、杉村の三人が筏の上で快活に笑う声。ザザザーアと急流の響。
急に音の効果が変って鈍い、低い、陰気なダブリ、ダブン、チャブ、チャブと深夜の筑後川の水音。そこをゆっくりと筏が流れて行くギギギーッという音……
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伍助 (三人とも鈍い、眠むそうな、そして少しおびえた声)暗いなあ、まるで、へえ、鼻の先い、スミぬられたみてえで、岸も見えん。
仲蔵 伍助は筑後川あ、はじめてじゃったなあ。そら、そうよ。筑後川もこの辺までくると川巾だけでも五六丁はあるきねえ。
杉村 ひと雨くるとじゃなかろか、仲しゃん?
仲蔵 そうさな……んでも、降りゃ、しめえばい。(三人は、それぞれ長い筏の持ち場に竿を持って、立ったまま話しているので遠くへかけての対話)どうしたな杉村? 寒かとな?
杉村 寒うはねえばってん――
伍助 声めふるえとるぞ、杉村あ!
仲蔵 伍助、お前だって声めふるえとるよ。ははは、さてはお前たち、誰からか聞いて来たな? 筑後川に夜筏を流しとると、舟幽霊が出て、筏の足ば止めてしまうとか何とか? フフ、あれはなあ、こういうわけだぞ、もうあと半みちも下ると、佐賀から流れて来とる江湖《エコ》川がこの川にあわさる。江湖川ちうのは汐入りの川で川口からジカに汐があげさげするき、俺たちゃ、そこで明日の夜あけまで待って江湖の方が上げ汐になったのば見て佐賀の方へのぼって行くだ。その、この川と合さる口のへんで水面と深みとでいろんなごつウズを廻いてね。そこへちょうど筏が乗ってしまうと、いっときピタッと止ってしもうたり、ひとつ所ばグルグル廻りはじめたりする、それを舟幽霊に止められたの、川太郎にだまされたのと言うとたい。はは!
杉村 そうかねえ……
伍助 ありゃ! あれは、なんだ? え、仲しゃんなんの声じゃろか、ありゃ?
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他の二人がシーンとしてしまう。……遠くの岸の方から、人の声とも動物の声とも、なんともわからない、かすかなブワ、ワ、ワ、ワーンと響く音が暗い川面を渡ってくる。
川波の音。筏のきしり。……
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杉村 なんかなあ、ありゃ?(声がふるえている)
仲蔵 うん。……なんかなあ(この声もおびえている)
伍助 (だしぬけに叫ぶ)あ、ありゃ、なんだ? 仲しゃん、ありゃ、そら、トモの方に真黒いもんが、川ん中から這いあがって坐つちよる! ほら、ほら、み!
杉村 うわーっ(叫びながら飛びあがる)
仲蔵 なんでんねえ……なんでんねえっ! ちきしよう! こんちきしようっ! なん奴だあっーつ!(ふるえ声で叫びつつ、竿をふりかぶって、トモへ向って筏の上をタタッと小走りに)
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同時に、離れたトモの方でドブーンと何かが水に落ちた音
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仲蔵 こんちしようつ!(ふるえ声で)なあに、へっ! 鯉かなんかが、はねたトタンに筏に飛び乗ったったい! ちきしようっ! ははは、はは!(と無理して高笑いをして)しっかりやろうぜえ、伍助、杉村あ! なあにを、お前!
伍助 ┐
├おいよーう!
杉村 ┘
仲蔵 はは! 誰だと思う、日田の川師だぞうっ! やーれ!(と気の立った甲高なふるえ声で歌になる)月の出しをとこら、約束したが、月は山かげ主あ、どこに、やれチートコ、パートコ! (ダブリダブリ、チヤチヤと水音とギーッと筏のツタのしまる音)
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不意に明るい音の効果に変わる。
仲蔵がのびのびとした声を張りあげる。
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仲蔵 おーい! 山形屋の衆ようーう! 丸市の筏が今ついたぞおーう! 日田から筏がつきやんしたよーお! 山形屋の衆よーう!
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おっ! と元気の良い少年の声がそれを受けて、
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五郎 筏がついたあ!(バタバタと立ちあがって二階のはしごをトントントンとおりて来て、店の間へ向って叫ぶ)
五郎 日田からの筏のついたばーい! おばしゃん、番頭さん! 仲さんの筏が今ついた!
お銀 おお、そうかい! そら早かったなあ!
番頭一 おお!(と立って表へ)
番頭二 ちょうどよかった! 松っあん、金どん、サブ!
松男┐(人夫)おい来た! ほいよ! おっと! (と
金一├手かぎの音をガタガタさせながら、表へ走り出る)
三吉┘
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表は道路をへだてて、すぐに大川端で、それがちょうど上げ汐の満潮で、鼻の先に筏は横づけになっている。
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お銀 (水面にひびきわたる声で)ようよ! 今度も仕切り人は仲さんじゃったかよう! 思ったよりやはやかったなあ。まあまあ、あがって一杯のんで一休みしんさい。
仲蔵 (筏の上から)お神さま、しばらくでがんした! 又お世話になりやす。この二人は、こっちへ渡すのは初めてでがんす。どうぞよろしう!
伍助 伍助でございやす!
杉村 杉村というもんで!
お銀 あいあい。あいさつは後で、ゆっくりしまつしう。まあまあ!
五郎 (チヤッチヤッと水の中にふみこみながら)仲しゃん、よう来たない!
仲蔵 わあ五郎しゃん、しばらく見ないうちに又大きうなってしもうたあ! 中学校はどうなさったとなあ?
五郎 もう二年生たあ。
仲蔵 二年生かあ、そうですかい!
お銀 これこれ五郎、お前、はだかになってしもうて川ん中へ飛び込うで、なにをすっとな、危なか!
五郎 ばってん、すぐ水あげにかかっとでっしう?
お銀 なあに、まあ一休みしてからにすつだ!
仲蔵 うんにゃ、お神さま、ちょうど番頭さんや男衆もいてござるけん、ついでに板とヌキだけは直ぐに水あげしてしまいまつす。一日置きや一日だけ重うなるだけじゃけん! 皆の衆、頼んだぞう!
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番頭や人夫たち、それに伍助と杉村などが「おうっ!」と答えチヤチヤチヤと水あげの音。
その中にひときわ甲高かに聞える五郎の掛け声。
お銀がカラカラと男のように笑う。
ナタで、板やヌキをしばってあるツタをストンストンと叩き切る音。手カギをガツと材木に打ち込んで引きよせる響。
それにつれてジャブ、ジャブザブンと水の音。
人々の掛け声とはやす声。
それに混って佐賀という中都市の午前の物音。
道を通る自転車、荷車、遠くの工場のボーなど。
それらの音がしずまり、夕暮れの山形材木店の店先の風景になる。
店の前の道路を、通りすぎてゆく下駄の音。番頭二がそこらに水をまいている音。
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通行人 あい、お晩で。
番頭二 お晩で。
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その店の奥の土間から、カタカタと下駄の音をたてて出てくる仲蔵。
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仲蔵 ああ、風呂にもいれてもろたし、久しぶりに佐賀の酒も飲んだ。やっぱしお神さま、日田の山奥の地酒よりや、町の酒はうめえです。
お銀 (帳場に坐ってソロバンの音をさせながら)相憎とうちのおやじは、博多の方へ入札に出掛けておって、酒の相手がなかけんなあ。
番頭一 なあに、仲蔵さんなあ、これから柳町へ出掛けて、酒の相手なら、いくらでもキレイな人の待っておらすけん、ハハハハ。
仲蔵 そ、そ、そんな、番頭さん……
お銀 ハハハハハ、なあに、仲さんよ、若かときやあ二度なかたい。会うてきんしゃい。相手が、あのおよねさんちゆう子ないば、私も、二三度会うて、よく知ってる。ありゃあ、芸者ちゆうたって、ここらの町のゴゴさんよりゃおとなしか子じゃけん、心配いらんたい。
番頭一 ばってんが、おとどしみたいに柳町で金ば使いすぎて材木代金にまで手ばつけて日田に帰られんごとなっちゃあお互いに困りますけんな。
仲蔵 そ、そ、そんな番頭さん……
番頭一 ┐
├ワッハハハハ。
番頭二 ┘
お銀 伍助さんと、杉村さんな、遊びにやいかんとなあ?
番頭二 なあに、あの二人は、夕飯はかっこみ、かつこみ、とっくの昔にとび出して行きましたたい。
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お銀、番頭一、仲蔵が笑う。
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仲蔵 (奥へ向いて)五郎しゃん、さあ、行きまつしう。
五郎 あ、あい。
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カタカタカタと小さい下駄の音をさせて出てくる。
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仲蔵 五郎さんば、いっときお借りしまつす。
お銀 そりゃあ、よかばってん、この子ば妙な所へ連れてって酒なんぞ飲ませるのは、よしにしてくんなさいよ。
仲蔵 へへ、そんな……。そいじゃ行ってきまつす。さ、五郎さん。
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カタカタカタカタと二人が歩み去って行く。
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お銀 (それを見送りながら)ばってんが、馴染みの芸者の所へ久しぶりに行くちゆうのに、テレくさかちうて、ああして、そのたんびに五郎ば連れて行く若い衆さんじゃけんなあ、むぞらしかねえ! ハハハハ。
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番頭一、二、笑う。
夜の大川の水の上に突出すように立てられた料亭の奥座敷に、芸者のおよねと仲蔵と五郎の三人。
いきなりしっかりしたねじめの三味線の音が響き始めて、およねの歌。博多節。
これらの歌声も、すべての物音も、この場では、満潮の大川の水面に反響する。
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およね 博多帯しめ
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筑前しぼり、筑前博多の帯を締め
歩む姿が、ありゃどっこいしよ
柳腰
お月さんがチョイと出て松のかげ
はい今晩は。
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仲蔵 はい今晩は、か。およねしゃん、あんたも、ひとつ飲みない。(卓上の盃を取って出す)
およね (三味線をわきに置きつつ)あたしは無調法ですけん、仲さん、もっと……(と酌をする)
仲蔵 (それを受けながら。……以下適当に酒を飲みつつ)いつもの事だが、うまかなあ。なあ五郎しゃん!
五郎 (これはモグモグなにか食いながら)うむ、うまか。
仲蔵 五郎しゃんに、うまかとが、わかるかな?
五郎 このエビとキントンなあ、うまか。
仲蔵 えっ? エビとキントン? そうか、ウフツフ、エビとキントンかな?
およね ホホ、もっと、じゃ、持って来てもらいまつしうか?
仲蔵 (ふきだして)アッハハハ! アッハハ、フフ、アッハハ!
五郎 なんな?
仲蔵 ハハ、俺あ、また、博多節のこつを……フフ、およねしゃんの博多節のこつを、ほめたら、よ、五郎しゃんなあ、エビとキントン……フッフフ、ハッハハ!
およね ホッホ、ホ、ホ!
五郎 (これも釣りこまれて笑いながら)ばってん俺あ……ハッハハ、そりゃ、博多節もうまかです!
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それで仲蔵とおよねが声をそろえて笑いだす。障子の外の大川をギイギイと船をこいで行く男が、これも何となくこちらの笑いにつりこまれて、きげんの良い声をあげてからかう。
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船頭 ワッハハハ、アッハハ、かよう! ハハ、……(歌になる――)吹けよ川風、あがれよすだれ、中のオナゴシの顔見たか、と。アハハ、はい今晩わあ、ごきげんさん、と?
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その声とロの音が遠ざかって行く。
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仲蔵 (まだ笑いをふくんだ声で)だけんど博多帯と言うなあ、どんな帯じやろか? 歌にまで唄うてあるんじゃから、よっぽど良か帯じゃろなあ。
五郎 仲しゃんな、まだ博多帯見たことんなかと?
仲蔵 見たことなかとです。
五郎 そんなバカな! うんが鼻の先い、いつでん見えとるのに――
およね 五郎しゃん、言うたらいけん! ホホ、まあ、まあ、こっちいおいでんさい! こっちい、さ!(五郎の両肩を背後から袖で抱いてしまう)
五郎 フフ、なにすっとな、およねしゃん?
およね じつとしてて! じっとしててな!
五郎 ばってん、くさか!
およね まあ、くさかですと? あたしが?
五郎 うん、おなごくさか! プウ……
仲蔵 ハハ、何がどうしたとな? 芸者から抱きつかれて、くさかか? ハハ。
およね くさかろばってん、いつとき、じっとして五郎しゃん。フフ、仲さん、あんたホントに博多帯見たことなかとな?
仲蔵 見たことなか。
お
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