掛にかける。そしてジッと動かなくなる……間……)
(上手の扉から、長男の誠が入って来る。みすぼらしい背広にハンチングにズックの手さげカバン。ひどく憔悴している。冷静な、時に過度におさえつけたような傍観的態度。ものを言い出すときに時々乾いて前歯にへばり附いた唇をひっぺがすのが、痙攣するような、場合によって相手を嘲笑しているような表情を与える。――扉の外でぬいだ破れ靴を扉の傍に置いて、室内を見まわした眼が自然に清水にとまり、しばらく見ているが、清水はこちらに気が附かぬ。誠は別に言葉をかけようとするでもなく、ユックリと室内を見まわした末に、上手前寄りの坐る式の机の所へ来て、ズックのカバンを机の上にバタリと置く)
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清水 ……(その音で、ちょっとの間、ボンヤリと誠を見ていてから、われに返って)やあ……。
誠 いらっしゃい。――みんな、どうしたんでしょう?
清水 ……ええ、ちょっと、その、待たせて貰っているんで――(腰をあげる)
誠 いいんです。……(疲れきった様子で坐りながら)どうぞ、ごゆっくり。――失礼。(机の前に敷いてあるきたない座ぶとんを四つに折って、それを枕に床の上にじかにゴロリとあおむけに寝る)疲れているもんだから――(軽いせきをはじめる)
清水 はあ、いや――。(その時、同じ上手の扉の、誠が入った時にしめ切らないで少し開いていたのを、外からスッと押す片手が見える)
声 ただいまあ。……(その手が、からのリュックサックを室内に突き入れながら)兄さん――誠兄さん!
誠 ……おい。――双葉か?
声 やっぱり、兄さんだった。……駅んとこで、ガードの下を歩いて来るの、そうじゃないかと思って、急いで来たけど……(外で靴をぬいだり、バタバタと着物のほこりをはたいたりしながら)……駆け出そうと思っても、膝がガクガクしてだめなの。……(言いながら、次女の双葉が入って来る。簡単なブラウスに男のズボンをはき、左手にズック靴、右手の手拭いでズボンのすそを払いながら)足に豆が出来ちゃったわあ。アラアの神よ代々の聖人様よ……(言いながら靴を扉のわきに置き、食卓の方を見ると、そこに兄ではなく清水が立って此方を見つめているので、不意に口をつぐんで黙ってしまう。そして立った彼女の顔の左半面の、咲いたばかりの花のような勁《つよ》さ)
清水 ……やあ。(マジマジと相手を見つめていた末に、頭をさげる。双葉、急に少女らしくはにかんで、黙ったままキクンとお辞儀をする)
誠 どこへ行ってたの?
双葉 ……うん、買い出し。(言いながら、兄の方を向いた顔の右半面の、こめかみの辺から二寸位の巾で咽喉の右側へかけて、薄紅く光った、むざんなひきつり疵。左半面の美しさとギョッとするような対照をなしている)
誠 うまく買えたかね?(せきをする)
双葉 アブレ。……どうなすって、兄さん?
誠 うん……(せきが続けざまに出る)
双葉 お水、あげましょうか?……(下手の炊事場の方へ行きかけて、ストンと膝を突いてしもう)
誠 (せきの中から苦しそうに)いいよ。すぐおさまる。
双葉 ……(立ちあがってバケツの方へ。黙って食器棚の上からコップを取って水をつぎ、兄の所へ持って来る)はい。
誠 (半身を起して水を呑む。せきが少しおさまる)ありがとう。
双葉 お父さんは?
誠 知らん。
清水 先生は、この下にいらっしゃるんです。
双葉 あら、また! よして下さいって、あんなに言っといたのに。(床穴の方へ)
清水 僕も、そう言ったんですが――僕は、学校の、先生の講義を聴いています清水――
双葉 おぼえています。ズッとせん、出征なさる前に一二度お見えんなりました。いつお戻りんなりまして? どの方面――?
清水 自分はクェゼリンでした。
双葉 (相手の失われた片腕に目をとめて)……その腕は、それじゃ――?
清水 やあ。……(からだの左側をかくすようにして微笑)
双葉 ……(床穴を覗き込もうとした姿勢をチャンと坐り、床に手をついて頭を下げ)……御苦労さまでした。
清水 はあ。(足をそろえて礼を返す)
双葉 ……(床穴へ向って)お父さん! お父さん!(返事なし。双葉その辺を見まわして)――せい子おばさんは、どこかしら?
誠 表の畑じゃないかね。
清水 そりゃ、先程――お光とか言う人を追っかけて、出て行かれました。
双葉 へえ、そいじゃ、お光さん、又来たのね――(兄を見るが、誠は無表情な顔をして黙っている。そこへ下手の奥から外国語の鼻歌の声(〔Si alguna vez en tu pecho, ay ay ay, mi carin~o no lo abrigas〕)がノンビリと近づき、やがて奥の出入口から、中年過ぎの、思い切ってはでな、しかしよごれた洋服にネクタイはせず、カウボーイのようにつばの広い帽子をかぶり、歌声のノンビリさにふさわしくなく、なにか良くない病気で、もはや治すことの出来ない根深いやつを持ってでもいるように陰気な富本三平がポケットに両手を突込んでヒョコヒョコと入って来る)……お帰んなさい、三平叔父さん。
三平 や。(鼻歌のつづき)〔Engan~ado como a un nin~o.〕
双葉 (床下を覗きこんで)お父さん! お父さん!
三平 どうしたね?(アクセントが少し変である)
双葉 またお父さん、防空壕うずめてんの。
三平 そりゃ、いかん。これ、兄さん!(床板を足で踏む)ヘイ! 出て来い、こら!(ドンドン踏む)
双葉 お父さん! どうなすって? お父さん!
柴田 (床穴から首を出す。寝ぼけてキョロキョロと周囲を見まわしたり、眼をこすったり)う、ど、どうした?
三平 ユーこそ、どうした?(柴田の身体に手をかけて引き上げる)
双葉 (これも共に父親を引き上げながら)だめ、お父さん! あれほど言ってるのに!
柴田 いや、なに――(やっと我れに返って、双葉に助けられて椅子の方へ来ながら)びっくりした。――又、空襲がはじまったかと思った。――
三平 なにを夢を見ている?
柴田 いつの間にか、眠っちまっていたらしい。いきなり、ドカンドカンとお前、――びっくりして眼を開くと、まっくらだろう? はは、はは。
三平 しかしフロアの下で眠ってしもう奴もないじゃないか。
双葉 それだけ疲れていらっしゃるのに――(柴田がクシャンとくしゃみをする)そら、ごらんなさい、風邪ひいちゃった!
清水 ……僕、今日は、これで失礼します。(頭を下げる)
柴田 どうも、なんだ、失敬した。そうかね。いずれ、なんだ――ええと、ジャガイモは、どうも――(食卓の上を眼で捜すとイモは無くてフロシキだけ)
清水 ……(そのフロシキをクシャクシャにして右手で掻き寄せ、ポケットに突込みながら、うつ向いている顔から、ポタポタポタと涙が食卓の上に垂れる。双葉と柴田と三平と誠が次々にそれに気附いて、びっくりしている。――清水、その涙を横なぐりに右腕で拭いて、柴田を正面から見る)……先生は馬鹿です。(ふるえる唇で低く言って、クルリと背を向けて、スタスタと奥の出入口から去る)
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(間)
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三平 ……どうしたな、今のは――?
柴田 うむ。
三平 泣いていた。……誰?
双葉 ……お父さんの学校の学生の人――
三平 そうかね? だが、馬鹿はおだやかでない。先生だろう、すると、兄さんは? 先生のことを君――
柴田 いやいや、いいんだ。ありゃ、りっぱな青年だ。
三平 りっぱな青年が、上長に対して――近頃、そんなふうになって来たのかね?
柴田 まあ、いい。
三平 道義、地に落ちたり。ふん。Pero nun ca selo digas(帽子をぬいで、ドシンと椅子にかける)
双葉 お父さん。手や足をお洗いになったら?
柴田 そうさな。
双葉 水を汲んで来ましょうか?
柴田 なに、井戸へ行こう。(フラリと立つ。双葉がその背に片手をかける)いいよ、一人でいい。
双葉 いえ、私も畑に御用があるの。(力なく歩く父を助けながら上手の扉の方へ)
三平 腹がへった。フーちゃん、腹がへったよ。
双葉 はい、直ぐ、なにしますから。(父と共に外に消える)
三平 どうした誠君?
誠 (横になったまま)ええ。
三平 どうかね、社の方は? ストライキは、いよいよ、はじまりそうかね?
誠 ええ。
三平 元気が無いね。これから君、戦闘をはじめようと言うのに、そんなグッタリしていちゃ駄目だな。そもそも、この――
誠 叔父さん、双葉は買出しに行って、今日もあぶれちまったらしいですよ。
三平 あぶれ?
誠 ――なんにも買えなかったらしいんです。
三平 ……ホントに田舎にもそんなに無いのかね? そりゃどうも考えられんね、闇市はもちろん、さかり場へ行きゃ、なんでも売っている。
誠 ――無いんでしよう。もっとも、物が無いのか、金が無いのか、わからんが。
三平 ふむ。それで、しかし――
誠 非常に弱っています。双葉がノンキそうな事を言う時は、参っちゃってる時です。そんな奴なんです。
三平 うむ、……いや、君達のお母さんも、そうだった。母親に似たんだね。私は、自分の妹ながら、感心したことがある。よくできた女だった。うむ。もっとも、そのために苦労が内にこもってしまって――つまり内攻して、若死にしてしまった。そう言っちゃなんだが、君達の親父なんて言うもなあ、学者だかなんだか知らんが、人が善いばかりで周囲の人間をどんなに犠牲にしているかわからんのだからねえ。つまり善意に依って人を殺すというやつだ。それを考えると、なんだ、心の中が苦しい時に顔はニコニコしていると言った式の東洋風の習慣も、一種の罪悪だね。人間、他人に対して正直である前に自分自身に対して正直である必要がある。日本人も、そこいらから始めるんだなあ、うむ。
誠 違うんだ。
三平 う? なんだ?
誠 (ユックリ起きあがって)僕の言うのは、そんな事じゃありません。
三平 だって、そうじゃないか。ぜんたい、君たち、柴田一家には、みんな同じような悪習慣があるね。自分の考えたり感じたりしていることの、一番かんじんな事はすこしも表に現わさない。はなはだしい場合は、腹の中で泣いていながら顔では笑っていたりする。早い話が、死んだ信子だ。死ぬ位だから、よっぽど悲しかったのだろうが、なら、なぜ正直に泣いたりわめいたりだな、つまり、その通りにふるまった上で生きて行かない? それを、涙ひとつこぼさず、遺言ひとつ残さないで、アディユ! ふん! きれいだったそうじゃないか――しかも年は若いし、医学校は卒業している。オウ! ツウ・エンド・ツエンティー! もったいない! ――そいつが、だまって、アディユ! 生命に対する冒涜だよ。死ぬほどの気持なら、生きて行けぬ事はない。これを要するに命さえ捨てれば能事終れりとする、愚劣な、神がかりのセンチメンタリズム! 私はそれを思うと――
誠 信子の事は、よしましよう。(ズックのカバンから印刷された紙のたばを取り出して机の上に開く)
三平 そら、そら、君にしたって、すぐそれだ。なぜ、よす必要があるね? あくまでその原因と動機を追究して、そんな風なセンチメンタリズムの愚劣さかげんをハッキリと認識してだな、われわれが今後もうそんな馬鹿なことを繰返さないようにする事こそ、信ちゃんの死を最もよく弔うゆえんになるじゃないか。そら又、そんな顔をする。君だってマルキストだろう? そうだろう? そんなオツに悲しそうな顔がマルキストの顔かね?(誠、無言で苦笑する)笑ってるね? 笑いたまえ! 私あ、あちらでもマルキストをたくさん知っていた。立派な奴もくだらん奴も居たがね、とにかく日本の近頃のマルキストのように東洋豪傑風にセンチメンタルな、それでいて自分に対して不正直なマルキストは一人も居なかったねえ。これも日本の特殊性かね? まるでどうも、アジャンタ洞窟の石仏だ。東方の微笑と言うやつ!
誠 ……喋るなあ。
三平 うん?……(キョトンとして)うむ、はは。(顔を平手でゴシゴシこする)いや、ちかごろ
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