になつたりしてゐる子もあるし、驚いたよ。なあ美緒。自分が年を取るのは知らずにゐるもんだねえ。しかもそれが、まだ大人にもなりきらないのに、それぞれシツカリやつてゐるんだ。もつとも、これは託児所で一緒にやつてゐた職業補習学校に来てゐた連中なんだが。一人の男の子は、もつと勉強したいけど家が貧乏で困つてゐるんで家のために働いて行かうか、それとも家を出て勉強しようかと苦しんでゐるし、もう一人の男の子は来年になつたら満洲へ働きに行くんだと言つて仕事の隙に満洲語を習つてゐるし、女の子の中には、自分の出身した補習学校の助手になつて、もう恋愛みたいな事をしてゐる奴もゐる。面白いのは、或る鉄工場に入つてゐる少年でね、そこの自治会に加入して――勿論あまくだりの会だがね――その内部をモツト自分達のものにしなきやいかんと言ふんでグングン活溌に働いてゐる奴なんかがゐるんだよ。そいつの父親もやつぱり職工で、以前城北の方でかなり優秀な男だつた奴だ。その子がそんな風になつたのには、父親の影響も有るにや有らうが、表面なんのつながりも無いんだね。勿論書物を読んでそんな考へになつたのでもない。第一、父親の昔の運動とは、考へ方の基礎が全然違ふんだな。言はゞ一種の全体主義的とでも言へる協同主義みたいなものを目ざしてゐる。まだハツキリしたもんぢや無いが、当人は大真面目なんだ。とにかくそんな小さな子が自分の頭だけで考へた事なんだよ。生活といふか、時代といふか、そんなものが教へてくれたんだな。面白いぢやないか、え? いろんな奴が居るねえ美緒!
美緒 ……(非常に幸福さうにニツコリして見せる)
赤井 さうか、そいつはすばらしいね。良い仕事といふもんは、いつの時代になつたつて、なんか後を残すもんだな。消えてなくなりやしない。美緒さんもうれしいでせうね。
美緒 えゝ。でも、私、かうして寝てゐても、あの子達のことを思ひ出すたんびに、心配になつてしやうが無いんですの。いつまでも小さい子供のやうな気がしてゐるんですのね。
赤井 それでいゝんですよ。それでいゝんですよ。次から次と、頼もしい奴等は生きて行つてくれる。僕あね、久我、近頃急にそんな気がする事があるんだよ。僕が死ぬ。その死んだ後で、この自然やそれから大勢の人々が僕の居なくなつた事なんか知らずに以前通りにヘイチヤラな顔をしてズーツと続いて行くといふ事を考へると、以前はイライラしてたまらなかつたけど、近頃そいつが反対に、なんかとても頼もしい気持がするやうになつて来た。
五郎 ……(なんにも言へない)
美緒 ……私も、もう一度、生れ変るかなんかして、どんな事をやるかと言ふと、又過労のためにこんな病気になる事がハツキリわかつてゐても、又託児所をやります。……そんな気がするんですの。
五郎 ば、ば、馬鹿な! そんな――こら! お前達! たまるか! いや、さうして見ろ、そんな元気があつたら、それもいゝだらう! ただ、死んだらいかん! 死なれてたまるかい! (睡眠不足とビールの酔ひと昂奮のために、美緒を見たり赤井を見たりして言ふ)な、赤井! そんな、そんな、野狐禅の坊主の言ふやうな事は俺は嫌ひだよ! 美緒、阿呆だ、そんなおめえ――
赤井 アツハハハ、ハハハ(これも酔つて真赤になつてゐる)怒るな! 怒るな! 話をしてゐるんだ。ハツハハハ。
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この時玄関に、美緒の弟の利男と、赤井の妻の伊佐子が連れ立つて入つて来る。利男は背広姿で、少し軽佻で落着きに欠けてゐるが、善良さうな男である。言語動作に学生風が抜け切らない。伊佐子は、簡単な洋服姿に、フロシキ包みを下げてゐる。ガツシリした直線的な身体に、思ひ切つて明瞭な感じの美しい顔。素朴な人柄の中に永らく他家の女中をしてゐた者の習慣的な卑下の態度がまだ抜けてゐないし、それに今日は出征する夫に会ひに来たせゐか、稍々おびえた様な顔つきが時々覗く。
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利男 今日は。
五郎 ……あゝ利ちやんか。伊佐子さんも来ましたね。ようこそ、赤井はもうトツクに来てゐますよ。(伊佐子、無言で辞儀をする)さあさ。……
利男 (あがつて来ながら)電車が丁度同じでしてね。どつかで逢つたやうなと思つてゐたら此処でいつかお目にかかつてゐたんだ。……姉さん、どう、具合は? (美緒うなづいて見せる)もつと早く来ようと思つてゐたけど、又お母さんに話しかけられちやつて。なあに、例のお嫁の話さ。いやんなつちまわあ。ハツハハハ、これ、おみやげ。(と菓子の包みを姉の枕元に置く)
美緒 ありがたう。
伊佐子 (あがつて片隅に坐つてモヂモヂしてゐたが、キチンとお辞儀をして)暫くでございました。奥さん、その後いかゞでゐらつしやいますの?
五郎 いゝんです、いゝんです。挨拶なんか抜きにして下さい。赤井は随分待つてゐた
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