合いは低くかった。その事実を細かに具体的に述べよとあらば述べるだけの資料に僕は事欠かぬ。一言に言って、僕をも含めて、これらの新劇団の成員は殆んど全部、金持の与太息子でなければ芸術的ルンペンであった。その観念に於ても行動に於ても、そうであった。演劇のために「真剣に」そして「持続的に」努力しているとは、どうしても言えない者達が大部分であった。口に「芸術」や「美」や「良心」や「階級」や「正義」をとなえても、それに依って自己の全生活を統一することも出来ぬはおろか、たとえば、そのためにたった一日の飯が食えなくなっても忽ち悲鳴をあげてうろたえ廻るような弱虫であり、また、たとえば、そのために守らなければならぬ稽古の時間一つ守れない者達であった。なるほど一回々々の公演の演目や稽古の点では歌舞伎や新派その他よりも「良心的」らしく見えた時もあった。しかし、その良心を持ち続けて永続して生かすことにかけては殆んど無力で怠慢であった。その他、等々、挙げれば限りが無い。しかも、この者達の挙げる「口舌」の壮大さはどうであったろう。口先きだけでは殆んど宇宙大の目的を云々しながら、実際に於ては、エノケン一座やインチキレ
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