んですよ。
利男 (赤井に辞儀をして)……今度いよいよ、なんですつてね。電車の中で伺ひました。
赤井 やあ。後の事はどうかよろしくお頼みしますよ。
利男 そいで、御出発はいつなんですか? どの方面ですか? やつぱり北支でせうね?
赤井 ハツキリわかりません。いづれ、そこいらだらうとは思つてゐるけど。(小母さんが一同に茶を運んで来る。小母さんと伊佐子は辞儀を交す)
利男 どうかしつかりやつて来て下さい。僕なども今に来るだらうと思つてゐますけど、なんでせうか、補充兵といふのは、入隊してからどの位の間教育してから現地へ行くんでせうか? 大学で軍事訓練の方はやつて来てゐるんですけど、ウワの空でやつたもんですから、どうも身体に自信が無くつて。こんな事ならもつとマジメにやつとくんでしたよ。ビシビシやるんださうですね?
赤井 (苦笑しながら)補充兵の教育期間もいろいろで、一定してゐないやうですね。一時随分気合ひをかけられて辛らかつたさうだけど、現在はそれ程でもないでせう。
利男 なんですか、痔が悪いと、はねられるさうですけど、僕も少し痔の気があるんで……。もつとも大した事はありませんけどね。
美緒 利ちやん、あんたばかりそんなにベラベラ喋るもんぢや無くつてよ。
利男 なんだよ?
美緒 いえ、伊佐子さんも見えてゐるんだから――。
赤井 なに、いゝんですよ。ハハハ、(伊佐子に)又、家でグズグズ言つたんだらう?
伊佐子 えゝ、……いゝえ。……あのう、これ、こちらの奥さんにハムを少し、それからあなたの冬のシヤツを二枚。……そいから、欲しがつてゐたライタアと、固型ガソリン。ガソリンは随分捜したの……(フロシキ包みを差し出したまゝ、おびえた様な顔をして、しかし目を大きく開いて、赤井の顔をジーツと見詰めてゐる)
赤井 さうか、ありがたう。……どうしたんだ?
伊佐子 ……(石の様に夫を見詰める)
利男 ……なあんだい姉さん、元気さうぢやないか。お母さんや恵子姉さんが、なんだか大分悪さうだと言ふもんだから、心配しちやつたよ。この間お母さんや恵子姉さんやつて来た時に、なんか有つたんだつて? だもんだから僕あ――。
赤井 (聞きとがめて)え? なんか有つたんですか?
美緒 いえ、なんでもありませんの。(利男に)相変らずね、お母さんは、ホンのチヨツトやつて来ただけで、私をよく見もしないで、直ぐにそんな風に言ふのよ。
赤井 (美緒のために心配して、五郎を見て)具合が悪かつたんぢやないか? かうしてゐるの良くないんぢやないか?
五郎 うゝん、いゝんだ、いゝんだ。なんでも無いんだ。利ちやん、お母さんは直ぐに大袈裟に言ふんだよ。
利男 でも、とにかく、あれで姉さんの事を心配してゐる事は本気で心配してゐるんだからなあ。
五郎 そりや、さうだ。そりや、さうだ。たゞね――。
美緒 (イライラしてゐる)利ちやん、あんた、少し浜の方を散歩でもして来たらどう?
利男 うん、さうしようかな。勤めてゐて久しぶりに外に出て来ると、なんかしらん、気が立つてね。ハツハハ、海でも見て来るかな。赤井さんも行きませんか?
美緒 いえ、赤井さん達には色々お話が有るだらうから――。
利男 あのね、姉さん、僕の事で此の前お母さん何か話してゐなかつた? いや、目下、その、候補者が二人有るんだよ。僕あまだ月給四十五円しか取つてゐないし、そんな話は未だ早いと言ふんだけど、お母さんは、そんな事あ無いと言つて肯かないんだ。そいで――。
美緒 (苦笑して)後で聞かせて貰ふわ、後でね。比企さんの京子さんも見えてゐるわ。
利男 え、京子さんが? さう、一人で?
五郎 いや、兄さんと一緒だよ。今、浜で泳いでゐる筈だ。
美緒 利ちやんも泳いで来たら、どう?
赤井 いや、僕等の事なら、どうぞ、御遠慮なく。かまひませんよ美緒さん。
利男 (やつと少し姉の気持が分つて)[#「分つて)」は底本では「分つて」]……ぢや僕、チヨツト行つて来るかな。泳ぐのも久しぶりだなあ。水着は此の前のが有つたね。……ぢや又あとで。(台所の方へドンドン去る)
赤井 相変らず元気だな。
五郎 (苦笑)なんしろ勤めはきまつたし、面白くつて仕様がない時代なんだね。でも性質は無類に良いんだ。これの肉身の中で、あの男だけは飛び抜けて善良なんだよ。……伊佐子さん。わざわざおみやげを済みません。いよいよ赤井が行くとなると、あなたも大変だ。
伊佐子 はあ。……(眼はやつぱり赤井を見てゐる)
赤井 なあに平気だね? あとの事は久我君にみんな頼んどいたから。家の者が少し位変な態度を見せたつて、知らん顔してりやいゝんだ。
伊佐子 (今迄固くなつてゐたのが、フツと自由な気持になつてニツコリして)あなた、顔が真赤だわ。
赤井 ひどく飲まされた。ハツハハハ。
伊佐子 あのね……(と
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