。つまり君達を立ちあがらせたものは、演劇文化の「兵士」としての意識だと僕は思ったのだ。
ところが、この「兵士」達は立ちあがるや、いきなり、各自が幾分ずつ[#「幾分ずつ」は底本では「幾分づつ」]大将になろうとしはじめた。つまり、スタア意識で動きはじめた。また、この「兵士」達は、立ちあがるや、いきなり、いくらかずつ[#「いくらかずつ」は底本では「いくらかづつ」]各自の「稼業」の暇々に、そして大多数の稼業の暇々が好運にも一致した時だけ「戦さ」をしはじめた。つまり、各人が映画その他で稼ぐ暇々に芝居をすると言う事をはじめた。また、この「兵士」達は立ちあがる時に「戦死」の覚悟の代りに、どう転んでも、絶対に戦死の心配はないと言う「安心」をいくらかずつ[#「いくらかずつ」は底本では「いくらかづつ」]抱いた。つまり、苦楽座がもし失敗すれば、いつなんどきでも稼業の映画その他に舞い戻ればよいのである。
それを見ていて、僕の心には、次第に疑問が生れ出した。この様な兵士達にホントの戦さが出来るであろうか? つまり、今日本が必要としている高い演劇を末永くやって行けるだろうか? この様な「兵士」達は、あまり立派な兵士で無いのではなかろうか? つまり、こんな演劇人達には良い演劇運動を背負って行く事は出来ないのではなかろうか? ……その様な疑問である。
君達にスタア意識があり、稼業があり、暇々があり、食いはぐれがないという安心があると言う事が良い事か悪い事か僕にはわからない。
また、君達を支配しているものが、その様な個人主義(スタア意識)や道楽意識(稼業の暇々に「純粋」な仕事をすること)や利害の打算(どう転んでも食いはぐれぬと言う安心)のみであるとは僕は思わぬ。やはり君達を動かしている気持の中心は、演劇文化を豊かにする事に依って国を富ませ強くしようとする意志であると思う。また、君達の仕事は漸く始まったばかりであり、そして一つの現実的な仕事を始める際には、現在われわれの置かれている地位や条件が理想的なものでなくても、そこから出発して事を起す以外に方法は無いのであるから、現在君達の持っている地位や条件の中に含まれている矛盾をとがめ立てすることよりも、今後、君達が君達の中心的意図と善意に基いて生成して行こうとする方向を是認し激励してやる事の方が大切であることも、僕は知っている。(そして、僕がこの手
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