何か言ひ澱んでゐたかと思ふと不意にシクシクと泣き出す)
赤井 (びつくりして)なんだ、どうしたんだ? ……どうした?
伊佐子 (二つ三つ声を出して泣く)……私、どうしたら、いゝんだらう? あなたの居ない時に生れちやつたら、どうしよう?
赤井 なんだつて?……生れる?
伊佐子 さうぢや無いかと思ふの。……私、ホンの此の間まで、気が附かなかつたの。でも、もしかすると、さうぢや無いかと思ふの。……家の姉さんに聞いたら、多分さうだつておつしやるの……。
赤井 さうか。でも、なにか、医者に診て貰ふとか、なんとか……?
伊佐子 姉さんは、医者に見せるまでも無いんだつて。……そいで私、どうしようかと思つて――。
五郎 さうですか。いや、なあんだ! それでいゝ、それでいゝんだ。どうしようかなんて思ふ必要はありませんよ。なあんだ伊佐子さんも少し馬鹿だ。いゝじやありませんか、それでいゝんだ。俺がゐるからいゝんだ。
赤井 ……僕の子が生れる。……さうか。
五郎 いゝんだ、いゝんだ! それでいゝんだ!
赤井 ……久我、ひとつ、よろしく頼む!
五郎 大丈夫だ。俺が引受けた。
美緒 伊佐子さん、お目出度う。
伊佐子 まあ……(両手で顔をかくしてゐる)
赤井 (うれしさを隠しきれず、でもテレて顔を掻きながら)……こんな、今頃になつて出しぬけに、どうも――。
五郎 いゝぢやないか。赤井、もう一つ飲め。伊佐子さんも一つ飲みなさい。(ビールを注ぐ)
美緒 伊佐子さんは飲んぢやいけないわ。
五郎 え?……あ、さうか。ぢや赤井、お前飲め。
赤井 でも俺あもう先刻からグラグラして、ひどく睡くなつて来ちやつた。(飲む)
五郎 いゝぢやないか。眠くなつたら寝たらいゝ。時間が来ればチヤンと起してやる。
美緒 (しばらく前から何かひどくイライラしてゐる)さう、ホントにお眠りになつたらいゝわ。あなたは、少し散歩して来なさいよ。
五郎 俺か? いや、俺あもつと赤井と話が有るんだ。
美緒 だつて……そんな事になれば、伊佐子さんも、もつと何かお話があるでせうし、あなたホントに浜へチヨツト行つて来るといゝわ。
五郎 浜へなんか行きたく無い。伊佐子さん話があればすればいゝぢやないか。どんな話だつて俺達の前でしてくれていゝよ、なあ赤井。
赤井 うん。なんかもつと話して置きたい事が有つたんだが、――いや君にだよ、――どうも、うまく言へなくつて。そこへ持つて来て、今の話で、スツカリどうも毒気を抜かれちまつた。ハツハハハハ。
伊佐子 (明るい自然な嬉しさうな顔になつてゐる)だつて、あなた。……(笑つて)でも、ホントにあなた真赤よ。うでだこみたい。それで聯隊へ帰つたら叱られやしない?
美緒 ですからホントにあつちの居間の方でいつとき横におなんなさいよ。なんなら小母さんにチヨツト毛布でも出して貰ひますから。(五郎に)ねえ、お願ひだから、あなた散歩して来て頂戴よ! (語気が強い。先程から顔を紅潮させて、イライラしてゐるのである)ね! もうあと一時間しか無いのよ!
五郎 だから俺あもつと赤井と話がしたいんだと言つたら! お前、なんでそんな風に言ふんだ? (少し怒つてゐる)
美緒 ですからさ! だから――(伊佐子に)伊佐子さん、ホントに御遠慮はいりませんから、あちらへ、どうぞ! それぢや赤井さん佐倉へは帰れませんわ! 居間の押入れに毛布がありますから。小母さんは、たしか買出しに行つたやうですから、どうか御遠慮なく。ホントに! 横になつてユツクリなすつて!
伊佐子 はあ、でも(モヂモヂしてゐる)
赤井 (びつくりして不安な眼で見ながら)……いゝですよ、そんな。寝たきや、勝手に寝ますから、そんな……。
美緒 どうぞ、ホントに……(涙声になつてゐる)
五郎 (美緒の昂奮のしかたが、あまり異様なのでドキンとして)美緒、お前、どうしたんだ? 真赤ぢやないか。(と額に掌を当てゝ熱を計る) なんでそんなに……?
美緒 (その五郎の掌を振り払つて)いゝのよ! ホントに浜へでも散歩に行つて! ね!
五郎 行けと言やあ行くけど、……なにをそんなに気を立てるんだ。どうしたんだ?
美緒 どうもしない! 気分が悪いんぢや無いの。だからさ!……(泣き出してしまふ)
五郎 ……? (不安さうに、どうしていゝかわからず美緒を見詰めてゐる。赤井夫妻も心配さうに美緒を見守つて困つてゐる)
4 浜で
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2と同じ場所。
砂丘の上にも、波打際にも人影は見えない。
砂丘の中腹の草の上に、比企の脱ぎ捨てた浴衣が置いてある。
その上の草の中から聞えて来るアルトの Torna A Surriento(G. B. de. Curtis)「ソレントへ帰れ」
唄声はその辺一体に流れ漂うてゐる。
京子が砂丘に寝て歌つてゐるの
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