
少女二 だつて、遊戯室のオルガンの上に、先生の写真が懸けてあるぢやないの。あれで知つてゐるんだわ。ほかの先生や卒業した人がさう言ふのよ。これは、この託児所こさへた美緒先生だつて。だからあたし達もみんな、美緒先生々々々々と言ふんです。
少女一 さうなんです。久我先生といふ者は一人も居ないんですよ。みんな私達の真似して美緒先生と言つてます。
少年 みんな元気で、大概働いてゐますよ。僕は寺島の方の明石鉄工所に行つてます。まだ見習なんですけど、夜学の工芸学校に通つてゐるから、再来年の四月になれば技手の資格が取れるんです。この仙ちやん(と少女一を指して)は、松尾の食料品部につとめながら、洋裁習つてゐます。そいから、唱歌がチツトも歌へなかつた時ちやんね、あの子は、こないだ新京の何とか言ふデパートに行きました。そいから、食堂でよくオシツコを垂れちやつて先生に拭いて貰つてゐた哲ちやんて子ね、あれは、こないだ病気だつたんだけど、もう良くなつて、お父つあんの後をついで左官屋さんになつて、腕がよくなつたら支那へ渡るんだと言つてました。
少女一 そいからね、先生、あの、よく人の物を黙つて盗んでゐた竹内ミチさんね、卒業してから学校の方も五年でよしちやつて、暫く見えないと思つてゐたら、こないだ、斉藤のツネちやんが道で逢つたら、ズツと大阪の方に奉公に行つてて、とても立派なナリをして、はあさうだすなんて言ふんですつて。先生の事を話してやつたら、とても心配してゐたんですつて。
五郎 ハハ、みんな元気でやつてゐるんだね。いゝな、みんなこれからだ。(三人に目顔で、もうそれ位にしてくれと知らせる)
少年 (モヂモヂしながら)美緒先生、早くよくなつて、又戻つて来て下さい。みんな待つてゐます。
美緒 ……(コツクリ。涙を流してゐる)
少女一 先生お大事にね。私達の事心配しないでね。ぢやこれで失礼します。
五郎 どうもありがたう。遠い所をわざわざやつて来てくれたのに、なんにも無くてホントに済まなかつた。みんなによろしく言つてね。ありがたう。
少女二 あのう、これ(と懐中から紙包みを出して縁側に置く)みんなで出し合つたんです。なんか食べる物買つて行つた方がいゝと言ふ人もあつたけど、美緒先生何がいゝかわからんからこのまゝの方がいゝつて……。みんなで八円五十銭しか無かつたけど――。
少年 (あわてゝ)馬鹿だな君枝ちやん! そんな――。
少女二 だつてさ。……そいでね、そいぢや半パだから変だと言つてたら、先生達が三人で五十銭づゝ出して呉れたんで……。十円になつたので十円きや入つてないんです。どうか――。
五郎 困るなあ、君達にそんな事させちや。どうする美緒? いたゞくか? (美緒コツクリ)……ぢや、なにも言はないで頂戴します。ありがたう。みんなにもありがたうと言つてね。
少年 では、これで……。早くよくなつて下さい美緒先生、いゝですか。
五郎 ありがたう。キツトよくなるよ。キツトよくなる。……ホントに済まなかつた。
[#ここから2字下げ]
三人、キチンとお辞儀をしてから、立去りかける。それを見て美緒が片手をあげる。
[#ここで字下げ終わり]
五郎 どうしたい? (三人の子も立停つて振向く)
美緒 ……(低い低い、かすれた声で一生懸命の力を集めて)あのね……みんなに……言つて……頂戴。……私……あなた方……の事……ホントに……好きだつた。……みんな、……みんな……自分のこと……よりもみんなを……愛して……ゐたつて、……さう……言つてね。……みんな……元気で……私の……分まで……元気で……やつて……頂戴つて……さう言つて……ね。
五郎 もういゝ、馬鹿! 疲れる!
[#ここから2字下げ]
三人の子の中で少女二がいきなりワーツと泣き出す。少年があわてゝ、泣くなと言ふ意味で、少女二をこづきまはす。少女一もポロポロ泣き出した。五郎があわてゝ三人を押すやうにして庭を歩き、裏口の方へ連れ出して行く。
少年はまだ少女二をこづいてゐるが、庭のはづれで自分まで泣き出した。……三人と五郎消え去る。
後では、これも涙ぐんだ小母さんが、何も言へず、ハンカチで美緒の頬を拭いてやつてゐる。昂奮をしづめてやらうとして美緒の手を撫でゝやる。……間。五郎が玄関から戻つて来る。
[#ここで字下げ終わり]
五郎 ……(容態にさはりはしなかつたかと、ジーツと美緒を見詰めながら、努めて落着いた調子で)馬鹿だよ。……だから、言はない事ぢや無いんだ。……それに愛してゐたなんて、キザだ。わかり切つてゐる、そんな事。……第一、ゐたと言ふのは全体、なんだよ? ゐたとは過去のことだぞ。阿呆!
小母 少し水で冷しなはるか?
美緒 ……いゝの……なんとも……無い。
五郎 いや……小母さん、水汲んで来て下さい。(小母心得て台所へ去る)……苦しくは無いか? (脈を取る)……。
美緒 ……平気よ……あゝ……嬉しかつた。……
五郎 平脈だ。……でも喋るなと言つてあるのに、馬鹿だ。……でも良い子ばかりだな。……シヤクリ上げながら駅の方へ行つた。悲しいよりも、久し振りにお前を見て、うれしいんだよ。……あんな子達を何十人となく、お前は育てたんだ。あゝしてグングン大きくなる。……すばらしいぢやないか。やがて大人になり、みんな働いて、その内に子供を生む。……明るいよ。クヨクヨする事あ要らん。
美緒 ……万葉……また……読んで……。
五郎 疲れてゐるから、後にしよう。……少し眠つたらいい。
美緒 ……いゝの……読んで……。
五郎 さうか、……ぢや、眠くなつたら、聞きながら寝ちまへ。(本を取り上げて開ける)……えゝと、(朗読)人麻呂《ひとまろ》。ぬばたまの黒髪山の山菅《やますげ》に、小雨降りしき、しくしく思ほゆ。……ぬばたまのは枕言葉。菅の草に小雨がシトシト降つてゐるのを見てゐると、恋人の事がしみじみ想はれると言ふんだ。ぬばたまの黒髪山の山菅に、小雨降りしき、しくしく思ほゆ。……同じく。大野《おほぬら》に小雨降りしく木《こ》のもとに、時々より来《こ》、吾《あ》が思ふ人、いゝな! 野原に小雨がシヨボシヨボ降つてゐる、その木の下に自分は今立つてお前の事を考へてゐるが、時々はお前も此処にやつて来ないか。大野《おほぬら》に小雨降りしく木《こ》のもとに、時々より来《こ》、吾《あ》が思ふ人。……どうした? どうかしたのか? おい! おい! 美緒! (声が次第に高くなる)
美緒 ……(昏睡状態に陥ちてゐる)
五郎 おい、美緒! こら! (いつぺんに真青になつて患者の脈を計る。ハツとして、美緒の頬に手をやつて、ゆすぶる)……おい! 美緒! 美緒!
小母 (洗面器に水を汲んで台所から持つて来たが、五郎の様子にビツクリして)どうしやはりました?
五郎 (小母さんの肩を掴んで、その耳元に口を寄せて)小母さん! 走つて医者を呼んで来て下さい! カンフルの用意! ……カンフル! カンフルです! とにかく、その用意をしてきてくれ! さう言つて! 早く! 早く!
小母 へ? ……へえつ!(と、いきなり洗面器を下へ置いて玄関から走り出して去る)
五郎 美緒! 美緒!
美緒 ……(ボンヤリと眼を開けてニツコリして)もつと、……読んで……。
五郎 しつかりしろ! 馬鹿! なんだ、これ位の事が、なんだ。馬鹿野郎! 俺を見ろ! 俺の顔を見ろ!
美緒 ……なあに? ……もつと……読んで……。
五郎 いゝよ、いゝよ、もういゝよ! 馬鹿! 俺を見て居ろ! こら!
美緒 ……眠い。……読んで……くれないと……眠い……。
五郎 よし、ぢや読んでやる! だからチヤンと聞いて、目を開いてろ! いゝか! 眠つちまふと承知しないぞ! 俺を見てろ! (右手では美緒の脈を取りながら、左手で本をデ
前へ
次へ
全20ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング