さんはいつとき、あつちへ行つてて頂戴!
五郎 ば……(と箸を持つた手でゲンコを作つて、美緒の顔を今にも殴らんばかりに構へる)黙れ! 黙つて食へ、馬鹿! (尚も母を睨まうとする美緒の顔を、手ではさむやうにして自分の方へ向かせる)
母親 なんですよ? ……やつぱり、なんですねえ、病気になると神経が強くなるからねえ。よつぽど気を付けないとねえ……。お医者は近頃なんて言ふの? やつぱりなんぢやないかね、いくら大学病院は有ると言つたつて、やつぱり田舎の大学ですからねえ。東京のお医者に代へた方がよくは無いかしらねえ。……とにかく、こんど良くなつたら、生活が苦しいのに散々無理をして託児所をやつたりするなんてえ物好きはフツツリよすんだね。お前が病気になつたのも、もともとそのセヰなんだから――。
五郎 (美緒にそれを聞かせまいとして)もつと噛むんだよ! 今のは足りなかつた。今度は卵だ。さあ、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二、……(続ける)
母親 アツハハハ、卵を噛むのを勘定してやるんですか、まあねえ、ハハ。
美緒 ……(既に自分でも母親に気をとられまいと、歯を食ひしばるやうにして五郎の眼ばかり見て噛みつゞける)
小母 (縁側へ出て来て)……あのう、五郎はん、お客さんどす。(玄関の方を指す。なるほど人影が一つ立つてゐる)
五郎 え? 誰です?
小母 あのう、東京の尾崎さんどすけど。……あがつて貰ひまつか。
五郎 尾崎君。さうか。えゝと……(少し混乱して、考へてゐる)いや、僕がそちらへ行きますから。……さうだな、(玄関へ向つて大きな声で)尾崎さん、やうこそ……此処ぢや汚なくつてなんだから、失敬だけど、海岸の茶店へ行かうか。チヨツト待つてて呉れ。
美緒 金の事でせう? 此処で話して下すつていゝわよ。私、平気。
五郎 なに、いゝんだ。いづれ奴さんの事だ、ビールでも飲むんだらうから、どつちせ、海岸の方がいゝ。……ぢや、沢山食べろ、いゝか。口を利いたらいかん。(心得て庭に下りて来て食膳を受取つた小母の耳元に)小母さん、直ぐに戻つて来ますから頼みます。美緒に口を利かせちや駄目ですよ、いゝですね。
小母 ハツハハ、あても、喋くりはしませんさけ、大丈夫どす。
母親 私が食べさせてやらうかね。(言ふだけで、離れた所に立つたまゝ、手出しはおろか、近寄らうともしない)
美緒 いゝの。小母さんが食べさせてくれるから。
五郎 (母親に)あのう、話の方は後で僕が、その事は僕がよく伺ひますから、ごゆつくりして下さつて、後で僕が、なんですから――。
恵子 (小さい声で)大丈夫よ、五郎さん、私が居るから、此処で母さんにその話はさせないから……。
五郎 ぢや頼みますよ。(庭を廻つて立去る)
小母 (美緒に養つてやりつゝ)赤かあい顔をなさつて、どうぞしやはつたか?
美緒 ……(顔を横に振つて打消してニツコリする)
小母 ターンとお食べやす。……ハツハ、五郎はんは、なんぼさう言ふてもあきまへん、ハダカのまゝでトツトと表に行きはる。……なんぼ海岸と言ふたかて、今に、おまはりさんに掴まりはつたら目玉を喰うた上に罰金や。
美緒 ……(手真似で、小母さんは食事は済んだかと訊く)
小母 へえ、済んました。……(離れてマヂマヂ見詰めてゐる母親に)奥様、そこに立つておいやすと、まだ暑うおす。おはりなつて、チヨツトお休みやしたら。
母親 (実の娘と小母さんが仲良くしてゐるのを妬みながらも、自分が小母さんほど美緒に近づいて看病してやる勇気は無い。その矛盾した気持を自分で処理しかねてイライラして、小母さんを必要以上に見下げてゐるやうな態度を執る)……小母さんはいつも丈夫でようござんすね?
小母 へえ、奥さんも、この間中暑い頃にはチヨツトお悪うおましたが、近頃メツキリ元気におなりやした。
母親 (美緒に)小母さんの月給はチヤンチヤンと払つて呉れてゐるだらうね。
美緒 ……(返事をしない。もう母や妹に返事はしない決心をしてゐると見えて、しまひまで貝の様に黙つて、噛んでゐる)
恵子 聞えるわよ、母さん。
母親 大丈夫だよ。……でもこの年になつて、耳は遠いし、身寄りもあんまり無くつて、こんな事をしてゐるのは可哀さうな人だねえ。
小母 へ? そうどす。(母親の言葉の一部分が聞えたと見え、ニコニコして)こんなに耳が遠うなつて、もうあきまへん。……(美緒に養つてやる)もつとも、日に依つて、ズツと良く聞える時もあるのどす。変どすえ、なあ奥さん。
美緒 ……(うれしさうにコツクリ)
母親 (美緒に)なんて言つたつけ、気胸療法とかも駄目だつたつて? ……さうかねえ、そりや、その医者がまづかつたんぢや無いかしらねえ? 一回二十円取られて二回やつたさうぢやないか。四十円無駄をしたわけだねえ、ホントに。……さうす
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