した骨組の男で、善良で神経質らしい顔。たゞ眼の光と、頬のかげが、極めて強い偏執性をたゝへてゐるのが、時に依つて善良さや神経質の感じを裏切つて、非常にしつこい、動物的なシブトさを現はすことがある。栄養不良と絶え間のない心労とのために、肉体も精神もひどく痛めつけられて居り、殆んど、ドタン場に追ひ詰められた野獣の様なあはれな有様だ。しかもそんな自分の状態を美緒に気取られまいための努力が永い間続いて来たために、美緒の眼の前では明るく呑気で平静であり、それだけに、その反動で美緒の居ない場所ではイライラと神経質になり、表情も言語動作も激しく動物的なものに変つてしまふ。その変り方も変り目も彼自身は意識してゐず、全く自然に行はれてゐるが、はたから見てゐると変化があまりはげしい対照をするために、まるで別人を見るやうな感がある。
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小母 (美緒が湯殿の戸の開いた音でハツとそちらを見るので、その視線を追つて)あゝ、こらいかん! お仕事をすましはつた。
五郎 (廊下をドカドカ歩いて来ながら)こら! また喋つてゐたな!
小母 (首をすくめて、逃げ腰になりながら)奥さんはなんにも言ははらんのどす。私だけが、兵隊さんの噂をしてゐたのどすえ。
五郎 (美緒に)チヨツト油断をしてゐると直ぐにベラベラやり出してゐる。食事前の時間は、喋つてはいけないと、あれだけ言つてゐるのが解らんのか。
美緒 ……(手真似で喋りはしなかつたと打消しながら、子供が叱られたやうに眼をオドオドさせてゐる)
小母 ホンマに、お喋りをして居たのは私だけどすえ。
五郎 (しきりに弁解してゐる小母さんの右手で鮮魚がブラブラしてゐるのを見て)どうしたんです、それ?
小母 生きのえゝ魚どすやろ? 魚屋の若いしから買うたのです。お嫁さんと引つ代へこにな。
五郎 お嫁さん?
小母 ハツハハ。ほい、しもた! 御飯の支度がしつぱなしや! (ごまかして小走りに台所へ去る)
五郎 (それを見送つてゐたが)……ホントに俺の言ふ事を聞かないと、張り倒すよ。
美緒 だつて私、そんなに話はしないんだもの……。
五郎 (遮つて)返事はしなくつていゝ。嘘をつけ。たつた今笑つてゐたぢやないか!
美緒 だつて――。
五郎 返事はしないでいゝと言つたら、馬鹿め。……今お前にとつて食慾と咽喉をチヤンとした状態で保つと言ふ事がどんなに大切かと言ふ事は知つてゐるだらう?
美緒 ……(うなづきながら、手拭を持つた手を伸して、立つてゐる五郎の首や胸の汗を拭いてゐる)
五郎 小母さんはお前の気を浮き立たせようと思つて面白い事を喋つて呉れてゐるんだ。それはわかる。小母さんは良い人だ。しかし、蛇の黒焼が一番どつせなぞと言ふ人だもの、科学的には全然無智なんだよ。そこはハツキリ区別してゐないといけない。お前までが小母さんの調子に乗つて安静を破る法は無いんだ。
美緒 ……(クスクス笑ひ出す)
五郎 なんだ!
美緒 ……(五郎のヘソの辺を指す。そこにはポスターカラアのとばつちりがコテコテくつついてゐる)
五郎 (うつむいて見て、苦笑)フフ、今日は少し能率を上げたからな。五枚描いた。好文堂の金庫から一金拾円がとこチヨロマカした次第だ。
美緒 でも湯殿は暑いでしよ?
五郎 なに、あれで丁度いゝんだよ。うん気で以てカーツと頭へ来た所で描きまくる。
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そこへ、今度は居間を通つて小母さんが用意の出来た大型の膳を運んで来る。
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小母 へい、御馳走どすえ! そこであがりまつか、庭へ出まつか?
五郎 こりや甘味さうだ。ホーレン草がよく有つたなあ。どうする庭へ出るかい?
美緒 ……(コツクリをする)
五郎 小母さん、すみませんが椅子の方を――(と美緒の肩と両脚の下に手を入れて、ソーツと抱きかゝへる。小母さんは椅子をかゝへて、庭の樹の下へ運んで日蔭に据ゑる)
美緒 ……(海水帽を指して)あれを――。
五郎 いゝぢやないか、陽は当らないよ。
美緒 うゝん、かぶるの。……かぶるのよ!
五郎 しようが無えなあ。小母さん、それ取つて。
小母 へ? へいへい、奥さんの大事な大事なシヤツポや。(取つてかぶせてやる)これ、かぶらはると飛んだ別嬪はんに見えまつせ。
五郎 (庭へ下りて、美緒の身体を動揺させぬ様に運んで行きながら)そら!
美緒 ……(帽子の下でニコニコしながら)軽くなつた? 重くなつた?
五郎 さうだなあ。昨日よりも八匁だけ重くなつた……。(ムツと怒つたやうな顔になつてゐる。美緒の身体がひどく軽いのには、馴れつこにはなつてゐても、その度に何かドキリとする気持を押しかくすのに努力を要するのである)やれ、どつこいしよ!(美緒を椅子の上に静かに臥せ、腰から下を毛布でくるんでやる)
美緒 ……きれいな空! (シ
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