マシだ。「若い女から夫を寢取られた」と、なぜ稻子は思えないのか。そして、なぜ泣かないのか。それこそホントの人間じやないのか。そして主義も主張も、先ずホントの人間になつてからの話ではないのか。つまらない小理窟にひつかかつて、自分で自分になぜウソをついているのか。……
そのうちに、稻子は、あまり昂奮したセイか、不意にひどい鼻血を出しはじめた。それにビックリして伸一郎は議論をやめて、オロオロしながら、ハンカチなどを出し、カイホウをしはじめた。
そのスキに自分は、室を逃げ出した。
あとで二人は、もしかすると、又口論をはじめ、なぐり合いなどまでやつたかも知れず。又は、アベコベに、一所に寢たかも知れないとも思う。この方が當つているような氣がする。二人の口論の調子の中に、そんな所があつた。男女ともに氣持は離れ離れになりながら、永い間の習慣で、口論の果ては、いつでも性交になるのではないのか?
ベッ! 自分には關係の無い世界なり。外に出て自分は伸一郎を憎み、稻子を、あわれだと感じ、そして二人ひつくるめて、ケイベツせり。お前さんたちは、兩方でウソつき合つて、臭い寢床で眠れ。
36[#「36」は縦中横]
…………
ごぶさたいたしました。
お變り無いことと思います。
この前手紙をさしあげてから、たしか二カ月あまりたちます。その間、短い手紙かハガキでもと何度も考えましたけれど、次ぎ次ぎといろんな事がありまして、居る所も轉々としていましたし、それにかんじんの僕の心が搖れ動いているものですから、手紙など書く氣がしませんでした。チョット書く氣が起きても、さてペンを取りあげるとどう書いてよいかわからなくなり、それで紙を前にして自分の考えをまとめようとしていろいろにしているうちに、書く氣が無くなつているのです。そんな事を何度か繰返しているうちに、――ちよつと妙な言い方ですけど、小説や戯曲などの作家の苦しみと言いますか、作家の仕事のむずかしさと言つたような事が僕に少しわかつたような氣がしました。
と言いますのは、僕は「自分の考えをまとめようとして」と書きましたが、實は「考え」ではありません。自分の見たり聞いたりした事なんです。それをありのままに書こうとしただけなんです。それが書けないのです。イザ書こうとすると、書けない。目で見、耳で聞いたことだから、ありのままに書けない筈は無いのに、實はそれが非常にむずかしい事だと言うことが、わかつて來たのです。「あの人は善い人だ」と言つても、果してそう言い切れるか? 「善い」と言う事が全體どんな事なのか? あの松は濃い緑色だと書いて見ても、一體、その松はホントに緑色なのか? 紫色に見えると言つても、黒く見えると言つてもウソでは無いのでないか? 一つの事件にしても、それを見る見方には、ほとんど無數の見方がある。その中で、どれを選べば「眞實」なのだろう? つまり、事物に對する僕の認識と言いますか、それがハッキリせず、自信が持てないのです。
こんな事は、以前には無かつた事です。ズット前、シナリオや小説みたいなものを書いている時分は、そんな事は全く氣になりませんでしたし、復員して來て黒田組で働いている間も、そんな事はありませんでした。こんなふうになつて來たのは、黒田組を出て、方々を歩きまわり、いろんな人に會つて、それらの人々を細かに觀察するようになつてからなんです。認識の目がグラグラと猫の眼のように變りやすく、それについてキッパリした一定の表現が採れないのです。苦しくてならない時があります。たしかに、僕という人間自體が半年前ごろから非常に變りつつあるようです。それが良い事か惡い事か僕にはわからない。しかし實に變テコな妙な氣がします。しかし、それでいて、これまでよりも――すくなくとも黒田組に居た頃までよりも、世の中や人間のホントの姿が深くわかつて來たような氣もします。わかつたと言つても、前にも言いましたように、認識そのものがグラグラしていて疑わしいのですから、「理解した」のではありません。理解なんか出來はしません。「味わつた」と言うのがホントかも知れません。理解は出來ないけれど味は少しわかるんです、この人生の。いくらかホントの味がわかつて來たような氣がするんです。うまく言えませんけれど、あなたには、わかつていただけるでしようか? とにかく、僕と言う男の根本の所が、何か變りかけている事は事實のようです。ひどく不安です。それでいて、惡い氣持ではありません。それは、ちようど、醉つぱらつたような氣持です。「人生」に醉うなんていう事があるのだろうか?
――そんなわけですから、今の僕には、ツジツマの合つた手紙は書けません。僕の認識そのものが飛行機に乘つているようにグラグラしているのですから、その後僕が出會つた女の人たちの事を語ると言つても、チャンとツジツマの合つた、自信のある語り方は出來ない。だけど、僕はあなたに語らないではいられない。したがつて、あなたは僕の書くことをあまり信用なさつてはいけません。つまり、僕があの女の人は良い人で立派なことをしていますと言つても、あの女の人は惡くつてパンパンみたいな事をしていると書いても、どちらも、直ぐに信用なさらないように。僕ごとき「幽靈」――フラフラ、グラグラの人間に、パンパンが惡いのか、良妻賢母が善いのか、又はそのアベコベなのか、わかるもんですか。そして、こんな事を言う理由の一つは、リストの中の女の人たちは、かつてのMさんとあなたの共通の知人の人だろうと思うので、そんな人たちをいくぶんでも、僕の見方でケガすことは、その人たちに對してもあなたに對してもすまないと思うからです。
もう直ぐ夏です。
僕は今、山梨縣の田舍の貧しい農家に泊つていて、その家の農事の手傳いをしています。ここに來てから、すでに一カ月ぐらいになります。今、麥の取り入れを手傳つています。取り入れはほとんどすんで、一兩日後から、「コナ」しに――調製のことらしいです――かかるそうです。そんなわけで今日はすこし暇です。
この家は僕は二度目です。前に一度たずねて來て、それから東京へ歸り、あちこちと東京近くで三四人の女の人と會つて、それから又、一月前に此處へ來ました。百姓青年のカッコウをして、畑や麥などの世話――と言つても、僕は百姓の事はなんにも知らないので、久子さんから命令されるままに手傳つて働らくのです。ビックリなさつたですか? あのゴロツキの、フラフラ男が、默つて百姓仕事をしているんですよ。自分でもビックリします。そしてコッケイになります。現に、これを書きながら僕はさつきから笑つているんです。
「貴島さんのオッさんは、なにを、さつきからゲタゲタ笑つているずらなあ、坊や?」
向うの土間で坊やを相手に豆をむいている久子さんが、さつき、言いました。
話は、二三カ月前にさかのぼるわけです。
僕は徳富稻子に會つて、彼女と夫との關係や、彼等の進歩的思想の内容を覗くと、そのあと實に變な氣持になつてしまつて、いろいろ考えました。しかし、僕などには、それをどう思つてよいか、わからない。あの人たちの生活も戀愛も思想も、一切合切實に愚劣だ。踏みつぶしてしまえと思う。しかし、そう感ずるだけで、なぜに愚劣なのか、なぜに踏みつぶしたくなるのか、そのへんの解釋は僕の力では出來ない。――それで、僕は自分でもイヤになつた。そんな連中に會つて歩くことが、すつかりイヤになつた。第一、東京という所がイヤになつてしまつた。
それで田舍に行つて見ようと言う氣になつたのです。幸い、リストの中に、地方に住んでいる人が二三人おります。その中に、山梨縣にいる久子と言う人があり、その住所書きは、あなたから作つていただいたリストには書いてありませんけど、立川景子さんから聞いて書きとめてあります。地圖でしらべて見ると、Nという驛から大して遠くも無さそうです。それで、すぐに、そこへ行つて見ました。これが先ず輕率だつたのです。
行く前に、もう一度景子さんに會つて、もうすこし詳しい事を聞けばよかつたのでした。そうすれば、その山内久子が、もう既に結婚している人で、しかも戰爭中に夫と共に滿洲にわたつていて、したがつて、僕が出征した時分は、彼女は滿洲に居た。だから、僕の搜している女などではあり得ないと言うことが、わかつたわけです。もつとも、そんな事情は立川景子は知らないのかもわかりません。「山梨縣で百姓をしている久ちやん」などと言つていましたが、それがいつ頃の知識なのか、――或いは終戰後の現在のことかも知れないが、――ただ人づてに聞いた噂話だつたのか。いずれにしても、多少は何か聞けた筈なのに、景子に會わずに僕は出かけてしまつたのです。しかし、僕はこの自分の輕率さを今となつては、後悔していません。なぜと言うと、あの女で無いと言うことは、久子という人に會つて二つ三つ話をしたら直ぐにわかつた位で……つまり、あの女を搜すという目的から言えば全くムダな失敗を演じたわけなんですが、そんな事よりも、もつと大きな――どう言えばよいか、得るところが有つた……いや、こんな言い方では、うまく僕の氣持は言い現わせません。何か、とにかく、何かを見た。そうです、何かとしか言えない。なぜなら、それが何であるか、その中にどんな意味があるのか、僕にもまだわからないからです。とにかく、その結果――いや、結果と言うと變ですけれど、そういう事のために、僕は又現在こうして久子さんの家に居るわけなんです。
それを、カンタンに書いて見ます。
37[#「37」は縦中横]
中央線のN驛で汽車を降りて、その村の名を言つて道筋をたずねると、一里とチョットだと言うし、そこを通るバスも有るには有るが、それが出るまで二時間近く待たなければならぬと言うので、ブラブラ歩いて行くことにしました。町を出はずれると、田や畑の中を行きます。土地は丘陵型の起伏に富み、水田もあるにはあるが、畑が多い。それもたいがいスロープになつている。その間を縫つて行く道も、たいがい、ゆるやかな登り坂か降り坂になつていて、水平な所を歩くことは、ほとんど無し。その丘陵型が次第に疊みこまれて行く先きは山脈に盛りあがつている。
歩きながら、自分が戰地から歸つて以來、今まで、こんなような農村に踏み入つた事が一度も無かつたことに氣づく。かくべつの感慨は起きなかつたが、でも山や森や田畑や、その間にポツポツと立つている農家などを見ると、急に眼がさめて、はじめて自然を見るような新らしい氣持がして、セイセイする。同時に、身體のどこかがポーッとかすんで來て、氣が遠くなるような感じもした。
教えてもらつた通りに歩いて行つたが、一里とチョットと言うのが、遠いのに驚く。實際は二里ぐらいはあるか。やつと、その部落に着き、方々で「山内久子」とたずねたが、なかなかわからぬ。部落はずれの、その家に近くなつて、四五人の農夫やおかみさんにたずねても、テキパキと答えてくれる人は無い。中には、「山内」と言つただけでフン! と言つて向うを向いてしまう者がある。子供だけが割にスラスラと答えてくれる。おそろしく人氣の惡い村だと思つた。……しかし、それは自分の思いちがいで、實は山内久子の一家が、多くの村の人たちから反感を持たれているためである事が、後になつてわかつた。
ようやく、その家が見つかつた時は、すでに夕ぐれに近く、戸外は夕陽の光でまだ明るいが、屋内は暗くなつている。家と言つたが、普通の農家の構えでは無く、物置にすこし手を入れたような狹い、ペチャンコの小屋で、おそろしくきたない。小屋の前に穀物を乾したりする庭場の空地が取つてあるので、百姓家だとわかる程度。表戸口は開け放してあるので、案内を乞うたが、誰も出て來ず、答えも無い。一家中で畑にでも出ていて留守かと思つたので待つ氣になつていると、屋内で人の氣配がして、幼兒の聲らしいものがした。すかして見たが暗くてよく見えない。その内に、モゾリと動き出した物があるので、よく見ると、一間きりの部屋の、火の
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