身のホントの姿が出るし、後の場合にも、その仕事はやっぱり自分がするのであるから、「金のために動いた」時の自分の姿が現われて来る。そして、この二つは殆んど両頭の蛇の様に互いに互いを喰い合いもつれ合い、互いが互いを堕落させ合って、殆んど収拾のつかぬようなメチャクチャな状態に自分を陥れた。それに僕は気が附いた。何とかしなければ堪え切れぬようになった。そして思ったことには、これは自分が「食う必要」と「芸術家としての本心」とを二つの物として別々に扱っているからだ。この二つを完全に一つのものに統一する以外に逃れる途はない。即ち「食う必要」がソックリそのまま「芸術家としての本心」であるようにしなければならぬ。別の言い方をすれば「食う必要」が命ずる事に堪え切れない程にひ弱わな部分が「芸術家としての本心」の中に有るならば、それは切り捨てなければならぬし、「芸術家としての本心」が命ずる事に堪え切れぬような部分が「食う必要」の中に在るならば、それを切り捨てて、その残りだけが生きるか、又は死ぬかしなければならぬ。そして、それは果して出来る事なのか? 出来る! 出来るばかりでなく、そうであってこそ「食う事」と「
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