無いイロリのそばに、小さい子供を抱いた老婆が坐つている。それに向つて言葉をかけたが、いつまでたつても返事が無い。
「山内さんはこちらでしようか?」
「はい……?」
「久子さんは、おいででしようか?」
「うん?」
そうだとも、そうで無いとも言わないで、暗い中から、いつまでも此方を見ている。しかたが無いので「東京から久子さんをたずねて來てこれこれと言うもので」と言う。しかし老婆はマジリマジリとして、眠りこけているらしい幼兒を膝の上で時々ゆするだけ。耳が遠いか、事によると氣が變なのではないか。……困つていると、しばらくしてから、ブツブツと寢ぼけたような言い方で、
「そいで、お前さま、なにかね……久子になにか用かや?……どんな用だ?……うむ。久子は今居ねえが、お前さま、久子にどんな用があんなさるかや?」
どんな用かと言われてもチョット答えようが無いので、言いしぶつていると、
「……お前さま、杉雄の朋輩かね?」と言う。
――後でわかつたが、杉雄と言うのが、この老婆の一人息子で、そして久子の夫であつた。だからこの老婆は久子のシウトメで、その膝の上の幼兒は山内杉雄と久子の間の子供であり、老婆にとつては孫。杉雄は、終戰と共にシベリヤにつれて行かれ、久子だけが(――當時、姙娠中)引き上げて來た。杉雄はいまだに歸還せず、久子、老婆、幼兒の三人でこうして暮している。
――それはしかし、久子がもどつて來てズット後になつて聞いてわかつた事で、その時は、どうにも取りつく島が無く、目が馴れてだんだんにハッキリ見えて來た屋内の、極端にみすぼらしい樣子や、老婆の病みつかれて、よごれきつたフクロウのような姿と顏を見ながら、僕は何かとんでもない所に來てしまつたような後悔の氣もちでいた。老婆は、それからブツブツブツブツと非常に不機嫌そうな、所々意味のわからない方言で、根ほり葉ほり僕のことをたずねる。それが實に、しつこい。僕が答えないでいると、同じ事を何度でも繰返して來る。「お前さま、おかみさん、有りやすかい?」などと言う。不愉快になつて來た。そのうちにヒョッと、これはもしかすると、久子を不意に訪ねて來た若い男の僕を、久子と何か變な關係でもあるか、有つたかしたのではないかと思つているのではないかと、氣がついた。そうで無ければ、いくらモウロクした百姓の老婆でも、初めて逢つた人間に、こんなに意地の惡い態度を示す筈は無い。(――この想像は當つていました。いや、實は、僕の想像以上で、老婆は、まだ歸還しない杉雄のためにカングリの嫉妬をしたと同時に、現在この家の柱になつて百姓をして働らいているのは久子一人であるため、久子がどこかへ行つてしまいでもすれば、すぐに自分たちは生きて行かれなくなる、それを怖れて、本能的に僕を警戒していたのです。後になつて、僕という人間がそんな者ではない事がハッキリわかると、このお婆さんは、ひどく人の良い正體を現わしたのです。實に人間がその時々に示す姿というものは、變なものなんですねえ。)……その時には、そんな事はわからないものだから、僕はスッカリ不快になり、口をつぐんでしまつて土間の隅に突つ立つていました。
そこへ、庭場の方から、人の足音がして、二人の人間が入口に立つた。一人は久子で(これも後でわかつた事で、そしてビックリしたが)、モモヒキにハンテンを着て、手ぬぐいで髮をつつんで鍬をさげた、ただの百姓女です。それを追いかけるようにして後からつづいて來たのは中年の、これもノラ着姿の農夫で、二人とも何かブリブリしている樣子。久子はジロリと僕の方へ目をくれたが、何も言わず、いきなり凄い顏で中年の百姓を振り返ると、
「うるせえよつ! おらんとこのヨウスイロを、おらが直すのに、なんの文句が、有るけ!」と、どなりつけた。
それに對し、中年の百姓がノドを鳴らすようにして食つてかかり、たちまち二人の間で猛烈な口喧嘩が始まつたには驚いた。さあそれから兩方でガアガア、ガアガアと、相手の言う事などほとんど耳に入れようとせず、今にもなぐり合いが始まらんばかり。言つている事は、僕には、よくわからない。兩方とも方言で、それに恐ろしい早口だし、たとえ意味がわかつたとしても、とても書けるものでは無い。野卑で、聞いていられない。特に久子が「あにを、言やがんだつ!」と叫んだりしている口のハタに、ツバキのアワをくつつけたりしている顏と言つたら、女であるために、かえつて、あさましくて、見ていられない。女が男を相手に、こんなに猛烈にやり合う姿を僕は初めて見た。
兩方の罵聲の中から切れ切れの言葉を拾つて總合して見ると、畑か水田への灌漑用の水路の事らしい。久子の家の水路と相手のオヤジのタンボへの水路が一部共同になつているらしく、それが、もともと、久子の家で開いた水口で、この水の使用については、まあ久子の家に優先權が有る。それを相手のオヤジの方で、いつの間にか段々に自分の田の方へ利用する程度を多くして行つたようで、それに反抗して久子が鍬を持ち出して水路を作りなおしてしまつたらしい。今度がはじめての事では無く、かなり以前から同じような紛爭をつづけている樣子。このへんのような山がかりの田畑では、農家にとつて水の事が如何に重大なことであるかと言う事は、僕にもわかる。しかし二人の喧嘩の調子は、ただそれだけにしては、あまりに激しいし、双方の根にあるものがドギツすぎるように思つた。その事情は、後になつて、わかつた。
久子が山内杉雄と結婚したのは、戰爭中、東京に於てで、當時、久子は或る映畫俳優養成所に入所したばかりの研究生で(Mさんは、そこの講師の一人で、數多くの研究生の中で、久子の素質に注目し、特に目をかけてくれた由、後になり久子さんから聞きました)山内杉雄と戀愛に落ち、養成所をやめて結婚するや、いつたん二人は山梨縣に歸り、間も無く滿洲の開拓團に入團するため(山内杉雄は電氣の技術家で、直接農耕よりも農村電化の仕事に抱負を持つており、それの實現のため滿洲の開拓地を望んだ)一人の母親と、すこしばかりの田畑を親類の家に託して、滿洲に渡つた。その際、この附近の農家から同行を希望した青年たちが七八人あり、いきおい杉雄が團長格にされて、渡滿。それまではよかつたが、終戰になつて今までに歸つて來た者は、その中の二人と久子だけで、杉雄はもちろん、五六人の者が歸つて來ず、中の數人は死んだと言うし、他の者も消息無く、いまだに生死不明のため、その家族たちの間で、山内杉雄や久子を怨むようになつた。特に團長格で行つた(一同からたつてと頼まれて、しかた無く一同の世話を燒いただけの由)杉雄の妻が無事で歸つて來たこと、しかも、他の者は消息さえもわからないのに、杉雄はシベリヤの收容所で、とにかく無事に働らいていると言う便りまで有つた事などが、それら家族たちの怨みに油を注ぎ、村民の大部分もこれといつしよになつて、久子一家を憎むようになつた。それには、終戰以後の一般の風潮もある。つまり、復員服を着た青年を見ただけで反感を抱き、中には「おめえたちが戰爭したりしたから、おれたちはこんなヒドい目に會うんだ」と言い放つ者がいたりする――つまり、あれ。「うちの子供をそそのかして滿洲なんかに連れて行つてしまつて殺してしまつたじやないか。だのに、その御本人夫婦はノメノメと生きている」と言うわけなり。久子が歸つて來るや、親類の家にあずけて置いた田畑を返してもらい、老母と幼兒をかかえて百姓仕事をはじめ、最初の間は馴れない事で、ずいぶんつらい思いをしたり失敗もしたが、それから一年あまり、とにかく曲りなりにも農事がやれるようになり、三人の家族が細々ながら暮して行けるようになつた事なども、村民にとつては反感の種らしい。村の交際からは一切絶たれ、事ごとに迫害されて來た。心ある村民の中には、こんな不當な迫害に反對する者も少數ながら居るには居るが、その種の人は、すべての事に積極的に表立つことを避けるため、居ないのと同じ。迫害はしつこい。しかも、これを表沙汰にして警察などに訴え出られるような形を取つて來るのでは無く、もつとインビな方法で來る。役場や民生委員などは、これを知つていても知らぬ顏をしている由。右にあげた用水路についての紛爭のような事は、始終起る。
「はあもう、馴れちまつたですよ。また、馴れでもしなきや、とても、やつて行けませんからねえ。ハハ、今じや、村の衆からいじめられないと、なんだか物たりねえような氣がする位だ。……はじめは、つらかつた。イッソの事と思つたことが、何度あつたずら。しかし、がまんして來ました。それは、杉雄が歸つてくるまでは、私がシャンとしていないでは、母や坊はどうなると思う氣もありましたがね、それよりも、實は、村の人が私ら一家を憎むのも無理ない所があると氣がついたんですよ。杉雄や私の方に惡氣はチットも無かつたけど、村の人の立場になつて見りや、私たちを怨む氣になるのも、あたりまえ。あたりまえとは言えないかも知れんけど、滿洲に行つたきりになつた息子や弟のことを考えると、腹が煮えて、怨みの持つて行きどころが無い。だから目の前の私たち一家に、それをみんな持つて來る。やむを得んことだと思うんですよ。私があの人たちになつて見れば、やつぱりそうするだろうと思うの。そう氣が附いたんです。そしたら、いくらいじめられても、がまん出來るようになりました。それに私が女手一つで、親類に泣きついても行かないで、とにかく百姓をやり通しているのを見ると小づら憎くなるのね。それも、もつともだと思うの。自分ながら、その點では、よくやれるもんだと思う。東京に生れた女がね。これで滿洲に行つてから、あちらの開拓村で働らいた經驗が有つたから、まあ、やれるんですよ。とにかく、村の人に憎まれるワケが、こつちにもあるんですよ。私は、これで、ゴーツク張りですからね」
久子はその晩、イロリのそばで、僕にそう話して、カラカラと笑つた。
しかし、その夕方、中年百姓を相手に口ぎたなく罵り合つている彼女の形相は、ただ淺ましく動物的なだけで、右の彼女の内心など微塵も現わしているものではなかつた。この女は、いつでもそうなのだ。心の中には、それだけ廣やかな反省やフックリした感情を持ちながら、いつたん他の人と爭つたり――いや、他の人と爭つたりする時とは限らない、生活のあらゆる部面で現實的に行動する時は常に――たとえば畑で働らいている働きぶりから、家で食事をする時のメシの食い方まで、動物的でガツガツして、なにかしら野卑だ。――僕には、感覺的に附いて行けない。何か、動物のメスを見ているようで、本能的にイヤな氣持になる。……それが、こうして又此處に舞いもどつて來て、この女のそばで百姓の手傳いをしているんだから皮肉だけれど、しかし、現在でも、彼女のそういう點は好きになれない。――
口喧嘩は三十分ぐらい續き、一時は叩き合いになるかと見えたが、相手の百姓が僕に目をつけ、僕のことを何と思つたか、急に語調を低めたが、やがて捨ゼリフのような罵言を吐きちらしながら、立ち去つて行つた。あと、久子は氣が立つままにブツブツ何か言いながら鍬を片づけたり、手足を洗つたりして、僕のことなど無視していたが、やがて、老婆が「この衆がお前の所へ來てな――」と言うと、やつとこつちを向いてくれた。でもムッとしてどなたとも言わない。僕は、困つたが、しかた無く、Mさんの名を言う。するとヤットいくらか打ちとけてくれ、上にあげてくれる。既にトップリと日が暮れて、屋内は眞暗になつているが、電燈は無し、ランプもつけない。久子は、眼をさまして、まつわり附いて來る幼兒を叱り叱り、バタバタと夕食の仕度をするし、僕は、ボンヤリと暗い中に坐つているきり。やがて夕飯になり、「ホート」と言うスイトンのような汁を僕にもくれた。それがすんで、「どんな用です?」と問われたが、この女が僕の搜している女で無い事は、それまでにわかり過ぎる程わかつているのだし、返事に困つたが、又例のMの事を書くためウンヌンを言い、立川景子さんに聞いて訪ねて來たことを述べる。疑われるか
前へ
次へ
全39ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング