ヲえ、あの、双葉さんは、チョット、あの、用たしに――
お光 そう? あの、信子さんの一周忌も、たしか、もう直ぐですわね?
せい はあ、いえ――
お光 だけど、いくらなんでも、黙あって、あなた、書き置き一つ無くって毒を呑むなんて、そんなあなた、いくら日本が負けちまって、そりゃあの当時は、いよいよ占領軍が上陸してくれば、女子供など何をされるかわからないなんて、根も葉もない噂さをふりまいた馬鹿も有りましたけどさ、いくら悲観したからって、信子さんみたいな、立派な女医さんが、そんな簡単に自殺なんか出来ませんわよねえ。キットなんですよ、好き合った相手の人が、戦死でもなすったと言うような事なんですよ。ほほほ、キットそうですって、私にゃ、わかりますよ。私だって主人の事考えると、死んじまいたくなる事がありますもん。
柴田 ……いや、もう、お光つぁん、信の事は、まあまあ、言って見てもしょうがないから。
お光 テッキリそうですわよ。その出征している好きな人が、キット特攻隊かなんかで突込んでしまったんですよ。だもんで信子さん、カーッとしちゃって毒を呑んじまったんですよ。全くねえ、私にゃ、ようくわかりますわ。(指先で涙を拭く。自分だけでは真率に同情しているのである)
柴田 いや、その――(弱まり痛んでいる皮膚の上をササラでひっかきまわすような相手の粗雑さが、全く悪意に発したものでないことがわかるだけに、腹を立てるわけにもゆかず、殆んど拷問にかけられながら)……ええと、金の事だろう? 建築費の月賦で、まだ残っていた、あの話じゃないかね?
お光 はあ?(キョトンとしている)
柴田 早くなんとかせにゃならんとズーッと、この、考えているが、私も、ここんとこ、少しなまけていてな……しかたがないので、本でも売払って、あんたん所には入れるつもりで、もうチャンと話はしてあるんで、二三日すれば、私の方から持ってあがるから――そう言って、ひとつ。
お光 困りますねえ。……お父つぁんが、とてもやかましく言うんですけどねえ。
柴田 すまんが、もう少し待ってくれと、そう申しといてくださらんか。
お光 そんでも、内でも、どうにもしょうがなくなって。買い出しに行こうにも、ジャガイモが一貫目五十円からなんですもん。メシのたんびに、あなた喧嘩がはじまるんですよ。二三日前もあなた、人のを食っちまったとか何とかで、あの穴ん中でお父つぁんと秀三が取っ組合いの喧嘩ですもん、ふふ。……そいで、今日はどうしても、半年分か三月分位は、是が非でもいただいて来いと、お父つぁんが言ったんです。
せい でも、こちらも、どうにも都合が附きませんので、どうか、もう少し――
お光 冗談でしょう、こちらさまなどが五百や六百の金位にあなた、ヘヘ。
柴田 それが君、はずかしい次第じゃが、まるきり余裕がなくてなあ。すまんが――
お光 だってこちらは、大学校の先生でしょ?
柴田 (苦笑)うむ、そりゃまあ――
せい 家や家財が焼けてでもいなければ、もう少しなんとか格好の付けようが有ったでしょうけどねえ、ホントに今の所、なんとしても――
お光 焼けたなあお互いさまですもん。
せい でもねえ――家でも、まだ焼けないで残っていれば、なんですけどさ、お宅のお父さんに建てていただいた家は跡形もなく焼けてしまって、こうしてあなた、遠縁にあたるこんな所の、それもたったこの部屋だけが焼け残ったのを借りて、みんなで住んでいるようなありさまですからねえ。
お光 今更になってそんな言い方ってないじゃありませんか。内のお父つぁんはこちらから請負って家を建てたんだから、その請負賃の残金を貰うのはあたりまえでしょう? 丸焼けになったのはお父つぁんの知った事じゃないじゃありませんか。冗談言って貰っちゃ困りますわよ。第一、八年前にお宅を建てた時分と今とじゃ、お金の値打が、まるで十分の一か二十分の一になっているんですからね、あの時の五千円と言う残金を、あなた、今の金で貰ったって、まるきり、なんのたしにもなりゃしないんだから、本来ならば月賦の金の百円を千円ずつにして貰いたいとこだって、お父つぁんなど言っている位ですよ。
せい そりや暴と言うもんです。そんな、あなた――そんな事おっしゃったって――
お光 暴だって?
柴田 まあまあ、いや、何と言っても私の方に払込む義務は有るんじゃから――
お光 そうですよ、義務が有りますよ。
せい いえ、そりゃ払わないとは誰も言やあしないけど、同じ催促するにしても、なんとかもうチット、しようが――
お光 あなた、こちらの奥さん? 奥さんじゃないでしょう?
せい ……そりゃあなた、私は――
お光 こちらの亡くなった奥さんは、ようく知っているんですからね。おとなしい、おきれいな、そりゃ良い方でしたよ。お亡くなりんなる前だって、うちの
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