げんそうに私を見るのが別にシラを切つているようでは無い。「どうかしたんでしようか?」
「いや、あれきり行方不明になつてしまつたそうでね」つとめて何氣なく言いながら私は相手の表情の動きに注視していた。貴島はただ輕く驚いたような眼色をしただけで、なんの動搖も示さない。
「そりや………」
「で、家の人が僕んとこへ來たんでね、あの晩のこともあるし君に聞けば何かわかるかもしれんと思つたんでね」
「そうですか。いいえ、僕あ知りませんねえ。ただ送つてつてあげただけで。……でも、なんじやないでしようか、あの時劇團にもどりたくないとしきりと言つていたんですから、つまり、ザコネですか…それがイヤで、ホンのどつか友達の家にでも一日二日行つてると言う事じやないでしようか?」
「僕もそれは考えたが、そうでも無いような所もあるし――」
「あんなシッカリした人なんですから、なんかあつたとしてもそれほど心配なことは無いと思いますけどねえ」
「そうも思えるけど僕にもすこし責任と言つたような事もあるような氣がするしね」
「そう言えば送つて行つた僕にもあります、……なんでしたら僕も手傳つて搜しましようか?」
 私は、あらためて彼の顏を見た。そこには單純にルリの事を心配している表情しか無い。もしルリの失踪の理由を知つていながらシラを切つているとするならば、この男はほとんど完全な役者である。私にはわけがわからなくなつて來た。いつそルリの書置の手紙を見せてやろうか。この男はどんな顏をするか? 私はポケットから書置を出しかけた。しかし途中でやめた。見せても見せなくても同じ事だと思つたのだ。それに、いつたん見せてしまえば此の男を窮地に追いつめることになる。すると、もしかすると國友を斬つたように無造作に私を斬るかもしれない。…………そんな氣がする。恐怖では無かつた。斬られたとしても、たかだかレザアの刃か何かだ。それよりも、もしそんな事が起きると、此の男と自分との間は全く斷絶してしまうにちがい無い。すると、さしあたり、ルリを搜し出す一番大事な手がかりを失つてしまう。いや、實はルリの事など私にとつてさまで重要なことでは無かつた。ホントは、いつの間にか、この貴島という男に私が強い興味を抱くようになつてしまつていた事である。引きつけられていたと言つてもよい。そのため無意識のうちに、この男との關係を斷ち切つてしまうような事を避ける氣持になつていたらしい。いつからそうなつたのか私にもわからなかつた。私自身も後になつて氣がついたことである……
「でも僕は、なんだかルリさんに變な事なぞ起きたんじや無いような氣がします。二三日したら、なんでも無く歸つて來るんじやありませんかねえ……そんな氣がしますよ」
 默つて彼の顏ばかりを見ている私の眼を、おだやかに見返しながら貴島が言つた。
「うむ。……君あ、あの晩、ルリになんかしたんじやないだろうね?」
「え? いいえ……そんな事はありませんよ」と相手はすこしシドロモドロに、視線をあちこちさせ、「そんな――ただ送つて行つて。……でも、あんな風な人、僕あ嫌いでないもんですから、いろんな話をしたり、いや、おもに話したのはあの人なんだけど……しかし、べつになんにも」
 耳に薄く血を差したようだつた。まるで單純な少年が戀愛の場面でも覗き見されて羞かしがつてでもいるように、ほとんど可愛いいと言つてもよいような感じだ。微笑の蔭から私がどんなに意地惡くギロギロと見搜しても芝居や惡意の影を見つけ出すことは出來なかつた。
 とにかく、そこには何かがある。にもかかわらず、貴島が故意に嘘を言つているとは私にはどうしても思えない。すくなくともルリの行方を知らないと言うのは事實らしかつた。いろいろの角度から、何をたずねても彼はスラスラと答えたが――答えがスラスラとしていればいる程、かんじんの點は捉まえどころが無くなつて行つた。私は少しジレて來た。貴島は貴島で、私がルリの事に就て彼を疑つている點がわかるものだから困つた顏で「なんでしたら、荻窪の僕の住いの方へ來て見てくださいませんか」と言つた。そうすれば、自分がルリの失踪にかかわり合いの無い事がわかるだろうという意味を含めた言い方だつた。「ホントにお手傳いして搜してもいいですよ。それに、僕といつしよに暮している男で、そういう事のバカにうまい奴も居ますから」その話を差しあたり打ち切りたいらしかつた。そして、すぐに又Mの事――と言うよりもMの知人で現存の人々の方へ話を持つて行く。その話になると變に熱心で、こちらが話をかわしても、又してもそこへ戻つて問いかけて來る。兩方の話が喰い合わず、チグハグになつて行くばかりだ。
「だけどルリの事では、とにかく早いとこ家の人たちに報告してやらなきやならんからねえ」
「ですから、なんでしたら今夜にでも――僕はチョット用がありますからひと足遲れますけど――僕んちへ來てくださいよ。これから――」
 貴島が言いかけている所へ、外の廊下に足音がして、ドアがスット開き、丸い顏の男がユックリ入つて來て「やあ」と言つた。そのため私と貴島の會話は打ち切られてしまつた。

        11[#「11」は縦中横]

「どうしたんだお前、今ごろ?」
 貴島は、いぶかしそうな顏して男を見た。來る約束になつていた相手で無いらしい。復員服に板裏ぞうりをはいて不精ひげを生やした丸い顏が眠いように平凡だ。入口の通路の所にノッソリ立つたまま、
「頼まれてなあ、佐々から」
「え、どうしたんだよ? 佐々は今夜ここへ來ることになつているんだよ」
「うん、それが急に來られなくなつたから、ジカに野毛の方へまわるから、君に先きに行つてくれだつて。九時三十分には必らず行くからつて。なんだか、本部の方へ急に寄る必要が起きたとかなんとか言つてた」
「へえ。……だけど、ハジキは手に入つたのかなあ。なんか、そんなこと言つてなかつた?」
「ハジキ? 聞かんなあ」
「だけど、君んとこに寄るひまが有れば、ここに來られるじやないか?」
「ううん、佐々は、ここんとこ毎日のように俺の會社に來てるんだよ。經營管理なんて、みんな騷いでいるから、組合の幹部なぞと年中逢つてる。種取りだろ」
「黨から何か言いつかつてるんじやないかね?」
「それもあるかなあ。よく知らん」
「そいで君んとこの爭議は、どんな模樣なんだ?」
「ダメだね、みんなワイワイ騷ぐばかりで」
「しかし、お前、そうやつて出て來ちやつていいのか?」
「うむ、食い物が無くなつちやつたしなあ。俺のカマも二三日前に、とうとう火を落しちやつた。サランパンだあ。こいから荻窪へもどつて、なんか食つて寢るんだ」
「そうか」と貴島は言つてから、しばらく默つて考えていたが、やがて私をかえり見て、
「どうでしよう、これから荻窪へ行つてくださらんでしようか? 僕は横濱までチョット行つて、今夜中にはもどりますから。ちようど、いいところへ久保が來たんで、いつしよに――」と、そこまで言つて笑いながら、男に向つて、私の名を言つて紹介してから「これは久保正三と言つて、僕といつしよに暮している友だちです」
 男は、かねて私の名を貴島から聞かされていたものと見えて、默つてペコリと頭をさげた。
「おさしつかえが無ければ、是非そうしてください」
 すぐに私もその氣になつた。ルリの事もあつた。今夜、とにかく貴島の住いをハッキリと突きとめて置くのは無駄では無い。いつたん別れてしまうと、いつ又彼を捕えることができるかわからないような氣がする。そういう感じがこの男にある。めんどうだがしかたが無い。
 それで、もうしばらく此處に居てから横濱へ行くと言う貴島を殘して、久保正三と私の二人は連れ立つてそこを出た。久保は、私を案内して行きながらも、荻窪に着いてからも、實に淡淡として私に對した。冷淡と言うのでは無いが、わきに居る私をほとんど氣にかけていないようである。私の方から話しかけないと、自分の方からはなんにも言い出さない。小ぶとりで背が低く、顏が盆のように丸く、胴や手足もプリッと丸味を持つている。だから全體がおかしい位に丸く見える。それが、板裏ぞうりをペタリペタリと鳴らしながら私と並んで歩きながら、田舍出の學生のようにキマジメな眼でユックリとあちらを見たりこちらを見たりして行く。空氣のように平凡で、どこにでも居るし、どこに居ても誰の目にもつかない人柄である。ただ、省線の驛で電車を待つている時に一度と、それから電車の中で一度、胸のポケットから小さな手帳を取り出して、鉛筆で何か書きこんで、すぐにポケットにしまいこんで、知らん顏をしていた。以下は、荻窪の彼等の住いに着くまでに、私と久保が歩いたり電車に乘つたりしながら、トギレトギレに取りかわした會話である。
「荻窪の家は、君と貴島君と二人で住んでいるの?」
「ええ。でも佐々がしよつちう來て泊るから、實際は三人だ。いや、そうだな、貴島はメッタに歸つて來ないで、貴島の寢床で佐々がたいがい寢るから、やつぱり二人か。フフフ」
「佐々君と言うのは、さつき君たちが話していた人?」
「そうです」
「共産黨員かなんか?」
「そうのようですね。Gと言う、變なバクロ雜誌の編集しています」
「すると貴島君も共産黨となんかつながりが有るんですか?」
「さあ――あれはゴロツキの子分でしよ」
「…………家にめつたに歸つて來ないと言うのは、すると、どこに行つてるんだろう?」
「黒田の方の仕事をしてない時は、たいがいダンスホールだとかレヴュだとか、上野だとかラクチョウなぞに居るんじやないかな。女好きですからね奴さん」
「君と貴島君、それから佐々君と言う人など、どういう知り合いなの? いや聞き方が變だけど、いつ頃から――?」
「戰友ですよ。戰爭中、いつしよだつたんです」
「へえ、三人とも?」
「ええ。僕と貴島はクェゼリン以來ズーッといつしよで、佐々はすこし後で、僕と貴島がオキナワにまわつてから、内地から補充でやつて來て、いつしよになつたんです」
「君は、そいで、今どつかで働いてるの?」
「職工ですよ」
「どんな仕事?」
「イモノ。流しこみをやるんです」
 そう言つて彼は、驛のプラットフォームの電燈の光に兩手のひらをかざすようにして見せた。ちようど野球のグラブのように肉が厚い。その甲や指のあちこちに、ボツボツと黒い大小の斑點があつて、よく見るとその一つ一つが二分三分ぐらいの深さの穴になつている。既に完全に治つているキズあとだが、その鉛色になつた肉のえぐれ方が、生まキズよりも酷薄な影を持つていた。
「湯のとばつちりが飛びつくんだ。顏はメンをかぶつているから、いいけど、そうでなきやイボガエルみたいになつちまうね」言いながら、自分の言葉でおかしくなつたと見えてニコッとした。
「湯と言うと?」
「金屬の熔けたやつ――」
「ふむ」
「でも、もうダメですね。以前は大きな熔鑛爐でガンガンやつてたけど、ちかごろじや、たまに鐡だと思やあ、火に燒けたボロボロの屑だもん。たいがいアルミかなんか煮て、釜やなんぞ作るんだ。まるで、ママゴトでさあ」
「どこ、工場は?」
「十條です。もとは職工が三百人から居た所だけど、今じや五十人とチョット。ここんとこ、そのママゴト仕事もすくなくなつて來てね、カマは火を引くし、給料は拂わんし、心あたりの有る者は、ほかへ行つてくれと言つてるんですよ」
「爭議になつているんだね、そいで?」
「ええ。……だけど、景氣の良い時のナニとは違うんでねえ。會社もホントにやつて行けないらしいや」
「そいで、どんな工合なの?」
「ダメだなあ。どつちにも、なんにも無いのに、ムシリ合いをしてんだもの。乞食の喧嘩みたいなもんですね。左翼の連中がやつて來ちや經營管理をやれなんてアジつてるけど」
「佐々君と言うのは、そいで行つてるんだね?」
「まあそうでしようねえ。本部との連絡係みたいな事をしてるようです」
「君も共産主義?」
「いいえ」
「すると共産主義に反對?」
「いやあ。僕あまだ、そういつた事はわからんです」
「……貴島君は今夜、もどつて來るだろうか?」

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