ら上手へ歩み去る)
[#ここから2字下げ]
 短い間。
 五郎はまだ沖を見てゐる。
[#ここで字下げ終わり]
京子 ……善良な方ね、利男さんて?
五郎 え?……さう。ありや良い男です。
京子 恋愛結婚なんて認めないつて言つたら、憤慨なすつてゐたつけ。
五郎 なんの事ですか?
京子 五郎さん、お顔が真青だわ。眼の中は真赤。酔つてゐらつしやるのね。
五郎 或る程度以上飲むと、近頃、青くなるんです。でも酔つちやゐません。ハハ。……赤ん坊が生れるんです。
京子 え、赤んぼ? 赤んぼが生れるつて、奥さんに?
五郎 いやあ、なに。いや、それは、いゝんですよ。美緒の話ぢやありません。アツハハハ……(言ひながら笑つてゐたが、京子を見てゐるうちに、フツと眼がさめたやうになつて、笑ひをパタリと止めてしまふ)……。
京子 なんですの?
五郎 いや……(ヂロリヂロリと京子の姿を眼で舐めまわしてゐる)
京子 どうなすつたのよ。
五郎 あなた、……目方はどの位あるんです?
京子 いやだわ。そんな事聞いてなんになさるんですの?
五郎 どれ位あるんですか?
京子 ……十四貫五百。
五郎 十四貫五百。思つたより無いな。十四貫五百か。……(まだ京子の身体から眼を離さない。ギラギラとして殆んど残忍な眼光である。画家として久し振りに美しいヌードを見たシヨツクと、永い間抑圧されてゐた男としての刺戟の[#「刺戟の」は底本では「剌戟の」]こんぐらかつたものである)
京子 (少しモヂモヂしながら)……そんなに御覧になつちや困るわ。
五郎 あゝ、いや。……ハハ(と、痙攣する様に短かく笑つて、平手で顔をゴシゴシこする)……失敬。
京子 何を考へてゐらつしやるの?
五郎 え?……あゝ。……僕が今なにを考へてゐるか、わかりますか?
京子 そんな事わかりやしないわ。
五郎 ……美緒の身体の事を考へてゐるんです。あいつの目方の事ですよ。十四貫五百。……あなたは十四貫五百あるが、彼奴はいくらあるかなあ。十貫……いや、そんなには無い……八貫……いや、もつと軽い、七貫位かな。とにかく恐しく、軽いんだ。僕の片手で、持ちあがるんですよ。元来、肥えてゐた方なんで、丈夫な頃は十三四貫はありましたよ。今は七貫位……あなたの半分――。
京子 七貫なんて、そんな……。だつて、どうしてそれがおわかりになるの? かゝへておやりになるの?
五郎 かゝへてやるんです。寝台から静臥椅子にうつす時に。……軽い。……まるで真綿でもかゝへてゐるやうに軽い。……肉がまるで無くなつちやつてゐるんだ。そのたんびに、僕はズキーンとするんですよ。ズキーンとする。……これが以前ヅツシリと重かつた女です。……をんな。……さうだ、彼奴はもう女では無いんです。それでゐて、彼奴はやつぱり女ですよ。妙な気がする。彼奴の身体の事は一切合切、全部、僕は知つてゐる。それでゐて、なんか、とても妙な気がするんです。
京子 お気の毒ねえ。(ホントに同情してゐるのである)
五郎 いや、そんな意味で言つてゐるんぢや無いんです。そんな殊勝らしい気持で言つてるんぢやない!……どうか、かんべんして下さい。
京子 なにをおつしやつてゐるのか、わからないわ。御気分が悪いんぢやなくつて?(心から心配さうだ。此の女は、五郎と二人きりになると、急に女らしく受動的に素直になる。従つて又、利男その他を相手にしてゐた時の高飛車な輝きも失つてしまつて、極めて平凡な女になつてしまふのである)
五郎 なあに、なんでもありませんよ。少しグラグラするだけです。
京子 でも、なんですか、もつと休養なさる様にしないといけないわ。あなたまで身体を悪くなさりでもしたら、美緒子さんだつて結局――。
五郎 そんな事は言はないで下さい。美緒の事なんぞ言はないで下さい。あれは良い奴です。あんな良い奴はありません。しかし、貪欲です。恐しく貪欲です。なにもかも、それこそ何もかも取り上げないと承知しないのです。あいつは死にかゝつてゐます。死にかゝつてゐるくせに、なにもかも容赦しない。全部、それこそ、自分の周囲の人間の呼吸してゐる空気まで、自分のものにしないと承知しないんだ。こつちが息苦しくなつて、息がつけなくつても、彼奴は、まだ取らうとする。僕は、自分が彼奴を大事に思つてゐるか憎んでゐるか、わからない時がある。……いや、美緒ぢやない、美緒を憎むと言ふよりも、彼奴の持つてゐる生命です。生命と言ふものの貪欲さです。生命の本能です。執念深い……そいつは恐しく執念深い。愛情だとか、愛だとか、そんなものでは、もう間に合はないんだ。そんな甘つちよろい物なんか吹き飛んでしまふ。なんか、もつと別な、もつと物凄いもんです。……僕あ、時によると美緒を一思ひに殺してやらうかと思ふことがあるんですよ。
京子 まあ、キビの悪い。何をおつ
前へ 次へ
全49ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング