ると、今やつてゐるのは注射だけなのかい? ……すると、なにかね、お医者の方は、まあ一言で言ふと、差当り手当なんぞしないで、いえさ、見離したとか何とか言ふ事は無いだらうけど、でも此の間来てゐた先生は、たしか四人目の人だろ?……どう言ふのかねえ? 五郎さんが、あんまり気むづかしい事を言ふんで先生達が手を引いてしまふんぢや無いのかねえ?……(美緒が石の様に返事をしないのでしかたなく小母さんに、少し声を大きくして)ねえ、小母さん!
小母 (耳の遠い人の常で、相手の唇の動きをマヂマヂ見てゐたが)へえ、さうですとも。お医者様のお薬なんぞ、あきまへん。ホンマの一時押へだけで、あんなもんで病気は治りまへんえ! 気をシツカリ持つて、おいしい物をターンと食べる事どす。どうしてもお薬飲みたければ、縞蛇を黒焼きにして食べたらよろし。
恵子 蛇を? まさかあ! (ゲラゲラ笑ひ出す)
小母 (自分も笑ひ出しながら)お笑ひやす! でもな、わてが十七の時に肋膜炎患うて、蛇食べて治つたんですよつて、それが何よりの証拠どす。ハツハハ、でもな、ロクマクエンは治つたが、治つた時にほ、髪の毛えが、みんな抜けてしまうてな、キレーに丸坊主になりましてな。尼さんが一人でけました。
恵子 (笑ひながら)そんな非科学的な物、駄目よ小母さん。
母親 蛇なんて、迷信だよ、あゝ。
美緒 ……(小母さんに向つてニコニコしながら、その顔を撫でゝやる)
小母 そうどすえ! えらい精の強いもんどす。五郎はんは、わてがさう言ひますと、目に角を立てゝ怒らはりますけど、わてが生き証拠どすよつて。……もつとも、五郎はんが反対しやはるのは、奥さんを丸坊主にしてしまうのがお嫌やなんどす。わてにはチヤーンとわかつてゐますがな! なあ奥さん。
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会話はトンチンカンなまゝで進行する。母親も恵子もそれから美緒までが、それぞれの気持で笑ふ。当の小母さんも美緒が笑ひ出したのが嬉しくつてゲラゲラ笑ひながら、食物を美緒に養つてやりつゞける。
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小母 さうどすえ! 奥さんが尼さんになつてしまはるのを、五郎はん、いやがつておいやすのや!
母親 ハツハハ!
2 浜で
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もともと第三流どころの海水浴場で、殆んど設備らしい設備も無い海岸なのが、今は既に真夏も過ぎて、さびれ切つてゐる。
上手は街道、下手は海、中央は雑草の生えた砂丘が起伏して下手奥の波打際に開いてゐる。街道に添つて、既に店の人の引上げてしまつたヨシズ張りの茶店の一部が見える。時々ザーザブンと低く響いて来る波の音。
五郎が先刻のまゝの姿で、腕組みをして砂丘の下にあぐらをかいて坐つてゐる。少し離れて長髪に上衣を脱いでシヤツにズボンだけの尾崎が、右手にビールのコツプを持つたまゝ立つて、砂丘の中腹に置かれたスケツチ箱の上の、描きかけのスケツチ板をためつすがめつ眺めてゐる。スケツチ箱の傍には飲み倒されたビール瓶が五六本と、食ひかけのイナリずしの包みなど。それまで五郎と共にビールを飲み、話しながらスケツチをしてゐたらしい。此の男は、金貸しが本業だが、画商みたいな事もやり、暇があれはムキになつて画を描かうと言ふ男で、金貸しと言ふ商売柄から来るズルイ所は時々覗くけれど、全体の人柄に稍々とぼけた様な愛嬌があり、もともと好人物なのであらう。とにかく、坊主頭にしてギリギリに疲れ切つて、特に今イライラときびしい顔付になつてゐる五郎と並べて見ると、尾崎の方がよほど本物の洋画家らしい。
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尾崎 ……こいつは、どうも、しくじつたかな? (コツプのビールをカプツと飲む)
五郎 ……(考へ込んでゐる)
尾崎 若干、最初にこの、構図を取りそくなつたらしいや。
五郎 ……(気が付いて、スケツチ板の方を見る)なに、さうでも無いだらう。
尾崎 君がビールなんか仕入れて来て呉れたりするのが良くない。飲んでたら、変な絵になつちまつた。ハツハハ。(ビールの所に戻つて来て坐る)……少しやつたらどう。
五郎 いや、俺あ、いゝんだ。
尾崎 だつていくらも飲んでないぢやないか。たまにや君も少しやつて、ポーツとしないと身体が続かない。
五郎 いや、今あまり飲みたくないんだ。こつちの方がありがたい。(言ひながらイナリずしをつまんでムシヤムシヤ食ふ)考へて見たら昼飯が未だだ。
尾崎 大変だなあ君も。……そいで奥さん近頃どんな具合なんだよ?
五郎 う?……うん。……
尾崎 そんなにいけないのかね?……いや、毛利さんがこないだ言つてゐた。久我んとこの病人の具合が良いか悪いかを知るにや奥さんに逢つて見る必要は無い。久我の眼付きを見りや一遍にわかるつてね。……痩せたよ君は。(ビールを飲む)
五郎 ……あのね尾崎君、……何度
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