ぞ! 十六や七のお前みてえな小娘が、世の中をそんなにタカをくくるのは、悪い量見だぞ。
マキ あたいが悪い量見なら小父さんだって悪い量見だ。あたいが知らなくって! ショウチュウかなんか、ひっかけた時だけ、変な歌なんか唄ってるけんど、小父さんだってホントは生きてたって何になるの?
肥前 ……。そんじゃマキベえ、二人でここからドボンと飛び込んでしまおうか?
マキ でも苦しいだろ。もういっとき待ってりゃ自然に死ぬよ。
肥前 ヘヘ、そりゃそうだ。……(と言いながら波打ちぎわのアクタを竿でつつく音をボコン、ボコンカポンと言わせて)なんだこりゃ、ゴム長の片方だ。マキベえ、お前、拾いな。
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……(そして自分は流れ寄った空きカンをポコンポコンと言わせて引っかけてカゴに入れる)
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マキ おっと!(とこれもゴム長をひっかけてカゴに拾い入れて、又歩きだす)
肥前 マキベえ、お前、ひるは何か食ったかよ?
マキ ううん。
肥前 やっぱし食いたかねえのか?
まき 食いたくねえよ。
肥前 俺あ、ここで休んで少し食って行くが、俺がそう云っても食うのはイヤか?
マキ なんだよ?
肥前 コッペパンだ。(紙の音をさせて、ふところからパンを二つ出して、その一つをマキに渡す)俺が食いなと云ってもイヤかよ?
マキ 小父さんが食えと言やあ食うよ! なんだい!(と腹を立てている)
肥前 フフ……じゃ食えよ。
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……波打ぎわに自然に腰をおろした二人がパンをかじりはじめる。ポンポン蒸気が大川を斜めに横切って来る音。それの立てる波がザザザジャブンジャブンと寄せる音。
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肥前 (パンをかみながら)……うむ、そりゃ七つや八つの子が、いきなり空襲で二親から兄弟一人残らず取られっちまやあ、そういう気にならねえとは限らねえとも言えら――
マキ ううん、ちがうよ。そんな事のためじゃ無いよ。だってあたい、あの時分は、お父っあんやお母さんや、みいんな一度にいなくなっても、それほど悲しくはなかったもん。そんな事より、買ったばかりの学校の本がカバンごと焼けちゃって、そのまんまの恰好したままキレーに灰になったのを見た時の方が、よっぽど悲しかったな。
肥前 だけどさ、空襲で家族をゴッソリ持ってかれたのは、なにもお前一人たあ限らねえ。それがお前だけが、こんなふうになっちまうのがよ、どう言うだか――
マキ うん、そりゃ、あたいにもわかんない。生れつき、そういう性分だったかもわかんないし……あれから、あたい、叔母さんちだの、伯父さんちだの、それからあっちこっちの保育園だとか収容所に行ったり、いろんな目にあった。みんな、よくしてくれた。すぐに着物をくれたり、オモチャをくれたり、食べ物くれたりするんだ。そんな着物を着さされて、そんなオモチャを抱かされて、新聞やなんかの写真をウンととられたよ。そういう時は、あたいたちは笑わなきゃならないんだ。……そいで、あたいの事を、マキとして、山の内マキと云う名を持った子供として可愛がってくれた人は一人もいやあしなかった。どこまで行っても、戦災児だ。戦災児だから、かわいそうだから、かわいそうと思わなきやならんから、かわいそうがってくれるだけだ。……いっそ、着る物や食う物なんか、どうでもよいから、いえ、言うこと聞かない時あ張り倒したっていいから、山の内マキを叩きなぐってくれる人がいてくれたら、その方がよかったかもしんない。
肥前 ……そうかなあ。そんな事もあるもんかな。俺にゃよくわからねえ。
マキ そうなんだよ。……いえさ、そうだからって、別に腹あ立てるこたあないけんどよ、ただ、それに気がついたら、あたい、なにもかもどうでもよくなったんだ。それに病気だろ。
肥前 ……まったく人間、いろいろだなあ。頭が違うように性質が違っていてよ……そいで、うまく行かねえと、みんな町ん中にもぐり込んで来て、変なふうにかたまったみたいになってよ……そいで、しまいにや申し合せたみてえに、生きたってしょうが無えと云う気がする事だけはハンコで押したように同じで、そいでもひと思いに死ねもしねえでヒクヒクと、ヘヘ、こうして川っぷちなどにやって来ちゃ、腰いかけてパンをかじったり……
マキ 小父さんのホントの名は、山形五郎というんだって?
肥前 うん? うむ。……山形の五郎か。久しい話だ、もうあれから二十年の上もたった。フフフ、九州は肥前佐賀、やっぱしこんな風な大川が流れててな、江湖《エコ》々々ちったっけ。いや、これほどデケエ川じゃなかったけどよ。そこい、大分県の山奥から流れて来た筏がチョイチョイ着いて、そいつが年中、つないであった。……仲さん、か。どうしたかな? 俺をつれちゃ、柳町と言うとこへ遊びに行った。うむ。……博多節というのマキちゃん、聞いたことあるかい?
マキ 無い。小父さんがよく唄う、あの変な歌じゃないだろ?
肥前 フフ、もっと良い歌だ。……そんで、その材木屋で働きながら、中学へあげてもらったりしたがな……その叔母さんがポックリ死んで、間もなく、店がつぶれた。そいから俺あ、あちこちして、門司へ出て働いていたが、身をたてるなら東京だと思って十八の時に東京に来たんだ。……そいでいろいろやった。が、うまく行かねえ。世間のせいじゃねえ。ウヌの片意地な性分のためだ。何をはじめても、直ぐに喧嘩だ。そりゃ、いつでも間ちがったことするのは上の奴で、正しいのは自分だ――そういう気がある。そういう、言わば正義病というかな、そうしちゃなんでも途中でおっぽり出す。……そいでウロウロしているうちに戦争だ。乙種だったんで召集を受けてね。いやいや戦争したんじゃねえ、つまらねえ二年の上も、馬の世話かなんかやらされてさ、いや、馬あ可愛いくて、よかった。人間がダメでな、上官――つまり下士官なんて奴らが、むやみと人の事けったりなぐったりしゃあがってね。……そいで戦争すんで戻って来たら、世の中あ、このありさま、正直者がバカを見るんだか何だかしらんけど……そこへ病気になったりしてよ。……気がついたら上野の地下道に寝てたってわけだ。……そうよなあ、全くマキベえの言う通り、もう死んでもいいようなもんだなあ。へへ……
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出しぬけに直ぐ耳のそばで、川端のビール工場の午後のボーが、ウワーツと鳴り出して二人の話を消してしまう。
マキ子の病気が、ひどくなって、どっと寝こんでしまい、マキ子に好意を持っている連中が、意識不明になっているマキ子を遠まきにして見ている。この宿泊所の宿泊人達を気にかけている若い井上医師がやってきて、診察しおえて、何んとなく一同に向って、
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井上 ふむ、病気そのものが、それ程ひどくなったというわけじゃないが、栄養が落ちていてなあ、これじゃ、肺病で死ななくても栄養不良で死ぬねえ。本人が生きようという気がもうないんだからどうにも医者に、手のつけようがないよ。当人がその気にさえなってくれりゃあうちの診療所に連れてって、どんどん栄養注射でもすればもち直すかもしれんがね。なにしろ、当人が一日も早く死んだ方がいいと思っているらしいからなあ。これじゃしょうがない。ええ、マキ君、聞いてるか、俺の云うこと。
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マキは、死灰のように目も開けない。
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井上 ごらんの通りだ。もし、すこしでも元気が出たようだったら、いつでもいいから連れて来たまえ。どっちせ、今夜、またおそくなって、来るには来てみよう。
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と云って医者は帰る。
その後で、シンとしてマキの姿を見守っている者たち。
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豊後 おいマキちゃん。しっかりするんだよ!
岩見 ……しょうねえなあ、マキちゃんよ、おい!
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マキは返事をしない。
そこへ、一番向うの隅つこの方から、だしぬけに、
「ヤーレ
破れわらじと
おいらの仲は」
一同がひょいと見ると、肥前。
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陸前 肥前。どうしたんだ急に歌をうたって? 歌のだんじゃあないじゃないか。見ろ、マキちゃん死にそうだ。
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それにかまわないで肥前、
「すぐに切れそで」
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豊後 よせと云ったら!
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どなる。そのあとシーンとした中にクスクス低い笑い声が聞えるので、ひょいと見ると、寝てるマキが、顔に微笑を浮べている。やがてポカッと眼を開ける。
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豊後 オツ、マキちゃん気がついた。どうしたマキちゃん。元気を出せよ、マキちゃんよ。
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マキが、クスクス笑いながら弱い声で
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マキ 肥前のおじさん、私が死ぬんだと思って、お経歌いはじめたわ。
豊後 え、お経?
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と、マキが
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マキ 肥前のおじさん、もう一度歌って。
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それを聞いてた肥前が、ムツとした顔のまま、
「ヤーレ
破れわらじと
おいらの仲は
すぐに切れそで
切れやせぬ
アーチートコ、パートコ」
とユックリ歌いすましてから、
「およねさん!」と云った。
寝ているマキがニコニコして、
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マキ およねさん? およねさんて、誰れ? え、およねさんて誰れ?
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そのマキの顔に生色あり。
豊後、岩見、陸前などが……
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豊後等 やあ、なんだか馬鹿に元気になったじゃないか。よし先生がああ云っていたんだから、じゃあ、このまま雨戸に乗せて、皆でかかえて、診療所にかついでいこう。
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と数人。うむ、それがいいや、というんで、さっそく、マキを蒲団ぐるみに戸板に乗せて
ホラよ!
四、五人でかついで外に出る。それを見送る肥前と六十過ぎの越後。
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越後 肥前さん、お前もついて行かねえか?
肥前 なに俺あ、いいだろ。
越後 うまく持ち直してくれりゃいいがね。
肥前 うん……。
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どこからか、非常にたくさんの人の声で、まるで大川口に潮が寄せてくるように、木びき歌が響いてくる。
(合唱又はハミング)そのハミングのズーッと奥に博多節の三味線と歌がかすかに聞えてくるかもしれない。
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底本:「三好十郎の仕事 第三巻」學藝書林
1968(昭和43)年9月30日第1刷発行
初出:「破れわらじ」
1954(昭和29年)11月、NHK放送
※複数行にかかる中括弧には、けい線素片をあてました。
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2009年1月5日作成
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