ているのです。身體つきなども、以前の子供くさい所が無くなり、落ちるだけのゼイ肉がきれいに落ちてしまつたかわりに、胸や腰などはガッシリと豐かになつた。人がらも以前よりも、すこし沈んだような感じになつている。……しかし僕にはやつぱりルリは、ギラギラしすぎて、眼を開いて正面から見ておれない。やつぱり、何か壓迫されるような氣がして、自分からはなんにも話しかけられない。
 ルリも、口ではほとんど何も言わぬ。ただ、そのまま、すまして久子さんの家に腰をすえてしまつたのには、困つた。二日たつても三日たつても、立ち去らぬ。このまま住みついてしまいそうに、落ちついている。それを又、おどろいた事に、久子さんが平氣で居させる事だ。ルリは久子さんに自分の事をくわしく話したらしいが、どんな事を言つたのか、僕にはサッパリわからない。從つて久子さんが僕とルリの關係を何だと思つているのかハッキリした事はわからない。
 第一、ルリがどうして僕が此處に居ることを知つたのか、その時は見當がつかなかつた。後になつてわかつて見れば、なんでも無い事だつたのだが、何かおびやかされたような氣がした。――ルリは僕のありかを「春子の家」の春子さんに聞いて來たのだ。それは野口と言う男――あなたも御存じだと言う、中年の寫眞師で、裸體寫眞を撮影するのを商賣にしていて、ルリが一時そのモデルになつた事のある男――あれが、たいへん酒好きで、僕などが行くズッと前からの「春子の家」の常連の一人だつたのです。酒に醉うと、ふところから自分の寫した裸體寫眞を取り出して、店の女給や客の醉つぱらい達を相手にひどいワイ談をして聞かせるのが癖で、果ては、相客にその寫眞を賣りつけたり、時によつて、變な所へ案内したりもするらしい。實は、僕が「春子の家」に行くようになつてから、僕自身も、この野口に五度も六度も會つて、ワイ談を聞かされていたんです。もちろん、これがルリを使つて裸體寫眞を撮つている男だなど、僕は知ろう道理がありません。野口の方も、ルリと僕との間の事など知りはしません。ただ、いつだつたか、野口から、一枚の裸體寫眞を見さされて、僕は妙な氣持になつた事があります。女が一人、向う向きになつて、兩脚をひろげ手を上にあげて妙なカッコウをした全裸の寫眞で、まあ、そんな寫眞としては割に趣味の良い寫眞と言うだけで、別に變つたところは無いのですが、見ている内に、なにかしらドキッと僕はしたのです。どつかしら、その女の身體つきに見おぼえがあるような氣がしたのです。見おぼえと言つても、ハッキリこの眼で見た記憶とも言えないが、向うを向いた顏の襟足のへんだとか、肩から背中の凹み、それから全體のポーズなど、目で見たとも、手でさわつたとも言えないが、どこかでおぼえが有る。……もちろん、いくら考えても、ハッキリした事は思い出せない。その頃まで僕は、あの夜の女のことばかり考えていたものですから、僕の頭にはその事が來ていたのです。しかし、もちろん、ハッキリとそうと思うだけの根據はありませんし、又、いくら僕の頭が狂つていても野口のワイ寫眞の中の女があの女だろうなどと思つたりは出來ません。ただ、その寫眞を見て、何か妙な氣持になりながら、あの女のことを考えていたのです。
 實は、後になつてわかつた事ですが、その寫眞の女はルリだつたのです。ルリをモデルにして野口が寫したのだつた。どこかしら、僕に見おぼえが有るような氣がした筈なんです。……しかし、その時にはルリの事なぞ思い出しもしないで、あの女の事ばかり考えながら、寫眞を見ていたわけです。實にキタイな話ではありませんか。僕は全くバカです。
 その寫眞をあまり熱心に僕が見いるので、野口は何と思つたか、
「どうです、いい身體だろう? どう君も一つ僕のモデルになつてくれんかな? 金もチャンと拂うが、それよりも、この女と組になつて寫させてくれんかなあ? 君のカラダなら、いいがなあ、好一對だと思うがなあ」と言うのです。その時はバカな事を言うと思つて笑つて相手にもなりませんでしたが、後になつてそれがルリだと知つて、この事を思い出し、實に變な氣がしました。變な氣ですが、イヤな氣ではありません。特に現在では、何か、僕とルリのために非常に貴重なヒントを與えられたような――極端な言い方をすれば一つの啓示を與えられたような氣がするのです。啓示を與えてくれたのが、此の世の屑のようなワイ漢の野口だつたと言うこともコッケイですが、しかし、僕はそれを笑い飛ばすような氣持にはなれません。むしろ嚴肅なような氣もちになります。
 とにかく、そんなような事で野口は僕の名を知つており、それに春子さんからも僕の事をいろいろ聞き出したらしいのです。そして、それを何かの時にルリに話したらしいのです。
 ルリは、その後も僕のありかを懸命に搜していたそうです。野口の所に居ると國友の子分たちに附きまとわれるので、あれ以來、野口の所を出てしまつて、うぐいす谷の方のアパートに住み、生活の方はデパートのマネキンになつたり、時によつて畫家のモデルになつたり――そのほか、上野や淺草かいわいで、例の案内ガール、つまりカフエーの客引きのオトリ[#「オトリ」に傍点]をしたり、それから、もつとひどい事もしたかも知れない、僕には現在でもそこの所はハッキリわかりません――そして、時によつて、いよいよ困るとフラリと野口のアトリエに現われて現金引きかえに寫眞のモデルになると言つたような生活をしていたらしいのです。で、野口から、僕の事を聞くと、トタンに「春子の家」に飛んで行き、春子さんに僕の所在をたすね、こうして山梨へやつて來たのです。
 そんなわけで、ルリは、一緒に久子さんの家に暮すようになつたのですが、前にも書いたように、ただすまして暮しているだけで、僕にはなんにも言わないです。むやみと落ちつき拂つてしまつたように見えます。それを又、久子さんが平氣で受入れて、僕が一人いる時など、
「ルリさんて子は、いい娘さんだなあ。キレイだ。いいえ、心もちだけじや無い、カラダもよ。ありや、まだ處女ずら」と言つてニヤニヤ笑うのです。「處女ずら」と言うんです。そういう言い方をする人なんです久子さんという人は。僕が困つて
「迷惑をかけますねえ。どんな氣で、こんな所までやつて來るんだか……」と言うと
「そりや、あんたのオヨメさんになりたいからさ。貴島さん、あの人もらつちまいなさい。いいんだろ? あんただつて、あの人、好きなんだろ?」
 と、一人でのみこんだような事を言うのです。
 そうです、好きだと言われれば、好きかもわからない。しかし、具合が惡くつてしかたが無いのです。それにルリにそばに居られると、なにかしら僕は押しつけられるようで、變に息苦しくなるのです。やりきれなくなるのです。それが段々こうじて來ると、しまいにルリが憎らしくなつて來て、逃げ出したくなるのです。そして、あの女――あの晩の女のそばへ行きたくなる。あの女が戀しくなる。だのに、あの女は、どこにも居ない。どこを搜しても、もう見つけ出すアテは無い。どうすればいいんだ? 俺は、どうすれば――頭がボンヤリして來ます。ボンヤリしたまま、ルリの事が益々息苦しくなり、怖い。變に怖いのです。
 ――遂に僕は我慢が出來なくなりました。そして山梨を逃げ出したのです。ルリにはもちろん、久子さんにも默つて、僕は東京へ來てしまいました。
 ルリがその後どうしたのか、その次ぎに上野で逢うまで、僕は知りませんでした。

        42[#「42」は縦中横]

 そんなわけで、僕が東京に出て間も無く立川景子さんの所を訪ねて行つたのも、かくべつの目的が有つたからではありませんでした。あの女を搜す氣持は、もうほとんど失つてしまつていたのですから。ただ久しぶりに何となく景子さんに會つて見たくなつただけです。ですから、そこでいきなり、ムヤミと昂奮している景子さんを見出し、それから景子さんからせき立てられて、キツネにつままれているよう氣持で古賀幸尾と言う男のような名前の――いえ、名前だけで無く性質もまるで男のような女醫さんに會うことになつて、そしてその結果、實にアッケ無い位にカンタンに、あの女を見つけ出すことが出來たのにも、ただグルグルと眼がまわるような氣しただけで、今から思つて、その前後のことがハッキリ思い出せないような氣がするのです。

 僕の顏を見ると景子さんが、いきなり
「なぜ、もつと早く來なかつた!」と言うのです。例の樂屋での話です。僕がめんくらつていると、彼女は急に聲を落して
「あんたの、その人が居たわよ!」
 僕は何の事だか、しばらくのみこめませんでした。
「いえ、果して、そうだかどうだか、あんたが逢つて見ないじや、わからないけどさ、古賀さんは、たしかにそうだと言うの。だつて、その人はMさんの手紙を持つていて、その中に、あんたの名前が書いてあると言うんだもの。とにかく、何でもいいから、今すぐ古賀さんとこへ行つてごらんなさい。ホントは私も一緒に行きたいけど、舞臺があるから今日は行けない。いえ、古賀さんには私からよく話してあるから、行けば、わかるから。ガラガラした人だけど、根はとても善い人だから。そいで、その人と逢つた結果はすぐに私にも知らせるのよ。よくつて?」
 何か聞き返している暇も無く、押し出されるようにして、僕は日暮里へ行きました。燒跡の小さいバラックに、醫院のカンバンが出ているので、すぐわかりました。古賀さんは、四十かつこうの獨身の女醫。しかし人柄は女醫と言うよりもアネゴと言つた感じの、亂暴な位に率直な、白い上衣にズボンをはいて出て來て、僕が「貴島と言いまして、立川景子さんから――」と言いはじめると、
「ああ、あなたなの!」と、ジロジロと僕を見ていましたが、不意にニタニタ笑い出し「そうか。そいで……タミさんに、直ぐに逢つて見る?」
「……タミさんと言いますと?」
「あ、そうか。名前も知らないんだつけ。フフフ」
 どうも樣子が、景子さんが何もかも、しやべつてしまつたらしいのです。僕は眞つ赤になりました。
「いいさ、いいさ。所も知らず、名も知らず、か。いいさ。いいじやないのよ。ハッハハ。直ぐに行つて見る?」
 僕がモジモジしていると、一人でのみこんであがれとも言わず、そのままクツを突つかけて下へおり、ガラガラピシャンと表戸をしめて、先きに立つてドンドン歩き出すのです。
「タミさんと言うのよ。ホントの名は私も知らない。自分でそう言うんで、みんなそう言つてる。いえね、あなたの話を景子君から聞いてね、なんだかトテモ感心しちやつてね。いえ、感心と言うと變だけどさ、フフ、だつて、いまどき、そんな時のナニを搜して歩くなんて、なんだかトテモうれしくなつちやつてね。ハッハハ、これ、オールドミスのセンチメンタリズムだね。まあ、なんでもいいや」古賀さんは歩きながら、大きな聲でガラガラとしやべる。「趣味でね、あたしの。あすこいらの界隈の女たちの、めんどうを時々見てあげる。醫者だからね、こいでも。タミさんの手當てを一二度してあげたことがあるんだ。そんでね、たしかに、そうじやないかと、そんな氣がしたもんだから。景子さんから話を聞いて、聞いているうちは思い出さなかつたけど、後でヒョッとそうじやないかと思つたんだ。妙な手紙持つているんでね、その子がさ」
 路はだんだん上野公園の裏の方へ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りこんで行く。そのうちに、言葉を止めてヒョイと立ち停つて僕をジロリと見てから、
「チョット聞いておくけどね、貴島さん!」と改たまつた調子なので、「はあ」と僕が言うと、今度はしばらく默つていてから
「ずいぶん、ひどい事になつていますよ」
「その人がよ。かまわない? ……こんな時代。弱い女一人が生きて行くにや、いろんな事がある。わかるわね?」
「……ええ」
「一番惡いことを、考えて置いてほしい。……私たちに、今、こんな中で、どんな人でも批難できやしないだろ? みんな、人間だ。……人間は、みんな弱いんだよ。わかるわね?」
「わかります」
 古賀さんは
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