紙で以てしようと志している事は、結局に於て、それである。乞う通読せよ)
しかし、そうであればあるほど、われわれは、われわれの兄弟がその中心的意図や善意を達成して行くのに、どう考えても邪魔になると思われる矛盾、場合に依っては、その中心的意図や善意を遠からずして放棄せざるを得なくなるに至るべき素因となり得る矛盾を自らの裡に持っている事に気附いたならば、それを指摘してやるだけの無慈悲さを持たなければならないのだ。ましていわんや、君の文章を以てこれを見れば、君達はその種の矛盾を剋服しようとはしていないばかりで無しに、却ってそれらをより強く掻き抱こうとしているらしい事が察知されるに於ておやである。
「今の日本にこそ高い演劇が必要だ……そのために私たちは役立ちたい」と君は言う。これは大望だ。同時に至高の発願である。よし。たとえ、その大望その発願が達しられなくても、それは問うに足らぬ。ただそれに挺身躬行すること自体の中に、われわれ演劇人が総がかりになって精進するだけの光輝と価値が存する。だのに、君達は、それと同時に一人々々スタアであり続けようとする。稼業に暇が有る時だけ、それをやろうとする。いつなんどきでも逃げ込める場所を自分一個のために留保して置くことに依り、安心しながら、これを果そうとする。果してこれが大望と発願に値いするか? 君の大望と発願は、唯単なるキャッチフレーズか口頭禅の類ではあるまいかと僕が疑うのに無理があるだろうか?
われわれは神に祈る時に、すべての持物を置き、個の心の一切を放棄し、手をすすぎ口をゆすいでこれをする。それは法式ではなくて、われわれが神に祈ろうとする心のひたむきなものが、これを自ら命ずるのだ。事の自然なのだ。そして、それでこそ神はわれわれの祈りを嘉したまう。また、僕は知っている。戦場に於ける一人の工兵が、ただ一本の橋梁を此方の岸から向うの岸に泳ぎ渡す時に、自己の心身の既往の持物の一切を放棄断絶して、死ぬとも生きるとも思わぬまでの境にまで自己を自己の任務に集中する。これも、この兵士を強うるものがあってするのでは無い。国に尽そうとする一片の心があって、これを自ら命ずるのであろうと思う。事の自然なのである。そして、それでこそ兵士は自分の任務を果し得る。また、神への祈りや、兵士の事を言わずとも、われわれが日常生活の中でも、たとえば、何事かを真に強烈に得た
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