ミジミと空に見入る)
五郎 (近くの椅子代りの石油箱を引きずつて来て腰をかけながら)あんまり仰向くとクシヤミが出るぞ。(小母さんが縁側から運んで来た膳を自分の膝の上に受取る)……今日は僕が食はせますから、小母さん先きにやつて下さい。
小母 でも、あんたはん、お疲れどす。
五郎 なあに、小母さんこそ腹が減つたでせう。僕あ、まだあんまり空かんから。ユツクリ食べて下さい。
小母 さうどすか? ぢやま、お先きにいたゞきま。又、喧嘩せんやうに、仲良う、ターンとおあがりやす。(笑ひながら台所へ去る)
五郎 寒くは無いか? もう少しくるんでやらうか?
美緒 ……なんて良い人でせうね、小母さんは。
五郎 良過ぎる。……だから、あゝして不仕合せだ。(食物をスプーンや箸で美緒の口へ持つて行つて養つてやりながら)
美緒 (食物をユツクリ噛みながら)私はさうは思はないわ。小母さんは結局、一番幸福な人よ。
五郎 ……お前をシンから好いてくれてゐるんだね。こないだ、お前のタンが詰つた時、いきなり口をつけて吸ひ出してくれたにや驚いた。伝染するなんてまるで考へてゐない。ありがたいけど少しありがた迷惑だ。止めようと思つても止める暇もありやしないものな。……自分の娘みたいな気になつちやつてるんだな。
美緒 娘以上よ。……私なんぞ、小母さんが居てくれなからうもんなら、トツクの昔に死んぢまつてるわ。
五郎 ……へん。お前より、俺の方が先きに死んぢやつてら。
美緒 ……(五郎の顔をマ[#「マ」に「ママ」の注記]ヂマヂ見守つてゐる)……ホントにあなたも、少し休養して頂戴な。痩せたわ。
五郎 俺は少し痩せて良い男になるつもりだ。蓮池あたりの娘さんや後家さん連中を少し唸らしてやる。
美緒 どうぞ。
五郎 お前は本当にしないが、これで仲々もてるんだぞ。二三日前も市場の角でタマネギを買つたら、あすこの娘さんがリユツクサツクの中に一つだけ余分に入れて呉れた。奥様がお悪くつちや、お大変ですわねえと言ふんだ。ホロリズムは利いてゐる。あれは、もう一押しで物になるね。
美緒 御遠慮なく、押してね。……でもどんな娘?
五郎 それ見ろ。べつぴんだぞ。惜しいことに、少しビツコでね。
美緒 フフフ……。(笑いながら軽く咳く)
五郎 そらそら、もう黙つて。……噛みやうが、まだ足りない。フレツチヤリズム、フレツチヤリズム。呑み込まうと思ふからいけない。自然にノドに流れ込むまで噛むんだ。そら今度はハムだ。
美緒 ……頤が、だるい。
五郎 口を利くな。生きてるんだから、頤ぐらゐだるいよ。……一切れのハムを十度噛めば十カロリー、百度噛めば一万カロリーだ。……一万は少し多過ぎるかな。いづれにしても、等比級数的に栄養は増すんだ。……医者の薬はあまり効かず候。小生の病気に最も有効なる療法は、うまい物を噛みに噛んで貪り食ふ事にて御座候。あまり噛むせゐか、近頃にてはどの歯もどの歯も欠け落ちて口中満足なる歯は一本も無き程に候。……子規居士に俺は賛成だな。……お前なんか、歯は全部満足にそろつてゐる。大したもんぢやないか。(養つてやりながら、美緒が噛んでゐる間を、退屈させまいとポツリポツリと話しつゞける)……なんだ、今のは、せいぜい三十度位だつたぜ。
美緒 ……(せつせと噛み込んでゐたが、息苦しくなつてハアハア言ひながら)……チヨツト、ストツプ。
五郎 苦しいのか? ……室の中で食つた方がよかつたかな。空気が少し荒い。……(美緒が首を横に振る)……タンか? (美緒がコツクリをする。五郎、チリ紙を出して、美緒の口に附けてソツと取つてやる)……一分間の休憩、チエツ、まけてやらあ……(言葉とは反対に眼はジツト注意して病人の様子を見てゐる……間)
美緒 ……(少し楽になつて)いやんなつちやうな。
五郎 なにが?
美緒 だつてさ、あんまり噛んでると、食べ物みんな、口ん中でうんこになつてしまやしないかな。
五郎 バ、バ、馬鹿な! 馬鹿を言ふな。
美緒 でもヒヨツとそんな気がする事があつてよ。口ん中が黄色くなるやうな気がするの。そしたらもう駄目。
五郎 さう言へば、小さい時そんな話を聞いた様な気がする。或る所に馬鹿がゐたが、それが食事のたびにシキリと何か考へ込んでゐる。その内に時々ヒヨイと居なくなるから、どうするかと思つて付いて行つて見たら、椀のメシを便所へ持つて行つてほ[#「ほ」に「ママ」の注記]うり込んでゐるんださうだ。……どうせしまひにはさうなるんだから、食べて身体を通すだけ無駄な手間だと言ふんださうだ。……お前も段々その馬鹿に似て来たわけだ。
美緒 えゝ、どうせ私は馬鹿よ。……だからかうして、あなたの仕事を一寸きざみに食ひつぶしてゐるんだわ。
五郎 なんの話だい?
美緒 ……あのね。……私、こんなに御馳走を食べなくつたつてヘイ
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