たって言ってますけど。
圭子 ……どれ位、中にいらしったの?
双葉 一年と、五カ月ばかりだったかしら。(圭子のきざんだ菜をアルミのボールに取って、塩をふりかけて、もむ)
圭子 ……じゃ信子さんとは、とうとうお逢いにならなかったのね?
双葉 ええ、兄さんの出て来たのは、八月の末ですから。
圭子 戦争中、やっぱり、そんな風な、なんかなすっていたんですの?
双葉 さあ、雑誌や新聞の仲間の人達と時々集まって、研究会みたいな事をしていただけじゃないかしら。ソヴィエットの通信員の人が、その会に二三度来たって言うんだけど、それも外国の情報を聞くと言った程度だったんですって。
圭子 ……しかし、たったそれ程の事で一年五カ月。――それも戦争がこんな風にならないでいれば、いつまでだったか……とにかく、あの時分と来たら、誰も彼も頭がどうにかなってしまっていたのね。
双葉 そう。……(もんだ菜に水をかけてかきまわし、その水を流しへこぼす)……だけど、誰も彼も頭がどうにかしているのは、あの時分と限らないじゃないかしら。今でもやっぱし、形こそ違え、同じ事じゃないかしら。……私はそう思うの。――つまり、もともと私たちの程度がまだまだ低いから、それが世の中がグラグラするたんびに、本性がさらけ出されて来るんじゃないかしら。仕方がないと思うの。当分がまんして、私たちみんなの程度の低さを、なんとかして高めて行くほかに、しようがないんじゃないかしら。
圭子 そうね。……(双葉の出した大皿に、ボールの菜をしぼって水を切って、ほぐして並べる)だけど、双葉さんなんか、まだ若いし、とにかく、こうして落着いていらっしゃれるから、うらやましいわ。私なぞ、いくらそうは思っても、もう、しようがないのよ。自分のことだけで、やりきれなくなっているんだわ。
双葉 ……いいえ、私なぞに、そんなえらそうな、人の事がどうのこうのと言えるもんですか。結局は自分の事なの。ただしかし、その自分も日本人の一人だし、日本人全体が背負っている荷物は、その一人分だけは自分も背負っているし……自分の低さが結局日本人全部の低さじゃないかしらと思うもんだから。……私もそうだし、それから、ちい兄さんがあんな風になっちゃってるのも、せい子さんも三平叔父さんも、お父さんだってそうだと思うの。或る意味では誠兄さんにしたって――みんなみんな、そうだわ。重い荷物の下で、どっかしら、みんな身体が歪んじゃってる。歪んじまう位に弱いのね。――そして、弱いのは、私どもが低いからじゃないかしらと思うもんだから……(大皿を持って食卓の方へ行き、並べられた食器の間に置く)
圭子 弱いのは事実らしいわね。(ユックリと室内を歩きながら)しかし、全体が高いからとか低いからとか言われてもまるで夢のような気がするけれど。さしあたり、こんな風になっちまってる私など、生きるためには、それこそどんな事をしても、生きなくちゃならないのよ。
双葉 それはそうだわ。……私だって、近い内に働きに出ようと思っているの。私も圭子さんに教わってダンサアになってもいいけど、これじゃ、ねえ。こないだも、道で小さい子が、私の顔を見て、こわがってね、一緒に居るお母さんになんと言ったと思って? ふふ。だもの、だあれも私と踊ってなんかくれるもんですか。(アッサリとした言い方だが、圭子はなにも答えられないでいる)……だけど、圭子さんが、ご自分の事を直ぐに「私なんぞ」とおっしゃるの、私、不賛成だな。
圭子 ……だって、そりゃあなたが、私達のくらしをお知りんならないからだわ。一口にダンサアと言っても色々で、中にゃ立派な人も居るでしようけど――そんな事してたんじゃ一家五人たちまち干乾し。それこそ、アラアの神さまよだわ。ふふ……ずいぶん失礼な生活だわよ。(上手扉の手前の壁のところに立停る)
双葉 …………。
圭子 欣二さんが先刻、病院で私に逢ったって言ってらしった――ただの病院じゃなくってよ、ケンサ。……
双葉 ふむ。……(薄暗い中でも見える位にパッと顔を赤くして、しかし無理に押し出すように言う)だけど、そんな必要が有って?
圭子 …………有るらしいわね、やっぱり。……それが、私達のくらしよ。なにもかにも、むしり取られて、その上――
双葉 …………。
圭子 ……私は近頃、信チンがうらやましくなる事がある。……(そのへんの床の上を見まわして)この辺じゃなかったかしら?
双葉 なあに?
圭子 八月十五日の晩に、信子さん寝ていたの――
双葉 うん、そこだったわ。
圭子 ……信チン、あなたは――(ボンヤリ言いかけて言葉を止め、立ったままその額を壁に押しつけてジッとなってしもう)……。
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(間)
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双葉 (ポツンと、圭子によりも自身に向って言うように)しかし、私は、これでいいと思うの。……みんな、みんな、ひどい事になってしまったけど、しかし、私たちが眼をさまして、自分の正体をハッキリ見るためには、こんな風になる必要が有ったんだわ。……どんなに苦しくても、しかし、私どもが憎んでもいない人たちと戦争をして殺し合っているよりも、まだ、ましだわ。……以前より良い時代が始まったという事を私たちが認めるならば、そこから生れて来るいろんな苦しい事もありのままに認めて、勇気を出して、生き抜いて行かなくちゃ。……そう思うの私。……信姉さんの気持は、私には、よくわからないの。……そりゃ、戦争中、挺身隊やなんかで働いていた気持が真剣だったら、信姉さんと同じようにするのがホントだったかもわからない。……しかし、死んだからって、問題は片づきゃしないと思うの。自分が死んだからって、日本や世界が消えて無くなるわけじゃないんですもの。卑怯だわ。えて勝手だわ。……そう思うと、私、信姉さん憎らしくなるの。
圭子 ……(まだ壁に額をつけている)
双葉 ……こっちへいらっしゃいよ圭子さん。(圭子の方へ行き)いや! そんな風にしているの。(後ろから圭子を抱く)……。
圭子 ……(壁から額を離して、双葉と共に食卓の方へ行きながら)欣二さん、……出征なさる前迄たしか高等学校に行ってらしったんでしょう? そこへ戻れないんですの?
双葉 ……戻れないことは無いでしょうけど、自分の方でそんな気は無いんでしょう。
圭子 おそろしいわ、近頃。不良だなんて、そんなもんじゃないの。……商売人のゴロツキや闇ブローカーなど――それも大概親分株の連中をおどかしちゃ――いいえ、それが金を捲き上げるためとは限らないの。ただ、変な事をしておどかすんだわね。……こないだも本所の方で、ダンスホールのマネジャを斬ったそうだし、……今日なんかも島田って――ゼゲンみたいな事をしている、とってもウルサイ奴よ、そいつを掴まえて病院のガレージの所で話をしているから、チラッと見たら、欣二さん、自分のナイフを自分のここんとこ(左の二の腕を指して)に逆手に突きさして、ニヤニヤ笑っているんだわ。
双葉 …………。
圭子 それを見て島田の方が真青になってブルブル顫えているの。……みんな、とても、おそろしがっている。柴田のフーテン――。
双葉 …………。
圭子 ……応召中、欣二さん、一体、どんな風な事していたの?
双葉 なんか、無電の方で水雷に乗り込んで――
圭子 ふーん……。
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(そこへ、奥の出入口から、疲れ果てたせい子が戻って来る)
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双葉 ……お帰んなさい。
せい ああフーちゃん。……(食卓のわきの椅子にかけて、溜息をつく)
双葉 どうしたの?
せい ……どうしても返してくれない。
双葉 え?
せい (それには答えないで)……そいで、フーちゃんの方どうでした、なんか買えて?
双葉 ……駄目。みんな二千三千という現金を、前もって、なんにも言わないで、お百姓のうちへ置いて来るんだわ。そこい又、布地だとか地下足袋なんぞ持ってってやるんですもの。三十円や五十円持って私たちが行ったって、はなも引っかけてくれない。
せい ……でしょうねえ。――配給所の方も昨日も今日も私聞きに行ったけど、いつになったら入荷するか、けんとうが附かないと言うし。……欣二さんの買って来て下すった麦も、おとついでみんなになって――明日の朝から、まるでもう、なんにも無いんだけど、ねえ双葉ちゃん、……どうしたらいいかしら?……(双葉答えず。せい子の背後に位置していた圭子が、その時身じろぎをしたので、せい子がはじめて気附いて)あら……(黙って頭をさげる圭子)……いらっしゃいまし。
双葉 ……圭子さん――
せい ……失礼いたしました、気が附かないで――(少し笑う)まあ、なんて暗いんでしようねえ……あ、そうそう、電燈が悪くなっていたっけ。
双葉 お父さんと、ちい兄さんが直しに行ってる。
せい 欣二さん、帰って来たのね?……そいで、誠さんやなんかは――?
双葉 裏の畑。
せい そう。……さてと、お夕飯の仕度――(立って炊事場の方へ)
双葉 私、おつゆを拵えたの。ミソが無いから塩だけなんだけど。
せい そう、そりゃ、ありがたいわ。パンが有るから、そいで結構ですとも。ええと――
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(その時、上手扉の奥の戸外のかなり難れた所で、三平が、大きくどなり立てる声、「なんだ、君ぁ?」「どうして、こんな所で……」「君ぁ、ぜんたい、なんだ!」など言うのが聞きとれるだけで、まだいろいろに言っている言葉はハッキリしない)
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双葉 ……どうしたんだろ?
せい 叔父さんと――誠さんが、なにか――?(双葉と眼を見合わしている。戸外では、まだ三平がどなっている。……双葉、思い切って、急ぎ足に上手扉から出て行く。それに続いて圭子も出て行く。せい子も一緒に行きかけるが、急に三平と誠とが喧嘩でもしている姿が頭に来て、立ちすくむ。薄暗がりの中で、その顔と着くずれた着物から洩れている襟元が白く浮きあがっている。……ブルブル顫える片手を頸のところへ持って行きながら、いくらかおだやかになった戸外の声に、耳を澄している。……ソロソロと上手扉の方へ)
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(そこへ、背後を振り返りながら、誠が入って来る)
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せい あ!
誠 ……(立停ってすかすようにして見て、せい子を認め、チョットの間、見守っていてから、ユックリと自分の机の方へ行き、手に持っていた校正刷を机の上に置く)
せい ――どうなすったんですの?
誠 え?
せい 叔父さんと、なにか――?
誠 ……へんな男が居たんですよ。
せい (相手の言葉の意味がのみこめないで)え? 男――?
誠 こわれかかった犬小屋があるでしょう、畑の隅に。あの中にもぐり込んで寝ていた。叔父さんが見つけて引っぱり出したけど、何を聞いても黙ってシャックリばかりしている。
せい へえ。犬小屋にねえ。……なんか悪い事でもするんじゃないでしょうか?
誠 そんな事ぁないでしょう……暗いなあ。
せい 先生と欣二さんが電燈、なおして下すっているそうですけど。……そいで、その人、なんですの?
誠 さあ。――捨てとけばいい。
せい そうでしょうか。……おなかがおすきんなったでしょう? 直ぐに御飯にしますから――
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(戸外の方を気にしながらも、食卓の方へ戻り、その上の食器などを見しらべて、炊事場へ行き鍋のふたを取って中を見たりする。誠は机の端に腰をおろして、薄闇をすかしてせい子の方をジッと見ている。せい子、鍋を持上げて、食卓にのせる。それから、七輪に火を起こそうとするが小さい薪が無いので、手斧を取ってコツンコツンと割る)
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誠 ――せい子さん……厨川の方は、どうしたんです?
せい え?……ええ。
誠 どうしました?
せい どうって――私の方では、別に、どうしようもないんですから。
誠 どうしようもないと言ったって――そりゃ、先方が籍を抜いてくれなければ、形の上では差し当りどうしようもないにはないけれど、しかし問題は、あなた自身の心持次第でホ
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