よね そんじゃ、見たかでつしう?
仲蔵 うん、見たか。
およね そんじゃ見せてあげまつす。ばってんが柳腰じゃ、なかとです。腰はちょっとばっかい石うすんごたる。ホホ、はい。
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五郎を手離してスッと立膝になる。
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仲蔵 あん? なんな?
およね (腰のあたりを見せるため両袖を持ちあげた、その袖で顔を蔽うて)……亡くなったお母さんが、あたしにと云うて、たった一つ残してくんしゃったと……そんじゃけん、もう古うなって、くたびれたばってん、ホンモンの筑前しぼり、博多帯。たんとごろうじ。……おお、はずかしか。
仲蔵 (やっと気づいて、強く打たれ)ふーむ、そうかよ! それがそうかよ! なんとまあ、美しいこっかい! さあつきから見ていた。去年来た時もたしかお前しめていた――この美しかもんを、云われるまでは気がつかんとたい……人間なんてなんとまあ……
およね ヒヨッとお母さんば思い出すと、なつかしうて、なつかしうて、すると、この帯のしめとうごとなつとです。親の無い子は軒に立つと云いますけんね。五郎しゃんにも親の無か。そいでも、五郎しゃんな叔母さんのお店ば手伝いながら中学に通うとらすけん、よか。あたしなんて、こうして芸者に出とるばってん、芸だけで[#「芸だけで」は底本では「芸たけで」]立てるほどの腕は無かし、この先きどんなこつになるもんか。それを思うと心細うて、心細うて。
仲蔵 そうかなあ。どうだえ、いっそ、俺といっしょに日田に行かんかよ。山ん中で面白えこっあ何一つ無えけど、町で暮すような苦労は無えぞ。
およね でつしゅうね。……日田の、お花しゃんは、だいぶ大きうならしたとでしょうね?
仲蔵 お花……?
およね この前もあんた話しんさつた。……今度日田へお帰りの時あ、そん人にお土産にと思うて、あたしや、カンザシば二つ三つ買ってあげといた。
仲蔵 そうかい。そいつはどうも……
およね しんみりしてしもた。まっと、おあがり。はい!
仲蔵 酒はもう、よか。
およね ……そいじゃ、いつか途中までになっていた、木びき歌の続きば教えてくんさい。どうぞ、な。ああ、チートコ、パートコちうの。
仲蔵 俺あ、どうも今夜あ、駄目じゃ、酔っぱううて[#「酔っぱううて」はママ]。五郎しゃんに習うたら、ええ。五郎しゃんは、この前チヤンと、おぼえてしまって、上手たい。
およね そんじゃ、五郎しゃん。どうぞ、お願いしまっす!(三味線を取って騒ぎ歌のような調子を、二つ三つ鳴らす)こんなだったかいな?
五郎 イヤだ僕あ!
およね なしてな? なあ、お願い!
五郎 さっきの博多節の方が、よか……
およね そんじゃ、あたしが博多節ば、五郎しゃんと仲さんに教ゆっけん、木びき歌ば教えてな!
五郎 うん、そんなら。
およね そんじゃ、博多節ば、もう一つ唄いますけんね、その後で木びき歌ば唄うてなあ。
五郎 うん……
およね (三味線を弾く)
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「博多帯しめ
筑前しぼり
筑前博多の帯を締め
歩む姿が
ありゃどっこいしょ、柳腰
お月さんがチョイトでて
松の蔭、はい今晩は」
今晩は、と終るか終らないのに、五郎が少年の声をはりあげて、軍歌でも歌うような勢いで、
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五郎 やーれ!
およね (あわてて)あらら!
仲蔵 アッハハ、ハハ!
五郎 ばってん、こうじゃろが!
およね そうですたな、そうですたな! つづけて、五郎しゃん、つづけて!
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ジャンジャカ、ジャンジャカと三味線をひく。
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五郎「山で切る木は、こら
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かずかずあれど
思い切る気は
さらに、ない
やれ、チートコ、パートコ」
味もそっ気もない、ただ器量一杯の声で唄う。つづいて、それを真似て、しかしたちまち芸者が座敷で唄う唄い方で、
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およね 「やーれ、
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山で切る木は、こら
数々あれど
思い切る気は
さらにない
やれ、チートコ、パートコ」
こうな、五郎しゃん?
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五郎 ちがう! そぎゃん早う唄うちゃ駄目たい!
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「やーれ!(仲蔵がクスクス笑っている)
破れわらじと、こら
おいらが仲は
すぐに切れそで
切れやせぬ。
やれ、チートコ、パートコ」
それを追っかけて鳴るおよねの三味線のひびき……
M……
このあたりまでの歌や音楽の調子は、最初は単音のそれが次第にポリフォニイになり、それが暗くなったり明るくなったりするが、いずれにしても古い日本の民謡をそのままに受け容れた、したがって基本的に単純な懐古的な調子である。今から二十年前の北九州の空気を跡づけるような色彩。
それが、このあたりから急激に、音楽の調子や楽器の編成のしかたも、びっくりするくらいに近代的な調子と色彩になる必要があろう。烈しい、混雑した、都会的な多種多様な、不協和な新しい要素が取入れられて現代的なシンフォニイにわたって行きたい。もちろん全体の主題の木びき唄の基調は底流として保持されながらである。
そして、特にこの個所の音楽で、作曲家に充分の働らきを示してほしい。そのためには、この個所の音楽に相当の時間が与えられてよい。
……音楽の流れが、しかし次第に冴え返り、美しく高まって行きはじめる。
その矢先きを意地悪く叩きつぶしてしまうような感じで。
ガラン! ガラン! ガラ、ガラ、ガラ、ガラン! と、ブリキの空きカンのタバを土間の隅に投げ出した響。
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豊後 やかましいやいっ! 誰だあ、今ごろ、そんな音させやがるのはっ!
陸前 まったくだあっ! ここは、上野から下谷へかけての屋外労働者の合宿所、越後屋簡易旅館だぞっ! しかも、もうトックに睡眠時間になっていて、一同ゴネとるんだっ! 今ごろ雑音立てる奴あ、人権じうりんだぞうっ、ヘゲタレめ!
サツマ (クスクス笑いながら)へへ、屋外労働者の合宿所だってえやがる。なあに、早く言ゃあバタヤの合ヤドじゃねえかよ。ゴネとるのは睡眠時間が来たからじゃなくって、起きてると腹がへるからでえ! ヘゲタレてんなあ、人権じゃなくて人間の方だろ!
陸前 いいから、静かにしろい! そういう量見だから、てめえだちゃ、ヘゲタレだあ! これで俺たちは一人びとりさんざん手傷を負ったケダモノみたいなもんですよ。毎日々々ようやっと稼いじや暮しを立てている人間だ。いい気になって深酒をしたり宵っぱりをして、からだでもこわすと、たちまち又地下道へ逆もどりしなきゃならねえ。こうやって十四、五人、この大部屋でいっしょに寝泊まりしてりゃ、こいでもまあ仲間だ、お互いに気をつけあって、明日の稼ぎのジャマになるような事はしねえ事だ。ガアガア言わねえで早く寝ようぜ!
上州 へへへ、そら、そういうお説教をガアガアしゃべくって、人の睡眠のジャマしているのは、当のお前だねえかよ。
陸前 おっと、そうかよ!
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と、フトンをひっかぶる気配、周囲の三四人が低く笑う。
それらの声にトンヂャクなく、肥前は酒に酔った調子で口の中でブツクサ言いながら、あがり口で地下足袋をぬぐ。
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肥前 へつ、なにを言やあがる! へつ、何をツベコベと、きいたふうな事を言やあがるんでえ! 誰か思わん夢さめて――と言ってな、あれから二十何年とたつちまったんだ。今さらいくら思い返してみたって、どうにもこうにも取り返しがつくものけえ! へつ、くやしかったら、ばけて出て来て見ろい、およねしゃん!……
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ウントシヨ、とあがるトタンに又空きカンをガランガランと言わせてしまう。
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三河 (これはまじめに、低い声で)おい肥前さんよ、ホントに静かにしなよ。みんなもう寝てるしよ、それに第一、そっちの隅のマキちゃんが又からだの加減が悪いちって今夜も苦しがっていたのが、どうやらやっと落ちついたばかりの所だ。
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肥前はそれには答えず、鼻歌まじりにミシミシとみんなの枕元を通って自分の寝場所に行き、フトンを引きずり出して寝仕度にかかりながら自分だけは良い心持そうに――しかしはたから聞くとくずれさびれた投げやりな調子で――低い声で唄い出す。
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肥前「やーれ、月の出しをと、こら
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約束したが
月は山陰、主あどこに
やれ、チートコ、パートコ」
二、三人さきに、ペタンコになって寝ているマキと言う十六七の戦災孤児の女の子が、ムックリ顔を向けて、
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マキ やかましいなあ、肥前の小父さん、歌というとそれしきや知らないの? まるでお経読んでるみたいだ。よしなよ!
肥前 なあに、この、マキベえの、くたばりぞこねえめ! お前、からだの具合が悪いんだったら、黙って寝ろい!
マキ おおきなお世話だよ! くたばりそこねえであろうとなかろうと、おいら、景気の悪いのはごめんだよ。てつ! おいらが死ぬ時あ、上州の小父さんに頼んで、八木節でも唄ってもらうつもりでいるんだ!
岩見 (すぐわきのフトンの中からモグモグ顔を出して、ゴホンゴホンと咳をして[#「咳をして」は底本では「呟をして」]、マキの毒舌に笑いながら)フフ、フフ、いやあ、マキちゃんよ、お前は若えからそんなふうに言うがな、肥前さんのその歌なんてもなあ、よくよくわけのある歌だ。どこの何という歌だか知んねえが、俺あそいつを聞くたんびに、シミジミ泣けてくるぞ。なあ! 破れわらじとおいらが仲は、か……なんだか知らんけんどよ、俺なんざ、こうやって六十八年の一生のな……そりゃ良いこともあったし悪いこともあったが、今となっては、こうして病みほうけた五体の一つのほかは、なあんにも残っちゃいねえ……そん歌聞いてると、その一生の、言うに言えない、いろんな事が、足の裏からにじみ出てくるような気がしてなあ、いろんな事を思い出すような、フフ、なつかしくって、俺あ泣けてくるだよ、うむ。
マキ そんだから、おらあイヤなんだい!
岩見 そんな事言うもんじゃねえさ。もっと、へえ、唄ってくんなよ! よ!
肥前 (そんな話はロクに聞きもしないで)フン。
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遠くで支那ソバのチャルメラの音……
大川の川端。ポンポン気船の[#「ポンポン気船の」はママ]発着所の近くで、その音が時々してくる。ダブリ、ダブリ、チャチャチャと水の音。
肥前はカゴをかつぎ、竿の先にカギのついたのを持って波打ちぎわを時々立ちどまったりして行く。そのうしろからマキが同じ姿でついて歩く。
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肥前 いつ来て見ても大川は良いなあ。
マキ だけど今日は波がまぶしいや。
肥前 しかし、そいだけ衰弱してるのに、よく歩けるなあ?
マキ フフ、なにかにけつまづいてパタンと倒れたら、そのまま息が絶えるずら。
肥前 まるで人の事のように言わ。……マキベえは近頃、俺にばっかついて来るが、なぜだ?
マキ 肥前の小父さんといっしょだとウルサイこと云わねえからさ。
肥前 するとなにか、ほかの奴あ、お前のような男の子か女の子かわからねえようなんでも変なこと言うのか?
マキ 誰があ! こんな肺病やみの、骨と皮ばかりになって、わきに寄ると臭えずら。誰がそんな事云うもんか!
肥前 すると何がうるせえんだ?
マキ もっと身体を大事にして、早く丈夫になれだの、飯どきにゃチャンチャンと物を食わなきゃならねえだの、うるせえったら。まるでへえ、御徒町の井上先生のまわし者みてえな事ばっかし云うんだ。
肥前 そりゃしかし、マキベえの事を心配して言ってくれるんだ。みんなあれで、お前の事を好きだからな、親切気で言うてった。
マキ その親切気が嫌いだよ。おらたちみてえになっちゃってから、何が親切気だ。みんなもう早く死んだ方がいいんだよ。
肥前 そいじゃ、マキベえも早く死んだ方がいいのか?
マキ ああ。
肥前 だけんど、そいつは悪い量見だ
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