本心」とは助け合って、より高いより堅固なものを生む事が出来る。そして気が附いて見たら、これが僕の「本職の道」であったのだ。
出来ると僕に言えるのは、それを現に僕が実行出来ているからだ。勿論、未だあまり完全な形で実行出来ているとは言いがたい。現にこの三四年位は、そのために、黒字としての収入は一銭も無くなって前借々々で辛うじて食っている。しかしとにかく食っている。だから、もう僕は、うろたえない。又、だから、現にこの三四年は、その昔僕が芸術至上主義的であった頃の様に「純粋」な仕事はしないし、出来ない。しかし辛うじて、とにかく自分の芸術家としての本心に背くような仕事はしないで済んでいる。だから、僕はもう、うろたえない。
勿論、生活の方も劇作の仕事も、スラスラと運んでいるとは言えない。窮迫と不如意と、非才と鈍根に、独り泣くこと、しばしばだ。特に近年、生活と仕事の無理がたたって来て、数日ないしは十数日を病床に徒費しないで過す月は殆んど一ヶ月もなく、人中に出て活動することに全く耐え得ない程に衰えている健康状態なので、「つらいなあ」と思う事が無いと言い切れば嘘になる。しかし、それだけに以前に較べると確に、少しばかりは腹が据った。そして、「おれと言う男は、銃を持たされても鍬を持たされても槌を持たされても、その他どんな仕事を当てがわれても、その事に就てなんにも知らず、その力を持たず、物の役には立ちそうも無い。ただ僅かに文学芸術の中の演劇と戯曲に就てならば、ホンの少しだが知っているし、ホンの少しばかりなら役に立つようになれるかも知れぬ。だから、それをやる。それをやって行く事が許される時まで、それをやる」と考えるようになって来ている。
その事に関連して、国家や社会のことを言うことは敢えてしまい。それは第一に自分の任で無い。第二に、国士的発言者の論と説は今天下に充満していて、自分などの蛇足を必要としないからである。ただ、自分のみでひそかに信ずる所ならば、僅かながら持っているし、しかも、こうして自分の状態は未だ「飢ゆる」と言うことからは遠い。これを思えば「つらい」などと言う感想は、どこかへ吹き飛んで行き、楽しくなる。誇張では無い。僕はボロをさげ少し食い、片隅で、自分の好む仕事をやらせて貰い、うまく行けばその仕事で以て少しばかりお役に立つことが出来るかも知れない自分の運命に満足し、よろこび
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