所だつたの。そいで――。
五郎 さうですか。……(此の場の会話には関心が持てないらしい)
利男 どうしたんですか? ひどくボンヤリしてゐますね。
五郎 (やつと表情らしいものを動かして)うん?……うん。なあに、ハハ、美緒の奴に家を追ひ出されちやつてね。わけもなしにヂ[#「ヂ」に「ママ」の注記]レヂレと怒り出すんだ。病人の頭の考へ出すことなんか判らんよ。ハハハ。
利男 熱でも出たんぢやないかな?
五郎 それさ。……心配させやがる。
利男 赤井さん達はもう帰つたんですか?
五郎 いや、まだ居る。
利男 だいぶ飲みましたね?
五郎 うん、頭がガンガンしやがる。三日ばかりロクに寝てゐないしね。
利男 ぢや、やつぱり姉さん悪るかつたんですね?
五郎 ……一時はもう駄目かと思つた。まるでもう死に物狂ひだ。比企さんが来てくれたんで、ありがたかつた。でも、もう大丈夫だ。いつでも一定の周期があつて、つまり峠だな……そいつの昇り坂の所では、どんなに抵抗しても人間の力では到底駄目だ。自然に頂上に来るのを待つより手は無い。やり過すんだね。下り坂にかゝると、うつちやつて置いても、多少無理をしても、平気だ。ケロリと落着いてしまふ。やれやれと言ふ所だ。あゝあ!
利男 実際、すみませんねえ。五郎さんにばつかり苦労させて。
五郎 なんだよ?……利ちやんが、そんな風に言はなくつてもいゝよ。僕は辛いとも何とも思つてやしない。……美緒が変なことにでもなると、多分、もう俺も駄目になるかも知れんからなあ、つまるところ自分が可愛いゝから、かうしてゐる様なもんさ。
利男 ……母さんが、もう少しシツカリしてゐて、代り合つて看病でもしてくれるといゝんだけど……。
五郎 いやあ……いやね、看病はいゝから、ただ美緒に変なこと言つてくれないと、ありがたいけどね。
利男 ……この前も、なんか名古屋の家の話をしたんぢやないんですかね?
五郎 うん、チヨツト。
利男 やつぱりそれで姉さん悪くなつたんだな?
五郎 いやいや、さう言ふ訳もないが……。
利男 僕があれ程反対しても母さんは言つちまふんだからな。大体、名古屋の財産なんか、いくらの物でもありやしないし、初めから美緒姉さんの物なんだから、今更僕等がヤイヤイ言へた訳のもんぢやないんですよ。事実僕なんぞ、そんな物無くたつていゝんだ。そりや金は欲しいけど、それは姉さんの病気が治つてからユツクリ分配すりやいゝんですよ。
五郎 いや、美緒が現在の様な有様だから、もし万一の事があつたらと、お母さんとしては心配になるのは無理は無いかも知れないんだ。……でも、兎に角彼奴は恐しく神経質になつてゐるからね。たとへば僕が彼奴の病状を心配してゐるといふ事をチラツとでも感附かせただけで、もういけない。ピリピリツと反射して行くんだな。恐しい位だ。それを押へつけて、彼奴の気持を安静にしとく為には、絶えず病人の神経の届く範囲に先廻りをしたり、裏の裏をかいたり、とにかく彼奴よりも強い神経でピシリピシリとのしかゝつて押へつけて行く以外に手は無いんだ。西洋の医者で「結核は呼吸器病と言ふよりも精神病である」と言つてゐる奴があるが、全くだよ。……それ位なんだからな。
利男 とにかく母には今後その話は絶対にさせない事にしますよ。
五郎 いや、僕あね、なるべく早く、その書換への書類に美緒に印を捺させてしまはうと思つてゐるんだ。……どうせ利ちやんがとめてくれた位で話を控へてくれるお母さんぢや無い。いや悪く言つてゐるんぢや無いぜ。どうせさうなるもんなら一日も早くさうしちやつた方がいゝからさ。
利男 ……さうですか。
五郎 ……今日は、だいぶウネリがある。……沖は荒れてるな。……京子さん、もう泳いだんですか?
京子 ……いゝえ、兄だけ泳いでゐるわ。
五郎 へえ。……(沖を見て)此処からは見えないなあ。
京子 そんなに遠くまで行けるもんですか、あのブイの処よ。
五郎 見えんなあ……。
京子 ほら、赤いのが見えるでしよ? 鴎の飛んでいるチヨツト右の辺、赤いブイの近くよ。
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利男何か考へながら下手の方へ歩み出してゐる。
[#ここで字下げ終わり]
五郎 ……波が高い。……(ボンヤリ沖の浮標を見てゐる)
京子 あら、利男さん泳ぐの?
利男 いや。……さうだな、ボートでも少し漕いで来るかな。貸しボート屋やつてゐるかな? (眺めて)あゝ、まだやつてる。京子さんもどうです?
京子 あなた漕げて? ウネリが高いから、マゴマゴしてゝ、ひつくり返りの、ドブンなんて、ありがたく無いからな。
利男 (苦笑)冗談言つちやいけません。中学時代、これでボートのチヤンだつたんですよ。
京子 さう? そいぢやあ後で乗せて貰ふわ。その辺まで持つて来て、浜につけてね。
利男 かなはんなあ。……(言ひなが
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