しては当っていることを僕は認める。そして、その限りに就ても僕は次のように言う。
 その様な、芸術的意図と経営的必要との相剋は、あらゆる劇団の場合に避け得られないばかりで無く、それは起る方がよいし、起らなければならぬ事である。なぜならば、劇団の経営という事は、君が思い、かつ言いたいと思っているように、その劇団の芸術運動の外にあるのでは無くて、その劇団の芸術運動の一部分だからだ。経営無くして芸術運動は無いのである。営利劇団に於て経営が芸術的意図や方針の外に存在しているのは、その劇団が芸術運動では無くて、営利の対象であるからだ。つまり商品だからである。芸術運動としての劇団に於ては経営は外に存在してはならぬし、また概して外に存在し得ないものである。従ってこの二つは、劇団の内部に於て相剋するのが当然であり、相剋した方が、より良いのである。相剋して運動全体を駄目にしてしまうものとしてでは無く、相剋した結果として運動全体をより高くより強力になすものとして、相剋は有った方がよいのである。それでこそ初めて、芸術的意図の中で現実から浮き上ってしまったマヤカシモノの「芸術至上主義」[#「至上主義」」は底本で
前へ 次へ
全66ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング