たような「芸術的に高く純粋な」仕事を、それ程急速にやる事は出来ない。同時に、あらゆる金儲け主義劇団がすべての良心と誠実と善意を侮辱する事に依って成しとげているような「食えて尚余りある」仕事を、それ程急速にやる事は出来ない。そして、やれないのが本当なのだ。やってはならないのだ。なぜなら、右にあげた二つの行き方は、それぞれ全く不健全であり、そのまま「亡びの道」に通ずる事がらであるからだ。
遅々たる歩みではあっても、絶えず打ち叩いて来る経営的必要(つまり食う必要)の抵抗に向って芸術的意図の本質を守り抜いて行き、同時に、絶えず激発して来る芸術的意慾(つまり純粋な高い芝居をやりたいと言う慾望)の抵抗に向って経営的最低線を確保して行く――この二つを統一的に調和的に実践する努力を忍耐強くやって行くことのみが、真に健全なる「栄えの道」である。そして、そうであってこそ、その芸術的意図は正しく芸術的意図と言う言葉に値いするし、その経営的必要は正しく経営的必要と言う言葉に値いする。
そして、右の様に堅実な芸術的意図も、右の様に堅実な経営的必要も、従って勿論、この二つのものの調和統一に対する忍耐強さも、新
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