あり、たとえば橘|曙覧《あけみ》であり、たとえば平賀元義であった如く。たとえば蕉風の俳諧の正統の受継者が、芭蕉の直弟子達や孫弟子達では無くして、却って、たとえば正岡子規であり、たとえば大東鬼城であった如く。
そして、新劇に於て(更にさかのぼって言えば、その新劇こそ実は、歌舞伎を中心にして発達生成し来った日本演劇の正統の受継者であり、なければならぬのであるが、今はこれに触れず)、明治以来の諸先人達の作り上げた伝統の、今後に於ける正統の受継者は誰であろうか? 僕には未だハッキリとは言えない。しかし少くともそれは、苦楽座又はそれに類する本質や精神のものでは無いことは、言える。なぜかと言えば、それら先人達の本質と精神は、演劇を道楽として扱い、余力を以てやろうと云うのでは無かったから。彼等は彼等の全部をそれに賭けた。そして、彼等は彼等の仕事に賭けただけの、すぐれたる伝統を生み出し得た。そして、彼等の伝統を正しく受けつぎ生かすのも、われわれの中で自己の全部又は最良のものを賭けて演劇を担おうとする者である。又われわれは、われわれがそれに賭けただけの伝統を生み出し得るに過ぎないのである。
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