A不当だと思います。ご自身に対して不当だと思うんです。行き過ぎで、病的だと思うんです。
柴田 病的かもしれんなあ。……しかし、病的であろうとなんであろうと、実感としてそう思っている自分が居ると言う事だ。人をごまかす事は出来るが自分をごまかす事は出来ない。
清水 ……(しばらく食卓の上をジッと見つめて黙っていてから)ホントは、僕の言いたいのは、こんな事じゃないんです。……僕等あ、先生が欲しいんです。先生を見たり、先生のお声を聞きたいんです。理屈なんかどうでもいいから、僕等は、先生をなくしたくないんです。
柴田 ……。(ひた押しに押し迫って来る相手の気持が胸にこたえて来るだけに、もう言葉ではそれを受けかねて、黙ってしまい、眼をパチパチさせたり、かと思うとその眼を室の一隅の方へジッと据えたりしている。そこへせい子が茶を入れて食卓の方へはこぶ。茶碗を取って清水と柴田の前に置く。先程からの二人の話を、湯をわかしながらジッと聞いていたのだが、口出しをするのをつつしんでいる)……や、ありがとう。(茶碗をとりあげる)
せい あら、それじゃ、手が泥だらけで――ちょっとお洗いになったら――?
柴田 かまわん。どうせ、もう少しやるから。……(飲む。せい子は再び柴田をたしなめにかかりそうにするが、ムッとして柴田を見つめている清水をはばかって、黙って炊事場の方へ)
清水 学問上の智識だけを先生から教えてもらいたいんじゃないんです。そんなものよりも、もっと大きなものなんです。……戻って来てほしいんです。
柴田 うむ。……うん。……(因っている)まあ、飲みたまえ。(言われても清水は茶碗に手をふれようとしない)……そりゃねえ、どうもそう言われると、なんだ――
声 (上手の扉の外で)ごめんください! ごめんなさい!
せい ……(そっちを見てチョット考えてから)はい。
声 あの、ごめんくださいよ!
せい はい、どなた――?(扉の方へ)
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(せい子が扉を開けるのを待たず、向うから突き開けるようにしてズカズカとお光が入って来る。あかじみた手足や顔に煮しめたような着物を着た女で、はじめからしまいまでグッタリと眠ったまま泣声もたてない幼児を背に紐でくくって負うている。青黄色く憔悴した顔に眼が光っている。少し話しているうちに二十三歳であることがわかって来る)
[#ここで字下げ終わり]
せい あらまあ、大工さんとこの……お光さん――
お光 こんにちは、ヘヘ。
柴田 やあ、おいで。
せい いやじゃありませんか、表口からおはいりんなりゃいいのに。
お光 だって、外はグルッと焼けてしまって、どこが表だか裏だか――(ニコニコしている)
柴田 ごぶさたしていて……すまんと思っているが、棟梁はお元気かな?
お光 ヘヘ、お父つぁんは毎日寝ていますの。壕舎は、しけましてねえ、又ひどくリューマチが出まして。あれやこれやでグチばっかり。大工の棟梁が自分の住む家も建てられねえで、こうしていつまでもモグラもちみたいに穴ん中に住んでいりゃ世話あねえだって。
せい そいで、あなたの御主人は、まだ、あの、復員になりませんの?
お光 はあ、もう、とにかく、主人の行っている方面からは、無事な兵隊だけは帰って来るのは済んだって言いますもん。死んじまったんでしょ。(ケロリとしている)
せい ……(此方で胸がつぶれて)まあねえ。(清水が無言で椅子を立ってお光にすすめ、自分は壁に近い所にある背の無い腰かけの方へ行く。お光はペコンとおじぎをして椅子にかける)
柴田 ……すると秀三君は?
お光 弟は電車の方につとめていますの。なんしろあなた、十八や九の弟一人の働きで、お父つぁんとおっ母さんと私と、この子ともう一人の上の子の六人口をまかなっているんでしょ? いっそ私なぞ、こんな子さえ無けりゃ、どんなひどい商売でもやっちまおうと思うんですけど、ふふふ、いえ、なに、いよいよとなりゃ子供が有ったって、かまやしませんけどさ、ヘヘヘ。
せい でも弟さんは、えらいわねえ。
お光 だめですよ。近頃電車やなんかも騒いでばかりいて、いつなんどき首にならないとも限りませんからねえ。そう言えば、こちらの誠さんの新聞社でもストライキがはじまるんですって?
柴田 そうかねえ……誠は別に――
お光 共産党なんでしょ? たしか柴田さんの誠さんだったって、いつか、なんたら言うデモの時に、日比谷へんで見かけたって秀三が言っていましたわよ。
柴田 ……ふむ。……(ペラペラと取りとめなく喋りかけられて返事が出来ない)
清水 先生、それでは、僕、これで――
柴田 う? うむ。……まあ、チョット待ってくれ。ええと――(清水は、再び腰をおろす)
お光 双葉さんは、いらっしゃいませんの?
せい (何を言い出すかわからない相手にハラハラしながら)
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