た思想(つまり、それ以前までは僕もその中にいたところの思想)を自身の裡に於て崩壊させてしまい、その根本的な誤りに気附いたために、自ら進んで実際上その思想を裏切っていたからである。僕に冠せられた「裏切者」の名は、少しばかり時期遅れではあったが、至当なものであったのだ。とにかく僕の即時解散の主張は無視され、新協劇団や新築地劇団は続けられた。それまではまだよかった。次第に、そして自然に、新協劇団や新築地劇団の中でも左翼的思想は崩壊して行った。そして、その時に両劇団は解散して居れば、まだ、よかった。しかし、それをしなかった。事態は自然に更に悪くなって行った。
そして、ただ漠然とした左翼的態度や左翼的気分だけが、一つの習慣乃至後味として残り、それを中心にしてダラダラと芝居は続けられた。一面から言えばそうしている方が、極く卑近な対世間対ジャーナリズムの態度として有利であったからである。なぜと言うに、その頃まで一般の社会に、特に新劇の常習的観客をなしていた「知識階級」の中に、未だ非常に多数の同様漠然とした左翼的態度や左翼的気分が残っていて、それに迎合したり、それらを引き附けたりする事は、これらの劇
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